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考えない日記:古井由吉に出会った日【読書】

 上町休憩室へいつものように彼がやってきた。数年前のことだ。彼は着席するが早いか鞄を広げ、五、六冊の本を引っ張り出しこちらへ押してよこした。私は目の前に積まれたそれを受け取ると、表紙や作者を確認しながら背の低いテーブルへ広げていく。慣れたものだ。というのも彼は毎回、ほとんど必ず数冊の書籍を抱えて休憩室へ到着する。それは近所かあるいは遠出して買い求めたばかりの彼の蔵書なのだ。本日の収穫を拝見する。知っている作家もあるが、未読の本が並ぶことが多いのは彼と私の読書の流れが異なっていたのと、彼の読書量の多さからきていた。読了した覚えのある書籍が積まれると、それぞれの支流を進みながらも時折交差して挨拶を送りあうカヤック乗りの気分がした。

 その日、彼が収穫した数冊の中に古井由吉はいた。何気なく開いたページに石のことが書いてあった。変哲のない一つの石を拾い、長い年月部屋に置く話が短く綴られている。特に何かの用を足すでもないその石を、捨てる気も起こらず引っ越し先に連れていく、そんなような話だったと思うが記憶は曖昧だ。むしろ古井由吉の本ではなくてその一冊前に捲った別の作家の可能性すらある。しかし、私の深く静かなところに古井由吉の名前とその石は並び着底している。この人の文章とは気が合いそうだなという直感を気泡のように浮遊させて。

 用事につけ込んで街の書店へ寄り道したのは、すっきりとしない曇り空の五月十五日、今日の午後のことだ。しばらく前にTwitterでルシア・ベルリンの『掃除婦のための手引書』が文庫化されたことを知ったので物色する。ざっと一回りしてみても見当たらないので店員さんに声をかけ取り扱いを尋ねた。すると棚に一冊だけあるとのことだった。平置きもないし、ダメな本屋だと心の中で呟きながら店員の後を追いかける。指差された上部の棚から最後の一冊を抜く。すると、何か気になる文字列が目の端に映った。古井由吉だった。タイトルには『往復書簡』とあった。日記や往復書簡という言葉に弱い私はルシア・ベルリンを棚へ戻し、そちらを手にとった。

古井由吉|佐伯一麦 往復書簡 『遠くからの声』『言葉の兆し』

往復書簡 『遠くからの声』『言葉の兆し』古井由吉|佐伯一麦 著 講談社文芸文庫 


 副題の『遠くからの声』『言葉の兆し』というのもいい。数ページ捲り、レジで会計を済ませて店を出た。

 ちょうど来た電車は快速特急ではなく普通の鈍行だった。人気の少ない後部列車へ乗り込み座って本を取り出した。電車内での久しぶりの読書だった。乗る距離は長くはなかったが、心地よい揺れに三十ページほど進んだ。到着駅で改札に近い前方車両から出てくる人々の遠い背中を見つめながら「ダメな本屋だ」なんて悪かったなと反省した。降り出しそうにも晴れそうにも思える灰色の雲が低い山の向こうを流れていた。

fine 上町休憩室N


追記:最後まで読んでくださった方への先行情報です。
今月末の土曜日(2022/05/28)に、以前とは別の場所ですが、お試し出張開室を行う予定です。時間等はっきりしましたらまたTwitterで告知します。
上町休憩室Twitter →https://twitter.com/uwaq217


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