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母がICU(集中治療室)に入りました。※コロナではありません

わたしの母は今、ICU(集中治療室)におります。

控えめに言っても、いつ召されてもおかしくない状態です。

病状については私のFacebookで逐一報告させていただいていますので

こちらのnoteには

「私の母はこんな人」

という事だけを書いていこうと思います。

おそらく興味がない人が大半だと思いますが(笑)

一風変わった人生で、なかなか面白い人なので

この機会に、私(娘)との関わりも含めて書いていこうと思います。

※そしてコロナではありません。血管の病気です。


私の母はこんな人


今私は、ごく普通の36歳女であり

小学生から保育園児までの三児を育てる母親なのですが

生まれた時は赤ん坊でした。(みんなね)

まじめな父とまじめな母、兄が二人、そんな家庭に生まれました。

父は早稲田大学
母は東京大学
長兄は慶応大学中退
次兄は定時制高校

私(末っ子)中卒。と続きます。

学歴がなし崩し的に、履歴書の余白が多くなっていくのが見て取れます笑

1親等でここまで差が生まれるのも珍しいんじゃないかと思いますが

特にコンプレックスはありません。

なぜそのような事になったのか

少し説明していきます。

母の生い立ち


私の母の母(私の祖母)は


超〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


教育ママだったそうで、しかも、母がいくら勉強をして良い成績を取っても

学年トップになっても

褒めてもらえなかったそうです。

逆になにか失敗しようものなら「あんたは本当にダメだ」

めちゃくちゃ怒られた。と言っていました。

そんな祖母に、いくら根っから大人しい母といえども

『このクソBBA』と思うこともあったそうですが

一言でも反論しようものなら

百 返ってくる

そんな鬼のような母親だったそうです。


母の学歴


母の父(私の祖父)は医師でした。

転勤が多く、高校入試の頃は群馬に住んでいたので

母は群馬大学付属高校に入学が決まっていましたが

その後に父親の転勤が決まり

母の母であるスーパー教育ママは、

「東京教育大学付属高校」に母を無理くりねじ込み受験させ、入学が決まったそうです。

(余談ですが群大付属の入試成績をもらってきてみたら、母がトップだったとか)

そんな「裏口入学的実力行使」の末、

東京教育大学付属高校(現:筑波大学付属高等学校)に無事入学し

その後、天下の東大に入学を果たします。

(これも余談ですが、当時好きだった男の子が東大に行くと思ったので母は頑張って勉強したのですが

意中の彼は落ちてしまったとか。

もし彼が東大に受かっていたら、私や兄はこの世に生まれなかったかも。。

ちなみに母は文学部美術史科。)

鬼のような教育ママの意向になんとか沿った形で東京大学に通い始めた母ですが

在学中「大学紛争」におもくそ巻き込まれ、

その頃のことをたまに思い返しては

「人間は愚かだなぁ。と人類の未来に絶望した」というような事を言っていました。

悟りの境地ですね。

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母の職歴と父との出会い


猛勉強して入った東大も大学紛争でめちゃくちゃになり

おそらく色々大変だったと思いますが(もはや私には想像がつかない)

母は無事東大を卒業し、東京なにクトロン?という半導体の会社の

データシステム部の秘書をやったり(よもや私には想像がつかない)

サイ〇・インターナショナルという通訳、翻訳サービスを行う企業で

「同時通訳の神様」として知られた國弘〇雄さんの秘書をしたりしていたそうです。

その秘書時代に、正雄さん(←言ってる)のところに打ち合わせに来た

「NHK出版」の汎(ひろし)さんと出会ったのでした。

※父です


母の結婚


父と付き合っていた頃の話はあまり聞いたことがありませんが

出会った時に『こんなに知的で10歳も年上なのに、未婚だなんてスーパー優良物件』

そんなような事を思ったそうで

母の方から猛アタックしたと言っていました。

基本的にものすごくシャイな性格の母が、その時ばかりは「逃すものか」

思ったんでしょうね~(突然の大胆さ、よく分かりません笑)

しかしそのお陰で、その後75年に長男、78年に次男、84年に長女すみれ(私)が誕生しました。

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my両親


兄たちのこと


このnoteを少なからず長兄は読みそうなので少し言いづらい事もありますが

ここは特に気にせず書きます。

(優しいお兄さまたちは許してくれるはず♡)

何故ならば長男サトシくんは、スーパーIT系、ヒト科、TM NETWORKのカバーバンド類、

小室哲哉属

(なんのこっちゃ)

PC関係でわからない事があったら今でもサトシproにお任せです。

そんなサトシproは、子どものころから神童(しんどう)とかと呼ばれちゃうタイプのヒト科でした。

何も言ってないのに気が付いたら本を何百冊も読んでるみたいな。

好きなことへの集中力が尋常じゃねーみたいな。

父と母の真面目さをがっつり受け継ぎつつ、更になにか化学反応が起きたのかもしれません。

かなり変わり者ですが、とにかく秀才です。

ですがその為になかなか生きづらい学生時代だったのではと思います。

慶応義塾大学に入学しますが面白くなかったのか、中退します。

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T◯ネットワーク

一方、次男アキラくんは、ヒョウキン属、ヤンキー科、根は優しい類。

とにかく勉強きらい。友達大好き。俺は人を笑わせる為に生まれてきた。勉強はきらい。

そんな対称的な兄さんたちで、私はこのアキラ兄ちゃんによく遊んでもらった記憶があります。

とくに印象的なのは

私が18くらいの頃だったか

アキラくんが目も開かないようなとにかく疲弊したようなげっそりした顔で朝帰りしてきて

「お前、マジで言っとくけど、ドラッグは〇麻までにしとけ」

と言われたのを今でも鮮明に覚えています。

(兄に何があったのかは分かりませんが、私はそれから助言を忠実に守り続けています)

そんな愉快に成長した兄たちと共に、末っ子長女の私はのびのびと大きくなりました。

※今では次兄アキラくんも三児の父。ギリギリ系社会勉強はとっくに卒業したようです。

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根は真面目属


父ヒロシ


うちでは父に家族全員が敬語を使っていました。

母がそうだったので、自然と私たちもそうなったのだと思います。

どこの家庭もそうだと思っていた、というかそんな事すら考えていませんでしたが

物心がついた頃から「へー普通じゃないんだ」と知りました。

父は怖い親父という感じではなく、基本無口で、野球が大好き

セブンスターとビール(サッポロだったかな)を愛する「寡黙で真面目な父」でした。

そんな父が必ず行う日課があり、

夕方になるとサウナスーツのようなユニフォームに着替え

家の前でバットの素振りをうん百回

ボールの壁打ちもうん百回

それを終えると、砂をパンパンに詰めた3、40L位の超重いリュックサックを背負い

日暮れの町に消えて行くという。。。

父はそんなローテを毎日欠かさずやっていました。

(ある日、リュックを背負ってどこに行くのか気になったのでついて行ってみると

徒歩10分ほどの所にある神社に続く何百段?の階段を上ったり下りたり。。

恐ろしくストイックでマッチョな父の生き様、真髄を見ました。)

でも夕飯の時、ビールを飲むとちょっとご機嫌になり

たまにヒロシギャグ(可愛らしい冗談)

も飛び出すような、お茶目な一面もありました。


母ルリ


一方母はというと、専業主婦だったので基本的にお料理を作ったり洗濯をしたり。

掃除機をかけたりホウキで掃いたり。

毎日とにかく家事をしていたイメージですが、やはり一番思い出すのは「キレる母」。

寝起きがめっぽう悪い長兄が、あまりにも起きないので母ブチ切れ。

鍋的なもので大量に水をぶっかける。

大根でぶったたく。笑

これは理由を忘れましたが、母が次兄の一言にブチ切れ。

家中を追いかけまわして、仕舞いには縁側の部屋に追い詰め

バリカンでバリバリバリバリ~(丸坊主)

いや結構ガチで怖くてドン引きなんですけど。

今思うと、母も何か溜め込んでいたものが爆発してたんでしょうね〜

普段が真面目なだけに結構こわかったな。笑

私は末っ子なので、のらりくらりと母のブチ切れをうまいこと回避しながら生きていましたが、

ハタチやそこらくらいの時に、母に向かって何やら生意気に口ごたえしてみたら(何を言ったかは覚えてないですが)

すごい剣幕で「両耳」を「両手」で鷲掴みされ、

ギューーーーーーーーーーーーーーーー!!!!

って

危うく引きちぎられるかと思った事はありました。

真面目なくせして、おそろしい母です。。

※ちなみに、賞味期限が5年切れているような乾麺が家には沢山ありました。(普通に食べてました)

物心がついたころに友達にびっくりされ

「へー普通じゃないんだ」と気付きます。

※基本的に家には勿体無いとかいうレベルを超越したものが多かったです


さて本題


自分は東大を卒業した母ですが、兄に「勉強しなさい」などと言っているイメージも、

私も言われた覚えがありません。

少なくとも口酸っぱく言うようなタイプではなかったように思います。

とにかく厳しい母親に育てられた母は「(自分は)母のようには育てたくない」

という想いが強かったんだと思います。

長兄はちょっと変な人なので、勝手に勉強して勝手に慶應まで受かっちゃったのかな?

(流石に一人目だからまぁまぁ勉強させられてたのかなぁ)

おそらく次兄の時に、あまりに違うタイプが生まれたことに衝撃を受け

母の固定観念はその時、完全に崩れ落ちました。

そして私の時にはもう超放任主義というか。。なにかをうるさく言われた覚えが全くありません。

そして私はというと数学のルートあたりで面倒臭くなって勉強を完全に放棄し

好き勝手に遊びまくっていた中3の夏頃?だったか、母に突然

『あんたは高校行かなくて良いから』

と宣言され「え?」と事態を呑み込めない私に

『行っても無駄。』『どうせ勉強しないでしょ?行かなくて良い』

と、ドーンと突き放され(?)

当時、普通にどこかの高校へ進学するものだとばかり思っていた私は度肝を抜かれました。

そのあと高校受験を控えた友達たちには

「いいよね~受験勉強しなくてよくて~」

と妬まれたのは言うまでもありません。

そして母的には他に色々探してはくれていたようで

当時は最先端だったであろう、隣町に出来たばかりの『インターネットハイスクール』

なるところに見学へ連れて行かれたりしましたが

あほみたいに友達と遊びまわっていた私には「え、なんかめっちゃパソコン並んでる。。全員パソコンに向き合ってる。。こっこわ!」

といった印象しかなく、到底「行きたい!」などと思える場所ではなかったのです。

(当然友達にも「すみれ、インターネットハイスクール〇〇に行くんでしょ~?(笑)」などと

からかわれたのも言うまでもありません。)

※でもあの時、あのハイスクールに行っていれば、私も小室哲哉になれたかもな。。

(ネットワーク違い)


中卒


そんな私はというと中学卒業後、とにかくギャル一辺倒。

そらそうでしょ〜。ね〜。

形だけ高校に行った仲の良い友達たちも、やっぱり高校サボって遊んじゃうんですもん〜。

毎日私の部屋でパラパラのビデオを鬼リピートの猛特訓。(俗に言う「パラ講」です)

前述したアキラくん(次兄)が、妹含むギャル3人が汗だくでパラパラを練習している現場(部屋)のドアを知らずに開け

無言で静かにドアを閉めて立ち去っていった時のあの顔を、今でも昨日のことのように思い出します。(にっこり)

そんなギャル真っ只中の私は10名程のパラパラサークルを設立。

友達の彼氏が代表、友達が副代表、私は書記。

(パラサーの書記ってなに?!未だに分かりません)

イベントをやってはパー券をさばき、書記の私が現金管理したり(そうか、書記は会計か!)

とにかく暇さえあればピカチューの着ぐるみを着て一晩中踊りまくっていました。

ですがそんな生活が、

母の“一言”で

一瞬にして、ピリオドを打つことになるのです。。

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パラチュー


ギャルからの卒業


さて、こんなアホ過ぎる私を、どのように母はまともな道へ導いていったのでしょうか。

この辺りからは、また次のnoteに綴ろうかと思います。(にっこり)

母は私たち子供に、色々と面白い経験をさせてくれました。

母の思考や子育ては

娘が鬼ギャルになって困った時の参考程度にはなるかもしれません。笑

最近の母はまた何段階もパワーアップして、まるでソルジャー(戦士)のようでしたので

そのあたりも程よく書いていきたいと思います。


今後の目標


実はこのnote、母がまさに生死の境目をさまよっている時に

コロナ制限で娘の私も面会かなわず、出来るのは病院入り口で看護師さんとの洗濯物の受け渡し。

せめてもと母のタオルの洗濯にはえがおのちから(環境に優しいエコ洗剤)を使い、

少しだけラベンダーのオイルを垂らしたりしながら洗濯機をまわす毎日。

『何かのきっかけで、意識が戻ってくれたら。。!』

と願う日々でしたが

こんな時だからこそ

何がどうなろうとも、

「母のことを書いておきたい」と強く思ったのがきっかけでした。

実を言うと、ここまでは序章に過ぎません。

私は文章を書くのが好きなので、特に母が生前(死んでない)伝えたがっていた

様々な社会問題や、あり得ない世界の現状を

母のようなソルジャー(戦士)タイプの戦い方ではなく

娘の私は違った形で

(言うなればハッピー&ユーモアで)

発信&世直ししていこうじゃないか!!

と、涙を流しながら誓ったのです。

まずは、どんな母に育てられ、私はどんな人間なのかを皆様に分かっていただいてから

そのような問題にフォーカスしていきたいと思います。

しかしシステムを変えるためには、勉強と経験が必要です。

行く末は、社会の仕組みを変える為のなにか大きな力を持つことを目標とします。

(中卒だけど)

まずは。。

パソコンが買いたい!!!

※これは病院近くの滞在先のパソコンで打っています笑


最後まで読んでくれてありがとう


今は母のサポートもあり、資金はいくらあっても困らないので、よかったら私たちへのサポートも宜しくお願いします!

何より皆様のサポートが継続の為の励みになります。

楽しんでもらえる記事を書いていきますので、シェアで応援も♡是非よろしくお願いします。

全てのポイントは、愛です。

まとめ


みんな、やっぱりお母さんって特別だよねっ

大事にしよー。(にっこり)

ではまた!

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母and me



言葉を綴ることを生業に出来るまで、がんばります!記事を早く書けるように努力します!それまで何卒みなさまの力で、わたしをサポートしてくださいませんか〜?!