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#思い出 タシケントの細密画で、これからの行先を見つける

noteを初めて意気揚々と記事を更新していたが、世界がどんどん閉塞的になっていき、正直、気持ちが少し落ち込んでいた。記事を書くような気分でもなかった。さらに、書けば書くほど、ウズベキスタン赴任時のネガティブな出来事を、毒気たっぷりに吐き出してしまいそうで怖さもあった。当時、学生たちを不安にさせないように、現地の先生たちと必死で耐えていた、あの努力を無駄にしていいのだろうか。でも、国立大学の闇について書くことも、社会的な意義があるのではないか。

ああ、疲れる。やはり、前向きなことをしていきたいなあ。そう思い、これからしたいことをやっぱり書いていくことにした。

今でも大事にしている絵がある。ウズベキスタンの首都、タシケント市の中心部、国会裏手にある「アブドゥルハシム・メドレセ(神学校)」で職人さんから直接購入した細密画だ。サマルカンドペーパーで額のように装飾され、パステルカラーの色合いと控えめながら絵の意味を熱く語る職人さんに好意を感じて、何度も店を出たり入ったりして、やっぱり買う!と決めて購入した思い出の品である。

ウズベキスタンで購入するお皿や小箱などには、手書きのものが多い。だから、柄もすべて異なる、一点ものである。細密画も、ウズベキスタン的には高価で、15ドルから20ドルくらいする。普段のランチが2ドルくらいだと思うと、確かに、高級な買い物である。

だから、ウズベク生活が1年位経過した自分にとっては、少し勇気のいる買い物だった。しかし、原画である。そして、クオリティの高さ。それを描いた職人さんの、人柄。私も絵を描いてきた人間なので、見る目は結構あると思っている。その絵には、命があると思った。パワーと言ってもいい。職人さんの、思いが乗っかっている気がした。

そして思い出した。私も、こういうことしていた側だったんだよねえと。中学生のときに、バイトができないからと、お小遣い稼ぎに絵を描いて売ることを始めた。言葉でうまく自分のことが表現できず、外面がよい優等生を演じながらいつの間にかストレスを抱えて家では寝るばかりだった私は、いつしか絵の世界で自由を得るようになった。絵を描いているときだけは自由を感じていた。そして、絵が褒められることで社会に受け入れられ、周囲の人とつながりを感じられるようになっていった。

絵は直接コミケやアートフリマで販売した。自宅のプリンターでハガキサイズにプリントした。だんだん、売れる絵もわかっていった。そして、売れないけど描きたい絵というカテゴリも自覚するようになった。どちらも売れれば嬉しいけど、自分が込めた思いを理解して買ってくれる人が現れたときの、あの喜びはもう何と表現したらいいか分からない。社会人になってから、仕事では一度も感じたことがない。あれは、創作を通じないと得られないのだった。

社会人になってから、中央官庁で長く働き、法令改正や議員レクや国内外への出張をこなして、充実した日々だったと思う。一方で、これって、私じゃなくてもできるんだよね、もっと、頭がキレて、得意な人が山ほどいるんだよねえ。。という思いも日々膨らんでいった。自分が組織の一歯車になれないことなんて、最初から分かっていたが、それなりにやりがいを感じ、プライドも育っていったので、漫然と10年くらい仕事を続けた。

しかし、結局、違和感はますます大きくなっていった。啓発資料でオリジナリティを出そうと思えば、リスクを嫌う上司や同僚にスルーされ、英国留学を経て若干目立つ存在になってしまうと、幹部に重用されることがかえって居心地の悪さも生むようになった。

理解のある上司からは、君は課長とか幹部向きだよね、と言われたり(使いづらかったのかな・・・)、仲のいいアルバイトさんからは、起業して社長とかになったらどうですかと言われたりした(浮いてたのかな・・・)。

やりたいこともやり尽くしてしまったと思い、妊娠もきっかけとなり、役人を辞めて人生を考え直すことにした。その後は、迷走した。生後7ヶ月の息子を親にあずけてブータンに行ったり(ブータン人もびっくり)、せっかく手に入れた某メガベンチャーの超ホワイトな正社員の身分を半年で捨てて単身ウズベキスタンに行ったりした。

海外で働くことは、留学を終えた後の一つの夢でもあった。当時の勤務先では、海外勤務はなさそうだったから、ようやく手に入れたチャンスだった。今では、ウズベキスタンは日本の次に大好きな国でもあり、同時に、金輪際関わりたくないと思うくらい嫌な思い出も背負ってしまった国である。相反する複雑な思いを持つようになったということは、真剣にコミットしたとも言えるんじゃないかと思う。

そして、次の目標を見つけることもできた。ウズベク人の能天気とも言える明るさ、人懐っこさ、人情深さ、そして職人魂。もっともっと日本と仲良くなれる国。この国の人材を育てたい。そして、少しお疲れな日本の人たちとつながりを作って、2つの国を相乗効果でもっと元気にしてきたい。

ウズベキスタンのいいもの、例えばこんな細密画の素晴らしさも、広めていけたらいいな。パワーをもらった細密画は、まだ額装はできていないけど、いつも目に触れるところにさりげなく飾って、日本でも存在感を放っています。


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