見出し画像

頓挫本 2020

今年手に入れたものの年末までに読み終わらず、いまだ寝床の淵や卓上の隅を守っている“読了頓挫本”をここへ書いておこうと思います。

頓挫とはいえ読もうという意思はある訳で、長らく工事の止まっていた名も無き道が、ある日急に掘り起こされる為の休工看板とも言えるのです。


『放哉と山頭火 死を生きる』渡辺利夫著 ちくま文庫

画像1

定期的に逗子でお仕事があり、その前後の空いた時間に「ととら堂」という古書店に寄り道します。『放哉と山頭火 死を生きる』は11月辺りに購入した覚えがあります。二人の詩人を通して死を生き、詩に生きる人間の姿を・・といいたいところですが、まだ前半の前半しか読めていません。病弱さに委ねた自分本位な態度の尾崎放哉が中国へ渡り、また京都へ戻ったところです。
しかし、「身体が弱い」や「病気」という精神状態はそうなってみたことのない人間には分からない諦めと心残りがある様に思います。
放哉が彼の短かった人生にどの様に詩をそっと置いていったのか、早く続きが読みたいと思います。


『ホット・ウォーター・ミュージック』チャールズ・ブコウスキー著
山西治男訳 新宿書房

画像2

ブコウスキーが仮に現代の人だったならば、彼の発言や著書が出るたびにSNSは炎上していたことだと思います。どの著作を開いても同じ様に火種があり、それは主に女性や暴力に関してのものです。しかし、彼の著作の中でチョムスキーと呼ばれる主人公の男は、暴言を吐き腕力に自信のある一方で、女性からもコテンパに罵詈雑言を受け、殴られ、捨てられ、裏切られる。
つまり、性別を超えて酷い目に合い合わせる人間たちが加害者にも被害者にもなりながら、どうしようもない世界の見捨てられた曲がり角でぼそっとひとり呟く。
行為だけを見れば本当に救いようのない彼らのポケットの中には、他者から見れば紙屑同然のそこはかとない優しさや弱さが、日々の不条理に握りつぶされ丸まっている。

と、書いておきながらこの本はまだ1ページも読んでいません。つまり、過去に読んだ作品からブコウスキーを判断しているわけです。時々読みたくなるというよりも、「聴きたくなる」に近い作家。きっとこの本でもブコウスキー節は変わらないだろうと思い、開かないまでも目のつく場所に置いてあるわけです。急にかけたくなるCDやレコードとして。


『目白雑録』金井美恵子著 朝日文庫

画像3


書店で本を物色しているときに、そう言えば誰かが「書架で山田⚪︎×氏の著作を探している最中に金井恵美子を読み出したらそれどころではなくなった」と書いていたことを思い出し、弾みで手にした一冊です。
少し乱暴な物言いのため思ったほど進みは順調ではなく、ボチボチと捲っていました。しかし、あるとき便所に連れていったら思いのほか前進したのでそれからは自然が呼ぶたびに金井さんを同席させています。
写真を見たことはありませんが、新聞を切り、ファイルにしているらしいその姿は意外と可愛らしいのではないかと想像しています。


『怪しい来客簿』色川武大著 文春文庫

画像4

何をして生活しているのか傍目には殆ど分からない様な人に出会うことがあります。先日は「バナナ王になる」と宣言した人物が突然表に現れて三十分ほど話し込みました。住んでいる地域も全く異なる場所なのに、何故か話す言葉がスラスラと出てくるのは相手が好人物だったせいでしょうか。
『怪しい来客簿』の色川さんは、戦中戦後の東京界隈で自身も怪しい仕事や行いに手を染めつつ、訪れる来客や時代の変化を独特の眼差しで綴っていきます。書かれなければ知られることのなかった影の中の人物や、ひとときの光を浴びながらも、やがてひっそりと消えていった人間たちが紙上に色濃く生きています。
こちらはほぼ読み終わり、残すところ解説のみとなった一冊です。

他にも日本語版を手に入れるまでは決して読了することのできないルシア・ベルリンの『掃除婦のための手引書』の英語版や、もったいなくて読了をあえて先延ばしにしている『モダン・ネイチャー デレク・ジャーマンの日記』『戦時の手紙 ジャック・ヴァシェ大全』などにも栞が挟まったままになっています。

些細な理由のために止まっている読書は、些細なことで再び始まる。それでは2021年も小さなことから引き続きよろしくお願い致します。

本の読める休憩所:上町休憩室 管理人N    (疫病対策につき臨時閉室中)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?