見出し画像

探してみれば結構あるもの

インターンの宿題で色々調べものをしていると、本当に様々な人々が活動をしておられるのだと感じる。探せばそこに在るのに、切欠が無いというだけで、知らないことをそのままにしているということは、嫌と言うほど明らかになったというわけだ。活動そのものは、決してネット上で話題になっているわけではないかもしれない。というか、わざわざ検索しなければヒットしないし、該当する検索結果も20件とかだから、そりゃそうだと言わざるを得ないか。

嫌な時代になったものだ、とそれっぽいことを言ってみるが、まぁあながち間違いではないような。同じような基準で、同じようなプラットフォームで、競争をしているのを傍から見ていると、はて多様性はなんだったのかと疑問に思ってしまう。昆虫や動物や植物は、あんなに種類があるのに(でも「生きる」という一つ軸で争っていると言われたらなんとも言えないけど)、人間の生き方は、数十年前から、或いは近代化が始まったその時から、ずいぶん画一的なものになったのだなぁと。二年生(つまり今)の講義を受けていて、「生き方って、本当は多様なはずなのに、どうして何もかもが同じようになっているのか?」と講師の方が発言していたのを見て、衝撃でしかなかったのは、実は去年2020年で最も忘れられないものだったりする。そのことに気づけなかった(即自的になっていた)自分が、不思議でならないのよね。

バズりたいとか。再生回数とか。ハードの数とか。低評価やコメントの数とか。そういうのを見て、もしかしすれば自分はダメな人間かもしれないという価値観を、いつから内在化してしまったのだろう。もっとそういう類のものを集めて、人から認められなきゃとか。そういう価値観が人々の間に膾炙して、一つの大きな大きな軸と化していることが、凄く危険かもしれないということは、なんども勉強したはずなんだけどな。

ネット上にある情報が総てではない。しかしネットを全く使うなというのは、今この地球に住んでいる多くの人間にとっても、そしてワタシや今関わっているインターンやプロジェクトにとっても、大きな損害だ。それに頼らねばならないというのは、悪いことなのか、それとも良い事なのか。わからない。だが一つ言えることと云えば、ネット上以外の世界で、誰かが生きているということだ。今は現地に赴いて何かをするということが咎められることもあるので、厳しいかもしれないが故に、この世界は本当に存在しているのか? というところまで思ってしまうことも無くはないけれど。しかしその糸口も、ネットから見つけなければならないとは、やはりワタシはネットに依存しているのだなと感じざるを得ない。

バズりたいわけでもない。しかし認知してもらわねばならないことがある。そのアンビバレントな状況からは、きっとこの先数十年(生きてるなら)抜け出すことは難しい気がする。そこに人が集まっているのだから。人が集まるところで、なんかやる。これはいつまでたっても、変わることは無いのだろう。そう思うと、人間がほぼ消えた未来の世界はきっとひどく淋しいなぁと。まぁ当たり前かもしれないけども。あ、人間が死んだら家畜にされた動物も、人間がいないから生きていけないんだろうなとも思った(今は関係無いか・・・)。

随分話が逸れてしまったが、結局何が言いたいのかというと、別に何にもない。いつも通り。今日も大して変わらない。そんで今年は、僕のヒーローアカデミアのアニメが放送されるってことだけ書いておく。



今日も大学生は惟っている





🔵メインブログ🔵



サポートするお金があるのなら、本当に必要としている人に贈ってくだせぇ。