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トム・クルーズは現代のチャップリンやキートンか!?ミッション:インポッシブル デッドレコニングの感想?!

トム・クルーズは今回の映画『Mission: Impossible : Dead Reckoning Part One』において人間の走る姿の素晴らしさを伝えたと思います。それはバスター・キートンの映画『キートンのセブン・チャンス』で花嫁達が大人数で彼を追いかけるシーンに通ずるものがあります。人は人が走ることに感銘を受ける。それが映画の醍醐味の一つだということを再認識させてくれます。
またはチャップリンが『モダン・タイムス』で大きな歯車に挟まって機械に飲み込まれるシーン。面白くて笑ってしまうのだけど、よく考えると結構危険な撮影をしている。体は歯車に沿って変に湾曲しているし、実際にセットとはいえ挟まれながら移動していくことが安全な訳がない。
現代のチャーリー・チャップリンでありバスター・キートンであるトム・クルーズは映画を愛している。だから彼も同じように全部自分でやりたい。
現代ならCGでもできるし、AIに画像生成させることもできる。スタントマンを使っても誰も責めない。しかしトムは全部自分でやりたい。映画が大好きだから。
トムは映画のためなら自分でヘリコプターや飛行機を操縦する免許をとる。空中ダイブも錐揉み操縦も、飛びたつ飛行機に生身でしがみつくのも全部自分でやる。
何のため?と聞くと「観客をハラハラさせたいんだ」と答える。ちょっと待ってトム。観客以前にスタッフが製作陣がハラハラしています。そういうのは普通、馬鹿売れする前の若手がやることだし、売れたらもう本人はやらないんですよ。

全然ライバルではない007とMI


ミッション:インポッシブルと007は比べられることがあります。確かに両方ともスパイものだし、サスペンスアクションだしマッチョなヒーローものです。しかし、例えるならば、007の主人公は雇われのシェフで、トム・クルーズのミッション:インポッシブルはオーナーシェフのレストランです。オーナー自身がいかにお客さんを驚かすかということに心血を注ぐ。そしてここはレストランではなく映画なので、彼は命をかけて大好きな映画を撮る。それは観客のためでもあり自身の為でもあるのでしょう。彼は映画を作ることをやめられない。自身で演技することをやめられない。それは必然的に老いとの戦いや和解になる。できないことが増えてくるし、自分の姿態を晒すことになる。しかし辞めない。彼は「八十歳になってもミッション:インポッシブルを撮りたい」と答えています。
前述のバスター・キートンのバスターとは彼が怪我をしない丈夫な子供(バスター)だったところから来たそうで、彼もまたスタントマンを使わずに映画を撮りました。トムがビルに飛び移るシーンで骨折した話は有名ですが、キートンも撮影中に首の骨を折ったことがあるそうです。
(参考→https://ambos.hatenablog.com/entry/2016/08/30/213046 / https://ofuna-cinema.com/sevenchances/ )

虚構の中に浮かぶ現実


トム・クルーズは演技以外にもトップガンの続編を作るために自ら映画化権取得に動くなど、自身の映画制作に全身をささげてきました。「みんなをドキドキさせる」そのために突っ走る。内容や物語は虚構かも知れないが、演じている人間そのものは紛れもない現実であるという映画。
スクリーンに写るのは光の反射という虚構かも知れない。しかし、その光や影、音を通じ一人の映画人の全力疾走が浮かび上がる。世界中の観客は、こうして映画という魔法に包まれます。虚構による紛れもない現実を突きつけられることで、人は心を動かされてきたのではないでしょうか。
今回の映画では崖からバイクごと飛び降りるシーンや列車上でのアクションが告知動画でたくさん流れました。危険な撮影の山場のような場面。しかし、個人的に一番心が動いたのはトムがただただ全力で走るシーンでした。トムがまだ走っている。必死になって走っている。たったそれだけの全力投球。
レイトショーで1500円。映画館でトム・クルーズという現代に生きる稀有な映画人に同化できる価格としては破格なお値段に間違いありません。さぁ劇場へ走ろうではありませんか。61歳の疾走を目に焼き付けるために。

fine (休憩室管理人 N)

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