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受験エッセイ『付箋まみれの日々』 3.「課外」
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高校3年になると、「課外」というものが出現した。通常授業とは別に、放課後の時間などに授業を行うアレである。
私はこの課外が怖かった。課外が始まってしまったらいかにも「オレたち受験生!!」という感じがするし、先生方が
「3学年になると、いよいよ課外が始まりますね」
と「課外」の前に必ず「いよいよ」を付け足していたからだ。
体力的にも持つ気がしない。そもそも、毎日7校時分の授業を受けているのだ。そこにプラスして放課後も授業を行うなんて、悪ふざけにしか思えない。時給が発生しないとやっていられない。
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「課外ヤダなぁ。放課後はすぐ家に帰りたいなぁ」
と思いながらも、月日は経過していく。じわじわと課外は近づいてくる。まるでジェットコースターに乗るための行列に並んでいるような気分である。乗りたくもないのに……。
定期試験が終わったタイミングで、無情にも課外は始まってしまった。休みは火曜日だけ。火曜以外の平日4日は、放課後が消滅した。
課外を受ける教科は、もちろん受験で使う科目だけである。私の場合は、物理、化学、日本史。数学は普段の授業で問題演習を行っているので、初めのうちは課外がなかった。
物理も化学も日本史も、やることは問題演習である。席に着いたら最後、大学の過去問やセンター試験の過去問を解きまくる恐怖のジェットコースターが発進する。
物理も化学も難しかった。最初のうちは全然解けず、何度もメンタルがやられた。時間は足りないし、問題の計算量も多い。それでも周りには解ける人がいるのだから、自分の実力不足がいっそう際立ってくる。
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その反動として、私は日本史が好きになった。覚えれば覚えるだけ解ける問題が増えていくし、歴史のストーリーを学ぶのは面白い。
ただ、日本史は共通テストでしか使わない上に、その配点も低い。理系の受験生にとっては、あまり時間をかけてはいけない教科であることも事実だ。
だが、日本史は楽しいのだ。「覚えたら解ける」という単純さは、理系科目によって萎んだ心を温かく癒してくれた。そこにはまるで麻薬のような依存性があった。
私の場合、放課後の課外に行く前にトイレ掃除をしなくてはいけなかった。私を含め、同じくトイレ掃除の係だった他のクラスメイトたち全員が「課外に遅れてはならない」と焦っていたので、当然掃除は雑になり、トイレは日に日に汚くなっていった。
便器をゴシゴシした後、解けるわけでもない問題を解きに行く。自分が置かれた境遇に、とてつもなく惨めな気持ちになる。私は「くそう、くそう」と泣きそうになりながら、別に取れるわけでもない尿石を擦っていた。
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共通テストが終わると、ついに通常の授業が消えた。朝から課外がスタートして、一日中問題演習を解くようになったのである。「課外」という名前はもはやふさわしくない。「キツ授業」とかに改名するべきだと思う。
共通テストが終わったという事は、日本史を学ぶ必要が無くなったということだ。誰もが教科書を投げ捨て、苦労して覚えた内容を一瞬で忘れた。都合よく捨てられる日本史って一体……。ごめんなさい、先生。
日本史が消えた代わりに、課外には英語と数学が追加された。2次試験まで、英語、数学、化学、物理の問題演習を繰り返さなければならない。この時期になると解ける問題も増えていくが、上には上がある。問題が解けるようになれば、先生が解けない問題を出題するだけだ。終わりの見えないマラソンは、受験生の心身を疲弊させた。
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しかし、課外はどうしても休めなかった。「この時期の課外を休む人は、受験に失敗する」というジンクスを先生に吹き込まれたからだ。それも、合理的でさっぱりとした性格の数学の先生に言われたので、信ぴょう性はかなりある。
なけなしの根性を振り絞り、毎日自転車を漕ぐ。映画のワンシーンだったら観客は泣いているだろう。友人たちも色々と不平不満を述べながら、なんやかんや毎日課外に来ていた。みんな立派である。
日々の課外で怖かったのが、先生たちの何気ない発言である。
「このくらいの問題なら解けるよね」
「まぁ、皆さんなら大丈夫だとは思いますが」
「20分も要らないですねこの問題」
これはもう、脅しだ。包丁を突きつけられて「命乞いをしろ」と言われているも同然だ。こういう類の発言があると決まって私の手は震え、窓の外の青空を見て嘆いた。「ここから出して……」
問題演習で解いたのは、日本全国様々な大学の過去問たち。化学、数学、英語は毎回プリントで配布され、物理は丁寧にも冊子にまとめられて配られた。別途問題集を買う必要はなくなり、「ごちゃごちゃ言ってねえで課外受けりゃいいんだヨォ!!」という状態になった。
この形式は優柔不断な自分にとても合っていた。自分であれこれ考えずに指定された問題を解けばいいのだから、問題集選びに労力をかけずに済む。私にとって課外は、「信じられないくらい急な坂だが、真っ直ぐ歩けば絶対に目的地に着く道」のようなものだった。あとは耐えるだけなのだ。
それにしても、本当に色々な問題を解いてきた。教科書の全範囲を課外でカバーしようとするのだから、配布されるプリントの量はべらぼうに多くなる。生徒全員分のプリントを業者に回収してもらったら、トイレットペーパー1年分くらい貰えそうな程の量である。
しかし、これほど多くの問題を解いても、本番に出題されるのはほんの一部なのだ。200ページの教科書を丸々学習しても、試験に出るのはそのうちの20ページ分くらいであって、あとは徒労なのだ。
このことを、私は2次試験が終わった後に気づいた。言われてみれば当然のことなのだが、課外を受けている時の私は目の前の問題を解くことに必死になっていて、この事実を意識していなかった。
言ってしまえば、試験に出た内容以外の学習は徒労になる。
解けなくて震えた問題も、徒労。試験直前になって焦って確認した内容も、徒労。解き方を完全に忘れてしまい、教科書に戻ってイチから復習した事も、徒労。
毎朝向かい風の中で自転車を漕いだことも、電車の中で眠たくなりながら教科書を開いたことも、リモートで行われた全校集会でこっそりと単語帳を開いて勉強したことも、付箋まみれの参考書も。
「受験勉強」とは、一体どういうつもりなのだろう。受験生が味わう苦しみのほとんどは、無駄な労力として終わるのだろうか。
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大学に合格できたため、重い腰を上げて部屋を掃除した。
3年間の高校生活で溜まった大量のプリントやノートを捨てる中で、課外のプリントを捨てるかどうかには迷った。
何気なく化学のプリントを見てみると、余白の所に書かれたメモが目に留まった。後に復習する時の確認用に、自分で書いたメモである。
「また同じミス!」
「凡」(「凡ミス」の略)
「おしい!」
「クソみたいな凡!!」
「いけた!」
散々悩んだ挙句、課外のプリントは残しておくことにした。他にも、教科書や一部のノート、参考書は捨てられなかった。結局、本棚の1段分が埋まる量の教材が残ってしまった。
たとえ受験勉強のほとんどが徒労なのだとしても、受験を終えた後には名状しがたい愛おしさが残る。付箋まみれの参考書には過去の自分の体温が確かにあって、辛かった日々をキラキラとした思い出へと昇華させている。
人が勉強をする本当の意味が、いつか分かるのかもしれない。