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いっしゅうき 2021.04③

2021.04.14 WED
127日目です。最近、アンドレ・ジッド『ソヴィエト旅行記』(國分俊宏/訳、光文社古典新訳文庫、2019年)を読んでいます

ここ最近のぼんやりした個人的ソ連ブームの一巻で読み始めたのですが、文学者が書いているだけあって非常に読みやすく、ブームなわりにソ連に関する知識がほぼゼロなままここまできたにわかオタクにも大変易しい一冊です。原注・訳注も充実しており、難しい用語や人名・地名でひっかかることも少なくありがたい限りです。ソ連関係に興味があるものの、専門書を読むのはちょっとハードルが……という方は、本書から入ってみるのもアリなのかなと思いました。ちなみに筆者は、以前のいっしゅうきにも書いたソ連関連の新書、あれから少しも読めていません。はよそっち読めや。

2021.04.15 THU
128日目です。Netflixで公開期限が迫っていた『キュア 禁断の隔離病棟』を観ました。なんだかんだずっと気になっていた作品だったので、滑り込みで観られてよかったです。

いやあ~初っ端から映像の色合いや構図がハイセンスで非常によかったです。ストーリーはまあ、うん、ね! というところも多少ありましたが、個人的にはそれを差し引いても「なんか好きだな~」という作品でした。ちょっぴりグロテスクや痛そうな描写がある、ミステリアスあり、活劇あり、ファンタジックありなエンタメが観たいな~という方は、なにも考えずに御覧になれるのではないかと思います! 最初から最後まで世界観を統一してひとつの作品を作り上げるのって難しいですよね。あと鹿はおっかないよなわかる。鹿と衝突したせいで特急列車止まったりしてたもんな、地元。

余談極まりない話なんですが、テーマソング?として各所に登場する曲、というかフレーズ、が作品内にあったのですが、妙に『リトル・ナイトメア』というゲームがちらついて不思議な気分になりました。ちょっと似ている音があるんだと思いますが筆者はどちらの曲も好きです! ほどよく不穏でよい。映画自体は『リトル・ナイトメア』というよりかは、屋内版ミッドサマー~ダークファンタジーを添えて~という感じです!(※個人の感想です)

2021.04.16 FRI
129日目です。用事の合間に、シアター・イメージフォーラムへクシシュトフ・キェシロフスキ監督『デカローグ』を観にいってきました。各話1時間程度、全10話の連作映画で、筆者が観にいった回は「第5話 ある殺人に関する物語」の放映でした。

映画の概要に関してはぜひ公式HPをご覧いただきたいのですが(断じて説明が面倒というわけではないです。断じて違います)、今回観た「ある殺人に関する物語」はなかなかにつらいものが心に残る作品でした。その名の通り、とある人物が殺人を犯すまで、そして犯したその後に関する物語なのですが、その人物がときおり見せる屈託のない表情が、映画館から帰る道を歩いている間もずっと頭にちらついていました。もちろん彼にどんな背景があろうと犯した罪の重さは変わりませんが、そんな彼がたしかに持っていた「愛情」の片鱗が忘れられません。
映像の空気感や、登場人物たちの関わり合いのなかで生じる「余白」の表現も衝撃的で、侘しさと美しさの同居した雰囲気に魅了されました。寒々しいワルシャワの街並みも非常によかった。こういうの好き。
この作品は、順番は別にしても、全話観てこそわかる素晴らしさがあるのだろうなと思います。全部観られるかな。観たいけどちょっときついかもな。頑張って観にいくのでなんとか長期で興行していただけませんかイメフォさん。どうぞよろしくお願いいたします。

なんかサムネバグってますが映像は問題なく視聴できるはずです!

ちなみに、お土産として友人に『アフリカン・カンフー・ナチス』のフライヤーを持って帰ったら、わりと喜ばれてしまい困惑しました。公開、めちゃくちゃ楽しみにしてます。

2021.04.17 SAT
130日目です。先日書いたジッドの『ソヴィエト旅行記』に、なかなか素敵なフレーズがあったのでお裾分けです。ソ連については漠然と「なんか恐ろしいところ」という印象を持っておられる方も多いかと思いますが(かくいう筆者もまだこの段階で足踏みしています)、どういった点に「問題」が潜んでいるのかが窺える名文なのではないかなと個人的には思います。長くなりますが以下引用。

 私たちは、教育、文化に対するソ連の驚くべき熱意には感嘆する。しかし、この教育たるや、現在あるがままの状態を祝福するよう精神を陶冶し、「おお、ソヴィエトよ! われらが唯一の希望よ!」と考えるよう精神を導くことができるものしか教えないのである。文化もまたこの教育と同じ方向に針を向けている。この文化たるや、公正や客観性とは無縁である。それはいわば、ただひたすら溜め込むだけの文化であって、批判精神というものは(マルクス主義の精神に反して)ほぼ完全に欠如している。なるほど「自己批判」なるものが、かの地で大変流行していることは私もよく知っている。(中略)だが、私はすぐに思い知らされた。ここでは密告や叱責(食堂のスープがちゃんと煮えていないとか、読書室の床がきちんと掃かれていない、など)が飛び交うのみならず、この自己批判なるものは、要するに、これこれのことが「しかるべき線(ライン)の中に収まっている」かそうでないかを問うものに過ぎないのだということを。線(ライン)そのものは議論されないのである。議論されるのは、ある作品なり、振る舞いなり、理論なりといったものが、この神聖にして侵すべからざる線(ライン)に合致しているかどうかだけなのだ。
──ジッド、國分俊宏/訳「ソヴィエト旅行記(一九三六年十一月)」『ソヴィエト旅行記』光文社古典新訳文庫、2019年、p.66-67

筆者自身も無意識のうちにこの状態になっている気がして、反省させられました。枠線のなかで思考停止してるんだろうなあ。気を付けないとな。こういう、「あ~たしかにな~」という普遍的な問題を、的確な文言で言い表すというのは、みんながみんなできることではないと思います。後世まで名を残す文学者たる所以なんだろうな。すごいな。

2021.04.18 SUN
131日目です。4時起きで社会の歯車をこなしてきたので今日の筆者はめちゃくちゃえらいです。これが「徳を積んだ」っていうのかな。でも申し込んだ舞台のチケットはご用意されませんでした。

2021.04.19 MON
132日目です。訳あって部屋の掃除をしていたんですが、気が付いたときには台所からまな板がなくなっていました。その場のテンションって怖いですね。

2021.04.20 TUE
133日目です。コロナ禍前によく行っていた食堂に、この春からまたようやく行ける状態になったのですが、よく食べていた「とり重」というメニューが、コロナ禍を経て様変わりしておりとても悲しい気持ちになっています。在りし日の「とり重」くんは、小柄な成人女性のてのひらくらいある鶏肉を一枚まるごと揚げ、それをご飯にのせる、という豪快な一品だったのですが、現在の「とり重」くんは唐揚げ風の鶏肉ブロックを5つほどのせた形式になってしまいました。
以前の「とり重」くんは、注文後その鶏肉を包丁で切り分け、それを盛りつける、という形だったので、衛生面から唐揚げ風鶏肉をトングで盛り付ける形に変更せざるを得なかったのでしょう。現在の「とり重」くんも相変わらずボリューミーで大変美味なので文句はまったくないのですが、以前の鶏肉ドーン! 汁びしゃー!!の「とり重」くんに愛着があったので寂しいです。早くあの頃の「とり重」くんに戻ってくれよ。おまえそんなやつじゃなかっただろ!

ほんとうにありがとうございます。いただいたものは映画を観たり本を買ったりご飯を食べたりに使わせていただきます。