意識の枠から外れると、、、居なくなる?
気になる人が居る。
気になってしょうがないのだ、な、うずまき君。
なんで気になるのかな?
一般的常識では絶対できないことをしているのに、平気で何年もやってることだな。
と、言うことは「常識」がキーワードだね。
そう言えば、結構その「常識」が出てくるわー
あんたの常識はわたしの非常識。
押し付けてくんなや!ってこと、あるある。
どうやら逃げて来たかな、向き合うタイミングか。
って、でもさー
そもそもその「常識」さえも「どっちでも・どうでも・好きに」の世界に到達してたやん。
ほならいま「わざわざ意識」してるってことになるのよねー🙄
あ、そう、さっき夫氏を送り出したのね。
玄関で「行ってらっしゃい」と火打石を打ち、玄関がガラガラーとしまった時、意識が切れたのね。
それまでは「わたしの中に夫は居た」のだが、扉が閉じた瞬間に「
居なくなった」のだ。
もちろん扉の外にはまだ居るし、自転車に乗って蛇腹門を出て行くまでは確実に「居る」のだ。
実体として。
でも、わたしの中の「意識」の枠からは「居なくなった」のだ。
大変にありがたい存在で
なくてはならない「最愛の人」です。
だとしても、自分の意識の枠から出たら居なくなるのです!!!!
伝わってます?
わたしのこの感動(笑)
と言うことは、
気になる人は「わたしの意識の中に居る」だけのことで、意識のわくから出せばいいのだよ。
これも「わざわざ」に意識の中に「存在させ続けている」のだ。
これをしているのは誰だ?
わたしだよ!!(にしおかすみこさん綺麗だったよねー)
意識の枠ってなんだ?
そもそも、所有なんてしていないのに「枠がある」と認識しているってことになるな。
「常識」に囚われて、人の非常識が実はやりたいことなんだって考えていた時期もある、いやそっちの方が長いさ。
でも、どうやら違和感だったのが、気づけたみたいだ。
これはまるで「逃げ」のようだが、そもそもどうでもいいことなのであって、取り合う必要もないのだ。
これこそ「暇つぶし」で「余計なこと」なのだ。
わたしの「意識」など「存在しない」。
枠を取り払おうとしなくても、いい。
枠などそもそも、ない。
なんか、ぶっ飛んでしまった笑笑
昨日ね「鏡の法則」が思いっきり腑に落ちたのだよ(笑)(笑)(笑)
「鏡は先に笑わない」ってワードに引っかかってね(笑)
そりゃそーじゃんか!
だから現実は鏡なのかーって思ってさ(笑)
そしたら色々突き抜けてしまってね(笑)
ケラケラ可笑しくなってきた。
「この世界は素晴らしと〜」の歌詞も理解できた🤭
実験開始だ!
先手で「笑う」「挨拶」「払う」。
あれ?これって「意識」じゃん笑
あーれー(笑)
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