見出し画像

#2:伝説の立ち読みstと一発屋芸人

前回の記事で誰に向けて書いていくのか、何を書いていくのかといったこと記した。

今後、MBA生活、コンサルティング業務、英語学習など書いていきたいと考えている。
記事執筆にあたり、私自身の発言の志向性・バックグラウンドを示すために、高校生程度までの経歴を少し紹介させてほしい。

生い立ち:伝説の立ち読みstとの決別

私は、1993年12月30日に神奈川県・横浜市に生まれました。
年末の世間が忙しい時期に生まれ、学生時代は冬休み真っただ中の日にちのため大概、忘れ去られがちな時期といえるかと思います。「あけおめ!!あ、誕生日おめでとう!!」というメッセージを学生時代は良くもらいました。

また、一人っ子として生まれ、母と父に甘やかされながら、至って普通の家庭で幼少期を過ごしました。
事件はKazu少年9歳の時に起きた。

父「ちょっと、コンビニにジャンプ立ち読みに行ってくる」
ジャンプとしっかり明言していたので、今でも月曜日の出来事ということをしっかりと憶えている。
いつもと変わらないトーンでふらっと家を出た父だった。
が、夜が更けても帰ってこない。翌日も帰ってこない。

21年たった今も帰ってきていない。
そう、察していただいているかと思うが、
彼はジャンプ→サンデー→FRIDAYと好きな雑誌をローテーションで立ち読みを続けるあまり、帰る暇がないにちがいないのである。
彼は、生存確認がなされれば、連続立ち読み時間でギネス世界記録樹立が約束された伝説の立ち読みstと化したのだ。

そこから母と二人三脚の生活が始まり、母は某パン工場で働きながらKazu少年を養ってくれた。
未だに頭が上がらない想いである。
当時、病気がちで小学校はほぼ出席していなかったので、なおさら苦労を掛けたと思っている。

ターニングポイント:一発屋としての目覚め

モデルケースのようなエリート街道を歩む人たちと比較すると、小学校6年間、ほぼ勉強をしていなかったし、スタートを切るのがだいぶ遅かった。

中学校時代から少しずつ体調も整い、通学できるようになってきたころ、ここから少しずつV字回復ができたように思う。

その要素として振り返れば、与えられた環境の中で一芸特化・一発屋芸人的な立ち振る舞いで少しずつ立場を確立できたことにあると考えている。

例えば、一つは英語である。当時は、小学校から英語学習をしている学校は稀であり、中学からまともに勉強を始めた私は、他の生徒と同じスタート地点から学習を開始できた。ここだ、と決め込み誰よりも勉強したと記憶している。(尚、残念ながら、英語の日常会話としての運用能力としてはこの段階では一切習得できなかった。当時の素直な私は、日本英語教育を純粋に享受し、喋れないペーパー英語マンと化してしまったことは反省点である。)

上記は、単なる一つの学習科目の例でしかないが、振り返るとその後の人生も一芸で特化する経験を幸運にも重ねられたことは、立ち直れた一つの要因であったと考えている。
別の記事でも触れたいが、本業のコンサルファーム内における特定テーマでの専門性、趣味であるカメラ技術の向上、登山における欧州最高峰登頂等で、一つずつ一芸を特化させることができたのは大きな学びがあった。

興味・関心:人生におけるミッション

「ビジネスの力をレバレッジし、子供たちが出生環境に依存せず活躍できるような社会の実現に寄与するような仕組み・モデルを構築する」
今日時点の私のミッションである。

こう思うに至った背景には、幼少期の母への感謝が根幹にある。
母は、伝説の立ち読みstが旅だった後、女手一つでパン工場で働き続け、
酷い時期は1か月無休で働きながら育ててくれていたことを覚えている。

母の姿を見て、感謝の念が尽きないとともに、
母にしてもらった分社会に還元したいと思うに至ったことが熱意の根幹にある。

マザコンと捉われてもよいが、
自身の原体験に基づいている分、自身のキャリアや仕事に対する熱量はかなり強い部類ではないかと思う。

とはいえ、まだまだ小さな影響しか与えられていないし、
MBA留学などを通じて、一つずつ与えられる影響を大きくしていきたい所存である。

まとめ:今後の展望

38歳という若さで外資系コンサルティングファームAT.Kearneyの日本法人代表となった関灘茂氏曰く、「尖った個」の集合がプロジェクトの価値最大化につながるという。

私自身、器用にエリート街道を歩んできているわけではないと考えているため、平均値の高さで価値を出すのではなく、
いくつかのパラメーターで一芸特化し、価値を出せるような生き方を戦略的していきたい。
また、それを下支えする強いパッションが重要だと信じていたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?