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泣けることの幸せ

今日の朝、歩きながら “泣けた” 。


職場に向かっている途中、ふわ〜〜〜〜っと
感情が溢れ出して泣いた。
それがめちゃくちゃ嬉しかった。



昔から泣かない子ではあったと思う。
”泣く”のは、怒られた時だけだった。

そんな私が、”泣ける”ようになった日のことは
今でもはっきりと覚えている。







 中2の夏。ライブ会場。
 あるアーティストのメンバーが最後の挨拶で急に涙した。
 そしたら隣で見守っていた他のメンバーも次々と泣き出した。



”泣く”という行為が
マイナスでしかなかった私にとって
その光景は、悲しいことを意味するはずなのに


このときは、何故か、感動した。
確かに心が動いたのだ。



その瞬間、私は感極まって初めて ”泣けた”。


感動して涙する。嬉しくて涙する。
マイナス以外の涙を覚えたのはこのときだった。

それからの私は、ダム決壊の如く
”泣ける”ようになった。




時は過ぎ、2020年。コロナ禍元年。

いわゆる普通の日常ではなくなったが
逆に言えば、全てが新しい世界。

非日常をどうにか楽しく過ごそうと
試行錯誤したからか

ほとんど”泣く”ことはなかった。

年の瀬に振り返ったときも
今年一年ほとんど泣かなかったな、
と自分でも驚いた。


2021年。 2年目。

非日常をただ楽しんでいたはずが
日々を過ごしていくうちに、ふと気づいた。



普通の日常はもう戻ってこない。




確信したとき、絶望した。
何も分からなくなった。

たくさん”泣いた”が、”泣け”なくなった。



2022年。現在。

年明けから、寝起きが悪かった。

良い夢をみたときは
まだ見ていたかった、と憂鬱になり

良くない夢をみたときも
夢の世界に引きづられ、憂鬱になった。




ただ、ここ数日は急に寝起きが良くなった。

当たり前に夢も見ていたのに。
すごくイヤな夢と、めちゃくちゃ楽しい夢。

夢に左右されず、フラットに起きれた自分が
久しぶりですごく嬉しかった。

そんなことを思っていた矢先に






”泣けた”。

泣けてから、気づいた。
こうやって泣けたのは、2019年以来だった。









やっと戻ってきた。私の日常。

正確に言えば、
新しい日常を手に入れたんだと思う。
非日常を日常にできた、私の勝ち。





泣けることがこんなに幸せだったなんて
思いもしなかったよ。

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