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わたしが書く時に大切にしていること。

おはよう。
特に書きたいことが湧いてきたわけではないのだが、とりあえず携帯電話とキーボードを繋げてnoteの「書いてみる」を押してみた。

昨日の夕方から雨。
今朝、犬と散歩の5:30はポツポツ。
娘がでる6:40頃からだんだん激しくなって今は土砂降り。

常に頭の中はいろんな言葉や過去の出来事で騒がしくネタにはなんにも困らないわたし。
しかし、このところ頭の中が静かなのだ。
今朝は特に。

noteのコメント欄って、自分の記事のコメ欄の場合「通知」の「コメント」近くを押せばコメ欄が開く。でも人の記事だったらコメ欄ではなく記事の先頭からスクロールしなければ辿りつかない。

これはわたしが使い方を理解していないからかな?
すぐにコメント欄を開けれるといいのだけど。

これはぼやきやね(笑)



今日は「粉もんの日」だそうよ。
わたしはおかんの「たこ焼き」で育った。
わたしのからだは「粉もん」で出来てます。が、何か?
じゃあ、わたしの日じゃん(笑)



どうやらnoteというサイトは「文芸」とか知識を載せるサイトのようだ。
わたしの頭脳は永遠の2歳児なので、そんな素晴らしいことは書けない。

早く大人になりた〜い

という謎の呪文のおかげで、大人の皮を被ったこどもなのに、それすら自分で知らん顔。
おかげさまで自己不一致、乖離状態。
分離は術として使えるからこれまでの道のりが間違ったものではないのは明白なのだ😆

でないとしても、どの「元」に帰れるというのだ?
なにが正解で間違いなのか?
違う違うと思っている自分はなんなんだよ(笑)
どれが本当で間違いなのだ?

「いまが全てで正解です」。

不思議なんだよね。
こんな思想は生まれた自分に備わっているものなのか?
標準装備なのか、後転的に自分で装備していったものなのか。

どちらにしても、生まれた真っ白の自分はちゃんと「今の自分」になるようにそっちを向いて歩いているのだと思われる。
つまり、

知ってる

んです。
深いところで知ってるのに、首から上は忘れてる。
それを思い出す作業が「人生」。
六甲入山手前保倉神社裏で聞こえた「急げ」からの「憶いだせ」はそういうことなのか、と今の自分の最高到達としておこう。

切り出しの記事はこちら


ふと、未明の覚醒時間に口をつく言葉。


そう。
noteの書き方として、わたしが大事にしていることは「自分の内側から溢れる言葉」だ。
誰のものでもない「感じること」「自分から出る言葉」はわたし自身を表す最大級のオリジナルだと。

学べない言い訳と言いましょうか(笑)

ま、そんなこんなで今日はケーキ作りです。
休みなく頑張る次女に、出来ることは美味しいご飯と安心して眠れる場所を整えること。
今朝は息吹が消えそうだった。

必ず終わりが来る。
信じて待ってる。

うちのたまたまの花、咲いてます。
ナウシカの腐海の森。

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