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「自分を振り返る」宝物探し🧭

「今日、誰のために生きる?」
まじで、オススメするわ📕

日本人が、縄文がってまるで特別に扱って、スピに持ち込んでビジネスする人達が鬱陶しくて避けてきた。

なんだか、陰謀論とかにも辿り着かされることにも嫌悪感を持っていた。
数年間避けてきたやつ。

でも、ヒタヒタとリアルにも「松葉」と言う形で近寄ってくるのさwww

で、自分という存在をやっと?とうとう素っ裸にして抱きしめることが出来た🌟🥳

の入り口で改めて出会ったショーゲンのお話しからのひすいさんの共著本。

いや、まじでこれはありやw
自分の中の何かに触れるもんで、自動的に込み上げる笑

お母ちゃん死んだ後に、洗濯もん畳みながら気づいたら泣いてるみたいなさ。
自分の奥底にあるものに触れたりすると体が勝手に反応して涙が出る」のだ。

で、まだ、最後まで読めてないけど。
workがあってね、そんなことも楽しんで読んでたらね、、、

わたしって「余白」「無駄」「寄り道」「迷子」を楽しんで生きてきた「余裕」そのものが服着て歩いてるみたいな人生やったんやって気づいた笑

路地にわざわざ入っては路地裏の出逢いを楽しむ。

知らない人とと話すことを楽しみにできる。
一期一会をわざわざしにいく。
どうせ迷子になるんやから、自分から迷子を楽しむようになったり。

人がいらんと言うものを集めては遊ぶ。
無駄な大工しては変化させて楽しむ。

どうでもいいこと?
それが何になるん?
目的は?
結果を伴ってよー

っていう「効率」を体が無視してやってきた。

誰のためになるん?
自分がやりたいことをやりたいようにやってたら、勝手に誰かの役に立ってるんよ。
「役に立とう」と思って頭で考えたことは大体、ろくなことにならんの。わたしの場合ね。

だから、本来「自由さ」で思いつくままやってきた。

なんと!!!
間違ってなかったねーって話し笑


どうあっても、自分がピンときたものを選んできてる。
これは意識とか、自覚とかあるなしなだけで、みんなそうなんよね。

薄々気づきながらも、自覚してなかった。
したらあかんと社会的な生き物として思ってたな。

駄菓子菓子!
やっぱり「自分がどう在るか」だけなんよ。

あ、迷子してる時に「こっち」と思った逆方向が正解ですけどね(笑)(笑)(笑)

道も覚えないし。
それってね、大丈夫道は繋がってるって根拠なく「自分を信じてる」んよね(笑)

あと、必ず助けてくれるっても、信じてるん。

あー
だからかー
長女が5さいくらいの時ね、
「お母さんって、なんでいつも自信たっぷりなん?」って聞かれたことがあるねん。

もう30年前。

何かに対して「自信がある」のではなく、わたしは「自分を信じてる」からそう見えたんやろね。


30年かからんと分からんって、ほんまポンコツw


可愛いよね!
そんなわたしはうずまきのこと大好きやわ🌟

わたしは自分を活かして生きてきた。
全く間違ってなかったわ。

わたしの祈りは「どうぞわたしをお仕いください」やねん。

いつの頃からか。。。

誰かにってことではなかったんだ。
これまで、その通りに実行し続けてきたんや。

忘れないと感じられない。
ほんまうまいことできてますな🤣

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