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僕のヒーローアカデミアの備忘録

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「僕のヒーローアカデミア」について黙々と、様々な視点から書いています。感想?そんな柔なこと書いていません。ヒロアカ狂信者なりの、狂信者らしい文章たちがここにいます。
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記事一覧

情報は無いけど、語れる人間に:僕のヒーローアカデミア

ブーム。流行。今話題のもの。そういうものを1990年からの現代社会の人間は飽くことなく求め続けていくのだろうなと、昨今のマスメディアやあらゆる「作品」と呼ばれるものとの連関を見て感じている。ワタシが生きている間は、終わりの無いアイデンティティの確立への希求が続いていくのだろうか。それはちょっと悲しいというか、随分つまらない世界(地球)になってしまったのだろうな。 ワタシは、いわゆる流行りだからというものがよく分からないと思っていた。高校生の時、いつかサッカーのワールドカップ

贈与論とOFA

僕のヒーローアカデミアについて、相変わらず言葉を尽くして語っていく。これで、僕のヒーローアカデミアのメインのテーマとして扱った記事は、19本目となるのだけれど、19という数字を存外少ないと感じた。100個くらい書くぞと言っていた割には、全然ですな・・・。 さて、今回は、僕のヒーローアカデミアにおいて重要な役割を果たす個性、特に「ワン・フォー・オール(OFA)」について、また書いていこうと思います。 OFAについてそもそも、「ワン・フォー・オール(OFA)」とはどのような個

MHA HEROES:RISING を語る

※ネタバレ注意です。 これはヒロアカ狂信者のヒロアカ狂信者による、ヒロアカ狂信者のための記事となります(なってほしい)。なかなか書いていて時間を忘れることの出来るテーマは、今のところ「ヒロアカ」か「ヨルシカ」くらいだなぁと思う所・・・。まぁとりあえず、「僕のヒーローアカデミア」についてただただ語り、記すだけの「無為」を楽しんでいただけたらと思います。 散歩をしている時に、どうしても去年(2019)に見た、「僕のヒーローアカデミア HEROES RISING」について、その

誰かに明るい未来を示すことは、誰かの明るい未来を奪うということだと:僕のヒーローアカデミア

僕のヒーローアカデミア第四期第85話「開催文化祭!!」(アニメベース)に、こんな台詞がある。 これは、ラブラバ(相葉愛美)というヴィラン(?)の台詞だ。 やめてよ放して!ジェントルを放して!放して!いやよぉ!...ジェントルが心に決めた企画なの!大好きなティーブレイクも忘れて、準備してきたのぉ!放せ!何が明るい未来よ!あたしの光はジェントルだけよぉ!私のジェントルを奪わないで!奪わないでよ!     僕のヒーローアカデミアは、純粋に一人の少年の成長物語としての側面を持っ

「僕のヒーローアカデミア」は、世相を表している作品だと思う

ローマのディオクレティアヌス帝(帝政期)は、引退後はキャベツを育てていたそうです。 さて、いきなり関係のない話で始まりましたが、今回「も」ですね、「僕のヒーローアカデミア」について語りたいと思います。僕のヒーローアカデミア関連の記事は、これで大体16記事目くらいですかね。まだまだ書けそうなので、100記事くらいまではどんどん書けると思います・・・! では、参りましょう・・・。 オールマイトの引退が意味するもの作中においては、単行本の11巻で、オールマイト引退を物語ってい

MON EXISTENCE

僕のヒーローアカデミア(フランス語)を読んでいると、面白いなと感じる部分があります。 日本語と英語の翻訳はなんとなく似ているのだけれど、フランス語は結構異なる翻訳になっているということ。 例えば、こんな言葉がある。 そして僕の最初で最後の挫折だ 英語 BUT THAT WAS ...MY FIRST AND LAST SETBACK! フランス語 CETTE DÉSILLUSION...A DÉFINI MON EXISTENCE! 私は、この(特に)フランス

考察 緑谷出久の父親が出てこないのは何故か・他:僕のヒーローアカデミア

ヒロアカの緑谷出久の父親が出てこない理由を中心に、色々な考察をします!僕のヒーローアカデミア”マニア”らしく、ヒロアカを今日も語りつくさん勢いで、語ります! 今回は、「僕のヒーローアカデミア」について書いていきます。 ひとつ目に「緑谷出久の父親が出てこないのは何故か」 二つ目に、「死柄木弔」にとっての「父性」とは 三つ目に、轟焦凍に関わる「父性」と「父親殺し」とは、です。 緑谷出久の父親が出てこないのは何故か まず、緑谷出久についてです。最近、父親が登場しない作品が

「個性」は病気ですか?:僕のヒーローアカデミア

僕のヒーローアカデミアにおける重要なテーマは、「個性」、「ヒーロー」、そして「報い」であると思っている。(これから変わる恐れも大いにあるが。) 緑谷出久を中心に、「ヒーロー」側が対峙する相手は、おそらくこの重要なテーマに関わりのあるものなのだろう。 故に、治崎廻(オーバーホール)を中心とする死穢八斎會とのめぐり逢いにもそういったテーマが含まれているのではないだろうかと思い立った。 さてここで注目したいのは、「ヒーロー」側ではなく、指定ヴィラン団体に指定されている死穢八斎

悪いのは、ヴィランかヒーローか。:僕のヒーローアカデミア

「ヒーロー」はなぜ生まれるのか。それは平和を脅かし、罪のない人をかどわかし、害を与え、生を与奪する輩から人々を守るためである。有り体に言えば、正義は常に悪より生まれ出づる、といったところか。 では、ヒーローは生まれるべきではなかったか。悪いのは、ヴィランなのか。 「僕のヒーローアカデミア」の世界では、「個性」があまりにも強大なのである。では、ヴィランとはなんだろうか。個性で人を傷つけてしまう人?だとしたら、その気が無くても、人を傷つけてしまう個性の持ち主は、自動的にヴィラ

「ヒーロー」と「英雄」って真逆だよな:僕のヒーローアカデミア

不図疑問に惟ったことがある。 僕のヒーローアカデミアや、その他の(例えばマーベルや特撮)に見受けられるような、「ヒーロー」というものは、「英雄」と同義なのかという疑問である。 今年の三月ごろに、このような疑問が浮かんだのだけれど、上手く言語化することが出来ずにいたので、なかなか上手にまとめあげることが出来なかった。しかし、最近日を経て、考えがまとまってきたような気がするので、ここに記しておく。 さて、厳密に区別するために、「僕のヒーローアカデミア」の「ヒーロー」と、元来

皆チガッテ、皆イイ:僕のヒーローアカデミア

皆「皆違って、皆いい」というものが、金子みすゞの文言の中にある。 それは、個々人の個性を尊重するものか はたまたある意味で、万物は等しく同じものだと暗喩しているものか 言葉というものは不思議なもので 捉え方次第で、どのようにも解釈できてしまう。 不図、この「皆違って、皆いい」という一言を、「僕のヒーローアカデミア」という作品に当てはめると、どのように解釈が可能なのか、ということに考え及んだ。 「皆違って、皆いい」。「個性」という要素が、作品の中で極めて大きな役割を

この徒然な日々に英雄譚の仏語訳を!:僕のヒーローアカデミア

(タイトルは「このすば」風。) もとから家に籠って、読書なり、語学なり、ブログなり、サイトの勉強也、そういうことばかりしていると、この外出自粛も案外耐えることができてしまう。 バイトが無くなってしまって、一向に貯金が減っていくのは痛手だが。まぁ家で自粛していられる側にいるのも、外で働いている方々がいらっしゃるおかげで、感謝の念を示すだけでなく、今出来ることに取り組みたい。 さて コロナによる自粛以前から、バイトだったり、図書館へ向かう以外ほとんど家に籠っていた私は、ど

「言葉」は「ワンフォーオール」。

僕のヒーローアカデミア という漫画には、 「ワン·フォー·オール」というものがある。いや、「もの」という表現は少々適していない。より正確に表現するのならば、「個性」。 さて、 この「ワン·フォー·オール」の説明はオールマイトにして貰うことにしましょう。 個性を”譲渡„する個性・・・それが私の受け継いだ”個性„! 冠された名は「ワン・フォー・オール」〔中略〕一人が力を培いその力を一人へ渡しまた培い次へ・・・そうして救いを求める声と義勇の心が紡いできた力の結晶!!!(堀

フランス語で「個性」は何故「ALTER」なのか?:僕のヒーローアカデミア

こっちも見てみてね。 先日、僕のヒーローアカデミア の フランス語版を購入し、届いたその日から読んでみた。 出典:堀越耕平、(2014)、『僕のヒーローアカデミア』、(David Le Quéré訳)、集英社 それにしても、不思議なもんだ。 内容は既に知っているはずなのに、何故こうもワクワクするのだろうか… さて、ここでは タイトルにもある通り、 フランス語で「個性」は何故「ALTER」なのか? ということに関して、自分の考えを書いていこうと思います。