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ずっと、"考えられること"がすごいと思ってた

今年で24歳になる私は、幼いころからずっと、"考えられること" がすごいと思っていた。

振り返ってみれば、私は周りの子よりも「考えること」が好きだったと思う。中二病と言ってしまえばそれまでだけど、人はどうして生きるのかとか、そういった答えのない問いについて考えることが特に好きだった。

友だちと話していても、その子がどうしてそう考えるのか、どう考えたらその言葉選びになるのか、そういったことをよく考えていたし、多分考えている内容を周りに話していたと思う。そんなことにもちゃんと耳を傾けてくれて、飽きずに毎日話してくれた友だちとは、今でも時々連絡をとっている。しばらく会っていなくても、久々にあつまろーよ!と言って好きなだけ話すことができる。とてもありがたい。

文章を書くのも好きだった。自分の書いた言葉を何度も何度も読み直して、意味の通るすっきりとした文章になる瞬間が好きだった。

小学生の時は、活字は読めない、というか読み始めても最後まで読むことができないくせに、いっちょまえに小説を書こうとしたことだってある。(自分のイメージした世界を言葉にするのが難しくて、途中で飽きてほっぽったままだが)


ずっと、"考えられること" がすごいと思っていた。考えを口に出すと「そんなこと考えてるんだ、すごいね」と言われることが多かった。中学生のとき、部活の顧問の先生に「○○は悟ってるなぁ」と、面と向かって言われるような、それをポジティブにとらえるような、そんな子だった。

小学校中学校と勉強はそこそこできたし、特に問題はおこさず、大人にとってそんなに手のかからない子だったと思う。

高校は地元の進学校に入学して、部活に入り、文化祭や体育祭などの行事を楽しんだり、恋愛に苦しんだり、川沿いで合唱コンの練習をしたり、いわゆる青春っぽいこともたくさんした。

受験勉強をして、名の通った大学に入ることができた。授業を受けて、サークル、バイト、友だちと遊びに出かけたり、なに不自由のない日常だった。辛い日や悩んだ日ももちろんあったが、やはり楽しかった。

学生生活の中では、真面目な性格もあってか、褒められることの方が圧倒的に多かった。というか、怒られたり叱られたりした記憶がほとんどない。人前に出て話す機会は人より多かったし、そういった場面で自分の意見を述べることに対して抵抗はなかった。グループでいればだいたいは引っ張る側になっていたし、わりと「できる人」「ちゃんとしてる人」だと思われていたと思う。

しかし、なぜかどうしても苦手なことがあった。

それは、「自分に自信を持つこと」。

いくら周りから評価をもらっても「たしかにできる自分もいるけれど、できないときもある。むしろできないときの方が多いくらいだ。できる人と思われるのは怖い」と思って、素直にその評価を受け入れることができない。

「自分ではそう思えないときもあるけど、周りからはそう見られることもあるんだ」と受け入れてしまえばいいものを、「そんなことを思われていたら期待を裏切ったときに怖い」と、拒否してしまう。

就活ではこのことが足かせになった。「何をやりたいのか」「どうなりたいのか」「どう働きたいのか」が、浮かばなかった。自分に対して、なにかができるようになる展望が見えなかった。自分がどう人の役に立てるのか、イメージできなかった。

その原因は就活当時もなんとなく気づいていて、「とりあえず色々やってはきたけれど、特に何か目的に沿ってるわけではなく、一貫性がない」ことだった。

自分の興味が多方面に向かっていることは自覚していて、それが自分のいいところでもあると思っていた。大学生のときにはサークルの幹部、海外へのボランティアやインターンに参加など、聞こえのいいそれっぽいことは色々やってみたけれど、これをやり遂げるぞ!と決めてやり切った経験がなかった。

できないところから行動して結果を得ていないから、自分が「できるようになった」という気持ちになれず、それが自信のなさにつながっていたのだ。

そして気づいた。これまで怒られたり叱られたりしたことがなかったのは、私がすべてうまくできる器用さを持っていたわけでも、天才的な発想力があったわけでもなく、ただ、挑戦したことがなかったからだった。

これやってみたいなと思うと、まず、自分にできるのか?と自分に問う。そういう興味がわくことはだいたい今までやったことのないことだから、回答は基本的に「できない」だった。そうすると、できないなら怖いからやめておこう、と思い、何もしないことが多かった。ほとんどがそうだった。

そして、何よりもよくなかったのは、この、「やってみたい」から「怖いからやめておこう」までを "考えること" で満足してしまっていたこと。"考えている" という状態だけで、何かが進んでいるような、自分がより良い方向に変わっていけているような気がしていた。

そのせいで、自分がどんどん沈んでいるとも知らずに。

苦しみながらも内定をもらった企業で社会人として過ごす今、その挑戦を避ける癖が大きく自分にのしかかっている。


ずっと、"考えられること" がすごいと思っていた。考えることさえできれば、何かができる人に、頼られる人に、誰かの役に立つ人になれるんだと思っていた。

でも、そうではなくて、本当に私がしてこなくちゃいけなかったのは、考えた結果 "行動すること" だった。

どんなに人のことを思いやっていても、どんなにすごい発明を思いついていても、行動して、それを表に出さなければ何にもならない。

大丈夫かなと思っているだけでは相手に伝わらなくて、声をかけたり目を合わせたり、行動しないと相手には自分の心配の気持ちが伝わることはなかなか難しくて。

痩せたいと思っているだけでは体は変わってくれなくて、少しでも運動したり食事に気を付けたりマッサージしてみたり自分に合った行動をしないとちっとも脂肪は落ちてくれなくて。

もっと仕事ができるようになりたいと言ってるだけでは変わらなくて、毎日30分でも10分でもわからない用語を調べたり自分に必要な資格の勉強をしたりしないといつまでたってもできないままで。


「やってみたいな」と思いつつ、「やった方が人生楽しそうだよね」と言いつつ、何もしない日々はもうやめたい。自分に言い訳して、できない理由を探して、考えるだけで満足している自分を変えたい。

そう思って、ずっと気になっていたnoteを始めてみました。急な敬語。書き始めたら下書きで終わらせずに絶対に投稿するってことだけを考えて、ここまで書いてきました。長くなってしまったけど、辛抱強く読んでくださってありがとうございました。

今までできなかった「行動」に向き合う中で、できない自分に失望したり、どうせ変われないって思うときは絶対に来るし、変わりゆく途中で離れて行ってしまう人もいるかもしれない。でも、それでも、頑張ってる自分は好きだし、いつか自分が自分を誇れるように、そんな自分のそばにいてくれる人を大切にできるように、少しでも行動していきます。

その、一歩目の投稿です。

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