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結婚は本当に「手段」だけか?

わたしは子供も要らないし、同居もしたいと思わない。けど結婚したいと思っていた。その理由が答えられなかった。それは一体なんだろう。
わたしは恋人というのはむしろ、夫婦という関係性の手前にあるものと思っていた。結婚という契約を交わすことで、あなたを一生のパートナーに選んだという意思表明をしたことになり、お付き合いという段階では、まだ決めきれていない状態、見定めている段階なのだと。
今も実はそう思っている節があり、だからこそ、子どもも同居も必要なくても、結婚がしたいという意思になるのだろう。

ただそれは、わたし個人の結婚に対する概念そのものでしかなく、
ある意味でならわし的な、「そういうものだからそうする」としか言えない質感のものである。
そしてわたしは、結婚という形を通して安心が欲しいわけじゃないので、本当にただの概念として、結婚をそう捉えているだけである。

だからこそわたしの恋人が、結婚に乗り気でないことで傷ついてしまうのだけど、(わたしのことを選ぶつもりがないのだな、と思うから。)でも彼は彼で、全く別の価値観をもってるので、わたしが傷つくような意図はどこにもないのだよね。

彼は結婚を手段だと思っているから、「子供も同居も必要ないなら、なんで結婚したいの?」という質問がでてきて、わたしはそれがわからなくて、あれこれ言ったことばはどれもズレているような気がしていた。

結婚は目的ではなく手段であるとの言説が最近流行ってるが、たしかにそうだとも思う。こんなはずじゃなかったとなってしまう事例が多いから、教訓としてこのことばは大切にすべきだ。

では、わたしの価値観はどうだろう?
結婚ってたしかに手段だけど、結局メリットは法律による色々でしかないし、そこまで計算づくの「だけ」で結ぶほど味気がないのか?

そんなことはないと思うし、むしろ幸せという非論理的な情感のさなかで、多くの人に祝われながら、お互いを幸せにすることを誓うものだと思う。

その多くの人々は一体何を祝っているのだろうか?
わたしたちは何のために、ことばを神へ誓うのだろう?

これは結婚の本質へ迫るとても深い問いであるのだ。

そして結婚というものは、やはり人間が作り出した概念でしかないと思う。
お付き合い、とかもそうだ。恋人とかにならなくても、手はつなげるしハグもできるし、その先だってなんだってできる。
ただ恋人、という概念があり、ならわしがあり、そこに意味を与えているのは我々人間なのだ。

結婚に制度以上の意味を見いだすとしたならば、それはその人ならではの感性であり価値観だ。それらを否定することは、誰にもできないと思う。

結婚はたしかに手段だけど、それだけじゃ味気ないなってわたしは思っていたので、このnoteを書きました。

一つの考えとして、参考になればと思います。

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