渦のしっぽ
頭の中身をただ書きたいように書くだけの駄文倉庫
品性は滲み出るモノだなぁと思う。 笑えることをやっていても生来の品性ある人は下品にはならない。 かつて「金持ちケンカせず」という名言を残した方がいた。 ここ最近、そんな層の方と袖ならぬ「空気」が擦り合う程度の接近遭遇になる機会がしばしばあって、その正しさを実感する。 実際関わりのある、上流社会がホームエリアという方を眺めていても、争うということのレベルまでもが違うと思う。 みっともないことは、やめておこう。 見かけだけ、そう見せてるだけ、雰囲気だけ それこそ、マガイ
ああ、そうか。 何を一番に大事にしてるか、ってことの相違なのか。 そんなことを、思った。 大人になってからの学びは、自分が自らそれを学びたい、習得したいと思うから始める。 必ずしも、やらねばならないことではない。 やる、ということを選んで、やりに行く。 どういう基準で先生を選ぶのかってのは、人それぞれだと思うけど。 学びに、習得しに、磨きに行く。 そういう時に、どう扱われるかとか関係ない。 自分の目的が達成できればOKなわけで。 それは自分の問題だし。 仮にヘボ先生
創作家に、「過去の傷は忘れなさい」なんて言っちゃいけない。 このカテゴリに属する人間は、己の傷を逐一、自らえぐってほじくり返し、それを創作の中で昇華していく。 身食いするかのように自分自身をエネルギー源として、美しいモノへ転換させる。 仮に、創作物の出所が自分自身の中から来るのではないとしても。 熱源はやはり、己の生きてきた中から引き出すことに変わりは無い。 経験とは、埋蔵資源のようなもの。
ブログを書いている。 FacebookもTwitterもInstagramもやっている。 でも、だから...かも、しれない。 わざわざブログに書くほどまとまってなかったり。 Facebookに書くには自分のためすぎたり。 関連する画像なんてなかったり。 けれど。 言語に置き換えておきたい。 部分的にでもいいから。 そういうものを、置いておく場所をつくろう。 誰でもない、この世界のどこにでもいる小市民。 けれど。 自分は自分という宇宙の中心。 そこからしか、世界を見る