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人を「かっこいい」って生まれて初めて思った。原発を止めた裁判長を観て。


2023.05.20
生活クラブの自然エネルギー委員会の全体企画「原発を止めた裁判長」の上映会が昨日5/20大阪ドーンセンターで行われた。

オレンジのベストを着て一丁前に委員として参加。
前視聴なく、昨日を迎えた。

今、購入したパンフレットを読み終わった。
今まで購入した映画パンフとは比べ物にならないほど、細部までが「命吹き込まれた」物と感じた。価値ある600円。

生なましい。

2ページ目を紹介する。

浪江町請戸地区の惨劇
2011年3月11日、地震発生後。
福島第1原発の北7kmに位置する浪江町の請戸海岸では、津波に流された人たちの捜索が地元消防団によって行われていた。流された車から助けを求めるクラクションが鳴り響き、物を叩く音やうめき声が聞こえたという。しかし、12日5時44分、放射線量の急上昇により政府から原発の半径10km圏内の住民に避難指示が出された。そのために消防団はやむなく捜索を中断し、避難誘導に転じなければならなかった。
福島県警によって捜索が再開されたのは1ヶ月後。そして9月までの間に浪江町沿岸では子どもや高齢者を含む180名以上の遺体が発見された。
「地震と津波の被害だけなら救えた命はいくつもあった。。。」消防団の方々は回想している。

パンフより

わたしの感想など必要ない。
読んだあなたが感じて欲しい。



樋口元裁判長の判決の大きな根源は「当たり前にあること」。
わかりやすいこと。

大飯原発差し止めの判決文の最後の一言に感動した「筋違い」。
最近とても感じる「ズレ」、本当に色々スジが違ってる。

長いけど「主文」打ち込みます!

主文
被告は大飯発電所3号機及び4号機の原子炉を動かしてはならない。
ひとたび深刻な事故が起これば多くの人の命、身体やその生活基盤に重大な被害を及ぼす事業に関わる組織には、その被害の大きさ、程度に応じた安全性と高度の信頼性が求められて然るべきである。
このことは、当然の社会要請であるとともに、生存を基礎とする人格権が公法、司法を問わず、すべての法分野において、最高の価値を持つとされている以上、本件訴訟においてよってたつべき解釈上の指針である。
被告は本件原発の稼働が電力供給の安定性、コストの低減につながると主張するが、当裁判所は、極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等と並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的には許されないことであると考えている。
コストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土と、そこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている。
また、被告は、原子力発電所の稼働がCO2排出削減に資するもので環境面で優れている旨主張するが、原子力発電所でひとたび深刻事故が起こった場合の環境汚染はすさまじいものであって、福島原発事故は我が国始まって以来最大の公害、環境汚染であることに照らすと、環境問題を原子力発電所の運転継続の根拠とすることは甚だしい筋違いである。

裁判長裁判官 樋口英明

全部黒字になる。
簡単に言うと「わたし達が生きることを守るが一番の国富」
いくら日々何かを積み上げたとしても、原発事故で全て無くなるのだと。


とにかくわかりやすい。
裁判人は文系。
難しいことを持ち出されたら、わたしたちと同じようにそっちに絡め取られるだけ。
論点は「危険か、安全か」なのだ、

全く!
「ガル」というマグニチュードと震度とは別の耐震基準ちを知ったが、うそ!って内容。
詳しくは全く書けないが、パンフ記載の説明書きを転じると【ガルは、観測地点での振動の激しさ・加速度を表す単位。建造物の耐震性能を表す単位としても使われている。例えば原発の耐震設計では、基準値震動650ガルというように示される。

とある。
で、311のガルは「2933ガル」。

ガルの検証は出来ないのだ。何故なら原発を揺らして試験出来ないからね。意味分かる?
大きくしてみてね 

あと、映画の中にあったのが、入れ物は耐震でも、中の配管とか連結しているものがそうではないとか。

本来あってはならない奇跡が起きて、2号機と4号機の爆発がなかったのは、これらのおかげだそうだ。

安全?
何を基準に?


かっこいいい人を見た。
人生で初めて「人をかっこいい」と思った。(ミーハー心0️⃣なんですワタシ)
この人たちの生き方、地に足つけて「生きてる命の迸る姿」がかっこいいのだ。

ソーラーシェリングで生き直し、地域を巻き込んでどっしどっしと。近藤さん。
大内親子や塚田さん。

全国の反原発に関わるボランティアで集結した弁護士団。

すっげー、でっかい人たち。

地球温暖化のせいか、直射日光の厳しさで牛が夏場にお乳が出なくなるそう。
野菜もくたびれるそんな中、畑にあるソーラの日陰で生き延びられるのだって。

畑で野菜と電気を作る。畑をそれらでシェアするからそのネーミング。

塚田さんの一言に痺れた。

僕の畑で採れた電気がいい!って言ってもらえるように。

畑で採れた電気。

すごくないですか?
このフレーズが21歳の若者が言うんです!

映画最後に近藤さんが喉を詰まらせて言うこの言葉にグッときた。

絶望じゃなくて希望を伝える仕事を。


彼は一旦絶望し農業を辞めた。
そこからそこからの「今」。

簡単じゃない道のりを歩んで北彼の笑顔は「命」そのものだった。


そこには
生きていた人の息吹があった。
日常が継続することがどんなに幸せなことか。
つい、忘れがちなわたしたち愚かなニンゲンは、地球規模で知らしめられる。

でも、わざわざそんな物騒なもんを作って沿わせることは、無用だ。

最後に、わたしがグループセッションで話したことを書いて終わりにします。

難しいことはわからない。
でも、わたしたちはその命を奪われるために子を産み育てているのではない、
命を賭けて命を産み出し、両の手で抱き、育むのは、その命を大切に繋げていくため。

どこかの誰かに差し出したり奪われるためでは決してない。

母として、人として、地球の生き物として、当たり前に思うことを当たり前に大きな声で言うこと。

わたしのスタンスはここです。

もう一度観たい。

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