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個別化(皆ぼっち)の時代が指数関数的に加速してるんじゃないかって思わざるを得ないという話。-続

この記事は、

「個別化(皆ぼっち)の時代が指数関数的に加速してるんじゃないかって思わざるを得ないという話。」の続きになる。

最近podcastに傾倒しているので、そこから記事のきっかけになる情報を得ることが多くなった。

今回参考にしたのは、こちらの方々のpodcastである。

「10-リモートワーク「通勤5割」減る?」という回が、この記事の由来となる。

さて、このpodcastの中で気になった発言内容が、リモートワークの進展に伴う通勤の割合の低下が、「家」と「カイシャ」以外の新たなつながりを人が求める要因になるのではないか、ということだ。

もちろん、働いているの全員が、リモートワークに関係しているわけではない。しかしだからといって、この起こり得る変化を全く無視するわけにもいくまい。

「家」や「カイシャ」以外に、新たなつながりを求める際、それはきっと自分の趣味趣向に即したものではないだろうか。わざわざ、自分が興味を持っていない集団に属そうとする方が、珍しいだろう。

裏を返せば、人々は自分の価値観にそぐわない人間とのつながりをどんどん稀薄にしていくということかもしれない。地縁という固定的なつながりを失った現代人は、自らが自己を表現していかなければ、自分を受け入れてくれる集団を見付けなければ、自分の存在意義を保つことが難しいことも関係しているかもしれない。

ここでも、格差が広がっていく。

そもそも、生活の為に働かざるをえない人は、第三の空間や集団を見付けることすら困難かもしれないわけで、リモートワークが可能な人間との「格差」が既にそこにある。

さらに、自分と価値観が合わない人間が、ほとんどである場合、第三的な空間や集団を見付けたとしても、所属することがむずかしい。そもそも人間と接することが苦痛であると感じる人も、いないとは限らないし、リモートワークが可能でも、必ずしも自分が安心できる第三空間を見いだすとはいえない。

働かざるを得ない人

リモートワークが可能で、新たな集団に嫌悪感が無い人

リモートワークが可能であっても、集団に属せない人

「自由」や「働き方改革」や、人を縛らない制度や空間が容認されていくにつれて、つながりにおける「格差」が広がっていくのではないか。つながるひとはどんどんつながり、つながらない人は、どんどんつながらなくなる。

これは大学生にも言えることだ。もし来年もオンライン授業という形になるのだとしたら、友達だったり、サークルだったり、部活だったり、まぁ新たな人間関係の構築が難しくなる。一回生は今年の一回生と同じように、履修だったり大学生の生活の環境になれるのに時間がかかったりするだろうし、二回生も二回生で、もしすれば、上とのつながりも、下とのつながりも、或いは横とのつながりも稀薄なものになっていく恐れさえある。ぎりぎり回避した2020年で二回生の人たちは、一回生の時に得た人とつながり続け、そのつながりをさらに大切にするかもしれない。またここでつながり「格差」が広がっていくのかもしれない。

対面で会うことは全くないのは、正直キツイ、のかもしれない。

何もかもが流動化する。

土地も。情報も。人間も。仕事も。集団も。商品も。会社も。文明も。考え方も。

固定的なものなんてどこにもないような。いや、人間の作り出してきたもののほとんどが、流動的であったと考えた方がいいのかもしれない。

ただ自然だけが、原生林だけが、人間と比して固定的であるのかもしれない。

流れ流れるのだとしたら、その流る先にあるものは、一体なんなのだろう。




今日も大学生は惟っている。




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