呼吸から感じ取った「生かされている」と言う感覚は、わたしを解いてくれる。

脳みそバグってる?💕
いえーい!
正常ですね🌟

バグを修正しないといけないとこれまた思い込んでた。
現在の世の中に「違和感」がないことの方がバグだったよ笑

違和を感じることで「自分」を感じていたかったのかも。
「違う」と言う意識は自分の存在を知らしめるためには必要なことだったんだ。


じゃあ、「同じ」と言う意識であれば「自分」を感じなかったのだろうか?
うーん、そうでない世界に生きてきたから分からんわ。
でも、どうやっても「違和感」だからあい変わらずそこには「自分」を見出したかったのだろうな。


なんせ、何を活動しても「違い」を見つけてはそこを突破口にして物事拡大していくのがわたしの得意技だもん。

で、だ、な。

そんあいちいちパワーのいることを自動的に意識して生きていたことに、改めて気づいたわけね。
「違和感を大切に生きてきた」ってどこかに書いてもいるしね。

確かに、めっちゃんこ自分の中心はこのコンセプトなのだ。
でも、もういいでしょう?ってなったのが正直昨日の出来事。

そもそも、どうしてもやりたかったわけではなく、成り行きでしたから。
我をはって取りに行きもんでもない。
やりたい人にやってもらえたらそれでいいじゃない。

そっか。
時々お茶会ランチ会ってのをやるか。
、目的なしでただ、楽しい時間を美味しい食事でってね。
そしたら、わたしの「作りたい欲」が満たされて、少々現金が回収できるしね。

うんうん、そうしよう。

誰かのために、こういう社会的なルールなんだから、ね!こうすべきでしょう?って自分の中の何かわからない「執事?」がいてて、すぐに型にはめようとするのだよ。

いえいえ
ただ、赴くままに生きていたい。
そういう感じで。


とっても流行ってる若い女性2人でやってた飲食店が3月で閉店するんだって。

予約が絶えなくて、本当に流行ってたのに。
なんでだろうね。

でも、なんとなく分かる。
「やりたかったこと」をやり切って、満足したのかもしれないし、ルーティンに疲れたのかも知れないし、わたしは「おめでとう」と言いたいね。

同じことやり続けるのって、わたしには意味がわからない。

あれ?笑
継続できないってことを悩んで無かったけ?(笑)

いえね、自分が「だめダメ」「修正しなければ」って思ってたことって、ただの思い込みだったりするんだけども、それ以上に「それでちょうどよかったんだよ」ってことにも突き当たったのだよ。

人付き合いも継続できないって思ってたけど、継続に値しない人たちだっただけで、自分から「損切り」してるってこと。
切られてるもあるだろうけど、そもそもどう頑張ってもお付き合いは出来ないひとにしか出逢ってなかったのだ。

それはわたしを人格者にするためのキャラであって、わたしの目の付け所がずれていたってことなのだ。

うんと、もっと、自分を肯定していくこと、わたしが「思った」ことには意味があって、それを大切にしてこそ「自己肯定感」ってもんが上がるってこそじゃないかってね。

手放していくことって、ちょっとコツが必要で、一つわかれば一気に進むみたいね。

かなりの執着をしていた自分を今見つめてるわ(笑)


呼吸から感じ取った「生かされている」と言う感覚は、わたしを解いてくれる。

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