わたしの見極めがあればいい!

どうせ死ぬのに、また頑張ってたぜ!!(笑)

なぞがいっぱいあるよねw
・一生懸命に「自分の価値」等を証明しようとする。
・「人のために」を優先しようとして、常に自分の「好き」を蔑ろにする。

昨夜、ふろ上がりにこみ上げた。

わたしがこうしたいをなんで優先出来ないんだ?
選択させてくれよ!!!って。

必ず、その行動の結果があるように、目的があってその言い訳みたいなものをちゃんと考えて、、、
用意してが当てはまるかな。
つまり、動いたら「結果」を出せ的なことなのだ。

数年前、降ってくることをただただ「はい」と受け取っては行動していた。
それはそれは、スピな人が見るとそんな感じ。

そこに収入をくっつけられるほど、計画もなくほぼ衝動的だから「消費」にしか見えないのだ。

で、その行動の結果を持ち帰ってねのようなことを夫氏に言われたのだ。
本人は記憶もないくらいのことでも、わたしには重く圧し掛かっているのだ。

その時からかなー
行動の理由を常に考えるようになったのは。
主婦であるわたしが、夫の帰宅に合わせて食事ができていないとする。
そうすると、なぜ間に合っていないかの説明のような言い訳のようなことを帰宅の夫に話すのだよ。

何を期待して?

わたしは虐待されて育ったことは以前に書いている。
父親の帰宅時間にあれこれできていないと、大変なことになる。
幼稚園生の時代からね、今思うと家族は誰も知らないのだよ。
殴られるのはわたしが悪いからって思い込んでるから、誰にも話せないしね。

でででで、そんなことは払しょくして乗り越えたはず!!
でも、でもでも、、、
体に刷り込まれた恐怖はぬぐえないのだ。

今でも、声の大きい人や体の大きな人に緊張するもんね。
緊張して生きてるんだー、ふー。

でだな。
そんなこんなは自分の脳内の幻想、、、
いや、この体に刷り込まれた「記憶」は幻想ではないよーーーーー。

ずっと忘れたくてもがいてきたんだな、うずまき。
よしよし。。。(´;ω;`)

えーっと、こんなことが書きたかったわけではなくてー。

こうやって、恐怖から逃れるために「選択」をしている自分から
そんな恐怖は「幻想」なんだと気づいているんだったら
わたしが「こうしたい」と言う理由で「行動の選択」をするんだ!!!よ!

その選択をさせてくれよー!!!とふろ上がりに叫んでた(笑)
笑いことではありませぬ。本気です。

一人カウンセリング状態が続きますよねー(笑)

とうとう、「わたし」が思っている「わたし」に違和感を覚え始めたわけだ。


どうせ死ぬのに、何を一生懸命握り締めてるんや?
わたしがわたしと思ってるわたしなんてこれこそ「どうでもいい」やんか。

甘糀のレシピを実行していた。
いろんなレシピがある中で、その方のは明らかに違ったので、まずやってみた。
駄菓子菓子、もう十分おいしいじゃん、わたしの見極めでいいじゃないか?

なんだ、、、
大抵のことは「わたしの見極めがあればいい」ってことじゃんか。


誰かの判断とか決定とか「ふーん」じゃね?

やっぱりわたしはわたしの道を行けばいいのだよ、って結論(笑)


どうせ死ぬ
そのうち死ぬ
必ず死ぬ
みんな死ぬ
いつか死ぬ

ということで、今日もとりあえず生きてます(笑)

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