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社会秩序としての「娼家」入門──鹿島茂『パリ、娼婦の館 メゾン・クローズ』レビュー

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「ならば、低所得階級の娘たちに「秩序正しく節度のある暮らし」を課すなら、娼婦の予備軍は減るのかといえば、絶対にそういうことはないというのがパラン=デュシャトレのもう一つの結論だった。
 なぜなら、一方に「浪費と自堕落」に陥りやすい娘が一定数いるとすれば、もう一方には、どうしても抑制のきかない男というのが一定数いるからである。」
 ──鹿島茂『パリ、娼婦の館 メゾン・クローズ』p.14

たしか外出自粛が要請され出したころに、暇潰し用に買ったうちの一冊だったと思う。気付いたら未読のまま2年経っていた。どうして?

鹿島茂『パリ、娼婦の館 メゾン・クローズ』(角川ソフィア文庫、2013年)は、豊富な資料の数々から、19世紀後半から第二次世界大戦後にかけてパリの街に存在した「認可された娼家」、通称「メゾン・クローズ」の実態に迫った一冊である。多くのひとにとって、「娼家」という言葉と「認可された」という修飾語は、なんとなくちぐはぐな印象を受ける組み合わせなのではなかろうか。「閉じられた家」「認可の家」「社交の家」などと呼ばれたこれらの娼館はしかし、フランスという国を保持していくための「生命器官」としての役割を与えられ、男性(場合によっては女性も)の欲望を満たす場として、そしてなにより著名人らの社交の場として、厳格な規制のなかで隆盛を極めていた。

(全然関係ない話になるが、この「行政が性風俗を規制・認可する」というシステムを見て、ずいぶん昔に読んだ石持浅海の小説『この国。』(光文社文庫、2013年)を思い出した。一党独裁の管理国家に仕える治安警察官を主人公として、「ディストピア国家」を守るためテロリストと戦う彼の生活を描くという非常に面白いストーリーだった。その国を心から愛している人間の視点からディストピア社会を描くと、こうも社会は合理的で理想的に見えるのかと驚かされた記憶がある)

「?」でいっぱいなこの謎の娼館は、本書を読み進めるにしたがってどんどんその正体を明らかにしていく。「梅毒」という国家の問題を解決するため、とある公衆衛生学者によって推し進められたその政策から始まり、娼館を経営するための具体的な方法や経営者たちの奔走、そこで働く娼婦たちの生活、名声を轟かせた高級メゾン・クローズの経営戦略やそこへ訪れた客たちの珍エピソードなどなど。「メゾン・クローズ」にかかわることならなんでもござれな、もりだくさんの内容である。

本書のなかで著者は「十九世紀の恋愛小説と呼ばれるものの多くは、人妻との不倫小説でなければ、娼婦小説であった」と述べるが、おそらく19世紀以降の海外文学に造詣の深い人が読めば、「ああ、あの本に出てくるアレはこういうことだったのか!」と納得できるような興味深い情報の連続だろう。と同時に、現在の性風俗産業にも通ずる部分を発見できたり、当時のフランスの社会状況とその問題の一端を垣間見ることができるという点で、非常に勉強になる一冊である。

入門というだけあって読みやすい文章が続くため、読書に慣れた人であれば3~5時間程度、半日もかからず読了できるだろう。(これを書いている私のように)フランス文化・文学の知識がまったく初心者にも楽しめる本であることは間違いない。適宜参考文献なども挙げられているため、より深く「メゾン・クローズ」のことが知りたくなった人も安心である。

ひとつのフランス文化入門として、また「社会秩序として性風俗を認める」という意外なようでいて合理的なシステムを理解するにあたって、たいへんおすすめな一冊である。近現代フランス史のみならず、各国・各時代の性サービス業を知るうえでも参考になるのではないだろうか。


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