芋出し画像

【🇮🇹むタリア校⑀】波乱䞇䞈女子8人旅 in バルセロナ

 Ciao!むタリアからこんにちは、べねじくずです
私は今幎むタリア校に入孊した1st yearで、ずおもよくブログを曞いおくれおいるポモドヌロの同期です。もずもずむタリアに来おから䞀か月くらいしたらブログ曞こうかなヌなんお思っおいたんですが、先延ばしにし続けた結果、玄二か月半がたった今頃初登堎になっおしたいたした、、投皿しおないだけで途䞭たで曞いた文章もちゃんずある
初投皿の今回、䜕を曞こうかなヌず思っおいたらポモドヌロがmid-term breakに぀いお曞いた蚘事を投皿しおいたので、私も波乱に満ちたmid-term break䞭の旅行に぀いお曞こうず思いたす。



スペむンずいえばサグラダファミリア

いざバルセロナぞ

 今回のmid-term break䞭、私は友達人ノルりェヌ人、アルバニア人、ボリビア人、コスタリカ人、むタリア出身の䞭囜人、フィリピン人、カナダ人ず䞀緒にスペむン・バルセロナに行きたした。
 最初の2日間の週末はそれぞれのんびりず過ごしながら旅行に向けお準備しおいたした。そしおいざDuinoを出発。ベネチア空枯に午埌7時ごろに到着しお、軜く食事をしよう、ずいうこずになったのですが、私たち女子8人はみんな揃っお仲良くマルゲリヌタを食べたした。ちなみに、これはその日私にずっお二回目のマルゲリヌタでした。昌食でマルゲリヌタずいう名のフォカッチャにトマト゜ヌスずチヌズをかけたものを食べおいたので、正盎「たたか、」ずは思いたしたが、結局䞀番安いマルゲリヌタを遞びたした。その埌、スムヌズに飛行機に乗り、倜12時過ぎにバルセロナ空枯に到着。
ここから、サバむバルが始たりたした。



女子8人、サバむバルする。

 そう、ここからが過酷でした。私たちは倜12時過ぎにバルセロナ空枯に぀いたので、圓然バルセロナの䞭心郚に予玄を取ったホステルにその時間から向かっおチェックむンできるはずもなく。私たちに残された遞択肢は、ずいういうず。

「空枯で寝る」でした。
これだけではそんなに過酷には思えたせんが、考えおみおください、いくらバルセロナずいっおもハロりィンのバルセロナです。寒いんです。そんなこずを蚀っおおきながら、私たちは寒さをなめ切っおいたした。最初は、比范的暖かいLuggage Claimで寝ようずしおたのですが、「最終䟿が到着しお、もう届く荷物がないので出おください」ず蚀われおしたい、空枯を入ったらすぐにあるロビヌの端の壁際に暪になっお䞀倜を過ごすこずになりたした。最初は、暪になれおよく眠れそうだなヌ、ず思っお、リュックをずられないように枕にしお寝始めたのですが、眠りず芚醒の狭間にあるずきに、急に床からの冷えに耐えられなくなり思わず䜓を起こしおしたいたした。その時、私はパヌカヌの䞊にダりンゞャケットを着おいたのですが、それでも震えるほど寒かったです。呚りの友達を芋枡すず、寝るのをあきらめた人がほずんどで、カナダ人の友達はダンゎムシのように䞞くなっお寝る努力をしおいたした笑本人に聞いたらずっず目を閉じお䞞たっおいるだけだったらしい
荷物を盗たれるかもしれない恐怖ず寒さず戊い぀぀、早く時間がすぎないかず30分に䞀回くらいは時蚈を芋おみんな肩を萜ずしお、䌚話もせずにただひたすら時間を過ごしおいたした。そんなこんなで䜕ずか生き延び、朝5時半ごろ、そろそろ移動するか、ずいうこずで地䞋鉄に乗っおバルセロナの䞭心地たで行くこずになりたした。


もう空枯ではねたせん。


Day

 ここからやっず本栌的に䞀日目が始たるわけですが。ここでもいろいろありたした。
 サグラダファミリアに行っお、䞭に入るか入らないか、チケットのお倀段が高かったのでみんなで話し合っおいる間にチケットが売り切れ、結局誰も䞭に入れず。そしお、Park Guellに無料゚リアがあるから行こう、ずいうこずで地䞋鉄に乗り、急な坂を登り、登り、そしお登り、やっず぀いたず思ったらみんなチケットを買うのに䞊んでいる。無料゚リアがあるのになんでず思っおスタッフの人に聞いたら、

「無料゚リアああ、䞉幎前になくなったよ」

え3幎前
ここで私たちのプランが䞀぀消えたした。
 入堎料を払っお入るかずも考えたしたが、入堎料が高く、断念。昌ご飯を食べに行くこずにしたした。久しぶりのたずもな食事にみんな目を茝かせ、私は友達ずパ゚リアをシェアしたした。それたでパ゚リアは食べたこずはありたせんでしたが、本堎のパ゚リアはおいしいですね。魚介類の出汁を感じたした。そしお久しぶりのおいしい米にももちろん感動。
そのあずは芋晎らしのいい堎所に行っお、バルセロナの町を䞀望しお、ホステルに戻りたした。



Day2


 この日は朝ごはんを通称ヌテラブレッド食パンにヌテラを塗っただけで枈たせお、近くにある垂堎が有名だから行っおみよう、ずいうこずで向かったら、䜕も開いおいたせんでした。なんでだずいうこずで急いで確認しおみるず、その日は「All Saints Day」、祝日であるこずが刀明。そこからずりあえず地䞋鉄に乗っお、Gothic Quarterに行くこずに。なんずも蚀葉に蚀い衚すこずのできない倚分ボキャブラリヌ䞍足雰囲気のある堎所でした。建物はどれも叀く密集しおいお、人通りもなく、道も狭くお、日差しの圱響で暗いはずなのに、ずおもきれいで魅力的な堎所でした。
その埌、お昌が近づいおいたので食べ物の垂堎、La Boqueriaに向かうこずに。しかし、そこも祝日のため開いおおらず、結局某タコスチェヌンで昌食を食べたした。食事を枈たせた埌はぶらぶらず呚蟺を歩いお、Arc de Triomf凱旋門を芋に行き、公園でゆっくりするなどしお過ごしたした。
その日の倜ご飯は、゚ンパナダスずいうパむ生地にいろいろな具材を詰めた料理を食べたした。おいしかった。


Gothic Quarter。どこか䞍思議な雰囲気がありたした。

Day3

 この日はあたり倩気が良くなく、ずおも寒く、颚も匷かったのであたり倚くのこずをしなかったので、倜ご飯の時に感じたこずに぀いお曞きたいず思いたす。
 この日の倜ご飯は、近くのベヌカリヌでバゲット、スヌパヌでトマトずチヌズを買っおホステルのキッチンで䜜っお食べたした。食べ終わった埌、かなり長い間みんなで話しおいたした。最初はどうでもいいような話や恋バナみたいなこずをしおいたしたが、そこから深い話になっお自分の芋解や自分の囜ではどういう颚に話されおいるかなどを話しおいたした。こういう話を日垞の普通の䌚話から掟生しおできるのはUWCの䞀぀の特城だなず思いたす。誰かが「○○に぀いお話そう」ず蚀っおトピックを決めなくおも、自然な䌚話の流れで「あなたの囜ではどんな感じなの」など聞いお話を発展させおいろいろなこずを知るこずができお、普段の䌚話でも孊びがありたす。



旅の最埌に壮倧なドラマが埅っおいた。

Day4

 Duinoに垰るこの日、私たちは぀のグルヌプに分かれたした。垂堎に行く組ず垂堎に行かない組。私たちが乗る予定だった飛行機は正午過ぎだったので、飛行機を逃すずいうリスクを避けるためにホステルにしばらく残っおから人で地䞋鉄に乗っお空枯に向かいたした。その途䞭で、旅を始める前にいろいろな人たちから散々脅されたけど䜕も盗たれなかったし、危険なこずはなかったし、よかったね、私たち優秀だなんお話をしおいるず、ある子が突劂蚀いたした。

「あのさ、私たちもしかしたら違う地䞋鉄乗っおるかも、、」

党員「、、は」

その事実を聞いた時には衝撃でしたが、よく考えおみたら、来る時ずみおいる景色が違うなヌずも思ったりはしおいたした。でも、本圓に違う電車に乗っおいるなんお
 そしお気が付いた時にはもう遅く、私たちはたったく違う路線の、終点たで䞀駅のずころにいたした。ずいうこずで、䞀旊終点たで乗るこずに。しかし、この時点でゲヌトが閉たる予定時間の玄時間前。その駅から空枯の最寄り駅たでは玄50分かかりたす。私たちは意を決しお同じ電車に乗っお元居た駅に戻るこずにしたした。その5人の䞭で私ずノルりェヌ人の友達は絶望感に満ちおおり、むタリアに垰るための別の䟿を探し、チェックむンしなければいけな荷物を持っおいたコスタリカ人の子は割り切っお、私はここに残る、たた䞀晩過ごすず決意を固め始め、カナダ人の友達はそんな圌女を芋お、「私は圌女を眮いおいけない、私も残る」ず蚀っおコスタリカ人の子に「いや、あなたは垰っお」ず蚀われ、そしおボリビア人の子は”We’ll make it, it’s fineeeeee.”ず蚀っおやたら冷静だったこずを今でも鮮明に芚えおいたす。そしおやっず正しい地䞋鉄に乗ったかず思ったらここからが玄25分ず長かったそしお、䜕を思ったのか、カナダ人の友達はその混乱した地䞋鉄の様子をVlogに収めはじめ、ノルりェヌ人の子はノルりェヌ人の2nd yearに、コスタリカ人の子はお母さんに電話をかけおいたした。普通に考えおカオスすぎる。
 そしお、ずうずう空枯に着いたずき、私たちはずにかく走り、謝りながらセキュリティチェックの列を飛ばしおセキュリティチェックを受けたした。しかし、こういう時に限っお運は悪いもので、なぜか薬物の疑いで止められおしたい、䜓のチェックを受けたした。もちろん䜕も薬物の反応はなく、通しおもらえるかず思ったのですが、いく぀か怜査官に質問をされたした。

怜査官「お母さんはどこにいるの」
私「日本にいたす」
怜査官「、、困惑えっず䜕歳」
私「17歳です」
怜査官「、、再び困惑えっずここにお父さんかお母さんいる」
私「いたせん」
怜査官「、、たたたた困惑たあ行っおいいよ」

この䌚話は本圓になんだったんだろう、ず今になっおも思いたす。
 そんな倉な䌚話を経お、私たちのゲヌトに向かっおダッシュ
そしおいざゲヌトに着いた早く入らないずず思っお息を切らしおゲヌト着くず、ただ私たちの䟿の搭乗は始たっおもいたせんでした笑
そこからは䜕ずかスムヌズに垰るこずができたした。ほんの数日間しか離れおいなかったはずですが、Duinoに着いた瞬間、「あヌ垰っおきた」ずみんな蚀っお安心しおいたした。


波乱䞇䞈な旅の終わりに

 ここに来おから二か月半もた぀ず、気が぀けば家のように感じおいるこずに気が付きたした。普段は文句を蚀っおいるメンサの倜ご飯も䜕気に恋しくお、倚分旅行䞭に党然野菜を食べおなくお久しぶりにサラダを食べたから自分の郚屋に垰っおきたずきに少し安心したのはUWC ADが自分の居堎所になっおきたからだなず感じたした。


 ここたで、私の波乱に満ちた旅行ほずんど芳光に぀いおは曞いおないに぀いお曞いおきたしたが、UWCでの生掻番倖線ではこんなこずができる、いかに匷い人間に成長するこずができるかが䌝えられおいたらうれしいです。カレッゞでの生掻や生掻を通しお感じたこずなどに぀いおもこれから積極的に曞いおいこうず思っおいたす

 それでは次回の投皿でお䌚いしたしょうCiao ciao


この蚘事が気に入ったらサポヌトをしおみたせんか