なんとなく...の置き所をつくる
ブログを書いている。
FacebookもTwitterもInstagramもやっている。
でも、だから...かも、しれない。
わざわざブログに書くほどまとまってなかったり。
Facebookに書くには自分のためすぎたり。
関連する画像なんてなかったり。
けれど。
言語に置き換えておきたい。
部分的にでもいいから。
そういうものを、置いておく場所をつくろう。
誰でもない、この世界のどこにでもいる小市民。
けれど。
自分は自分という宇宙の中心。
そこからしか、世界を見ることはできない。
誰かの役にたつとか、読まれるとか、拡散されるとか。
そういうことを考えず、自分の中心からの感覚を言語にしておきたい。
毎日には満足している。
家族や友人もいる。
好きなことをやっている。
自由に生きている。
それは本当のことだけど。
わたしは、いつでも、どこにいても、どこか違うところにいるような気がしていて。
それはもう、「だから生きづらい」とか、そんな話ではない、「自分とは、こういう仕様である」というもの。
どこにでもいる普通の、平凡な小市民。
ただ、少し、感覚がいろいろ、ズレているらしい。
だから、時々、自分のためだけの言語を使いたくなるのかもしれない。
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