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【小説】はらむ赤は曖昧に〈序〉

圧倒的で繊細な彼女はランカーだった。

※あらすじ
あかりは足繁く地元のゲーセンに通う、音ゲーマー。夏のある日、閃光の如く彼女はゲーセンにやってきた。
GuitarFreaksを華麗に披露した彼女にあかりは憧れるが、その圧倒的なプレイに畏怖の念を抱いた。
しかし、ゲーセンの外で彼女がほころばせた表情は、プレイ中のものとは別物で……。


閃光の如く凛として

 散々かいた汗が冷気ですうっと引いてくるのがわかった。嫌に空調の効いた店内は、清澄とは言い難い空気で充満していた。それは店の中央に配置された喫煙所のせいか、空調が吐く風のせいなのかはわからないが、ゲーセンでは特有の臭いがうっすらとする。

 薄暗い店内の一角にある、青い光が明滅するほうへ進むと、耳をつんざくリズミカルな重低音が大きくなっていった。
 私にはそれが、『からふるぱすてる』のイントロだと当たり前のようにわかった。キャッチ―な女性ボーカルが特徴のこの楽曲は、『GuitarFreaksギターフリークス& DrumManiaドラムマニア』の今期シリーズで追加された新曲なのだから。

『GuitarFreaks & DrumMania』は、誰でも簡単に演奏気分を味わえる音楽ゲームなのだが、電子ドラムを模しているのが『DrumMania』で、その『DrumMania』とともに横並びに設置されることが多いのが、ギターを模したコントローラーが左右に二台付属された『GuitarFreaks』だった。

 先客は誰だろうと他の音楽ゲームの筐体きょうたい越しに覗くと、同年代くらいの女性プレイヤーがGuitarFreaks左の1P側に立って軽快にピックレバーを弾いていた。

 自分以外の女性プレイヤーをこのゲーセンで見かけるのは久しぶりで、私は妙な親近感と高揚感を覚えた。
 筐体中央に据え付けられたモニターの左を流れる譜面画面へ視線を移すと、縦三列に伸びるレーンを、横向きになった赤・緑・青のバーが、逆流する流れ星のごとく、瞬く間に上へと吸い上げられていく。
『GuitarFreaks & DrumMania』は、バーたちが判定ラインに来たときに、いかに正確に弾くことができるのかというということを競うゲームなのだが、彼女のタイミング判定を注視すると、ことごとく「PERFECTパーフェクト」(完璧なタイミング)が誇らしげに黄色く光っていた。
 私は軽やかな彼女のプレイに釘付けとなり、筐体の影から固唾を飲んで見入ってしまう。

 そのうちに曲が終わって画面が暗転し、判定画面に切り替わった。派手な効果音とともにノーミスと同義の「FULLCOMBOフルコンボ」と、最高ランクである「SS判定」が大きく映し出されていた。
 ギターコントローラーのストラップの位置を整えながら、彼女は首を傾げた。視線は画面をなぞってほんのわずか静止していたが、すぐ投げやりにスタートボタンが連打された。
 どこに首を傾げる要素などあるのか私にはさっぱりわからなかったが、彼女は自己新でも期待していたのかもしれない。

 その後、彼女は他の選曲でもすべてをSS判定に持っていき、ボーナスステージを出現させた。そこで彼女は『ゴーイング マイ ウェイ!』のExtreme|《エクストリーム》(高難度):Lv.88を迷いなく選ぶ。

 まさか女性プレイヤーが『ゴーイング マイ ウェイ!』のExtremeをしているところを見れるだなんて……。さらなる期待から、心臓は早鐘を打つ。私なんて、Lv.58のAdvancedアドバンスト(中難度)があと少しのところでクリアすることができなくて、いつもLv.41のBasicベーシック(低難度)で甘んじている身だというのに。

 ――駆け上がるようなギターソロが始まった。モニター中央に映し出されるPVでは、淡いタッチで描かれた制服姿の女の子が登場し、恋に奮闘する様子が映し出される。

 女性ボーカルを立たせる序盤パートでは、ギターの音色が滑らかに紡がれていく。
 しっとりとしたBメロに差しかかると、いよいよサビの地獄のギターパートに突入するのかと思いそわそわした。心地よい伸びやかな歌声の余韻もそこそこに、私は気を引き締め直す。

 サビが始まると、澄み切った歌声が声高に朗々と放たれた。それに対し、ギターは発狂しそうな怒涛の高速フレーズが延々と連なっていた。

 ギターコントローラーのネックを握りしめる彼女の表情は崩れないが、濁流のように襲うバーたちを完璧には捌ききれず、満タンを維持していたゲージメーターが見る間に減り始めていた。  
 ボーカルを食い殺さんばかりに唸る歪んだ高音はぶつ切りとなり、不協和音にまみれていく……。
 私はいつしか「どうか、どうか……」とそれぞれの手を固く握りしめ、曲が最後まで無事に完走されるのを祈っていた。

 ゲージメーターが緑から黄色まで減っていよいよ赤へと変わろうとするとき、途切れがちだったコンボがようやく繋がりはじめた。続くラストは爽やかなギターソロが鳴り響き、緊張が安堵へと変わり弛緩していった。

 曲が終わってようやく、自分があまり息をしていなかったことに気が付いた。頭がぼうっとしかけていたので、私はゆっくり深々と息を吸い込む。空調は効き過ぎているくらいなのに、弛めた手のなかが汗ばんでいた。

 彼女は、「B判定」の画面をそのままに右手首を揺さぶっていた。高速フレーズの反復で右腕を散々酷使したであろう彼女に、私はお疲れさまでしたね、と心のなかで労いの言葉をかけた。

 それから彼女がいなくなるのを待ってから、一回だけDrumManiaをした。本当ならGuitarFreaksとDrumManiaとで合わせて四、五回はする予定だったが、同じ女性プレイヤーの圧巻のプレイに気おされて、すっかりやる気を削がれる形になってしまった。
 他人のプレイにこうも影響されてしまう自分が癪な気もしたが、ゲーセンから退散するべくエレベーターを下った。

 下に着いて扉が開いた途端、まだ屋内だというのに一気に蒸したぬるい空気がなだれ込んできた。自動ドアを抜けて完全に建物から出ると、立体駐車場に据え付けられた駐輪場の近くに出る。自転車が置いてあるほうへ目をやると、さっきの彼女がくたびれた自転車の荷台に腰をおろして煙草をくわえていた。

 彼女は煙草を浅く吸ってから持ち替え、灰を駐輪場のアスファルトにはらはらと落とす。いつもなら汚らしいと思うはずの灰が、彼女のすっと伸びた形のいい指先と取り合わせると、なぜか儚く、清らかなものとして映った。

 呆けた目でくうを眺めていた彼女だったが、こちらの視線に勘づいたのか、見る間に訝るような表情となり視線が鋭くなる。私はたじろぎながらも、彼女の手前にあるママチャリを指さした。

「あの……私の自転車、その隣なんです」

 ぎこちなく微笑んでみせると、「ごめんごめん、こんなとこで」と彼女は相好を崩した。

 はじめて見る彼女のほころんだ顔に、心臓が跳ねる。プレイ中の涼しげで凛とした佇まいも素敵だったが、笑うと幼さが出て可愛らしいなと思ってしまった。

 私はママチャリのところへ行って手荷物をかごに押し込んだ。近付いて彼女の顔を改めて見ると、玉になった汗が頬を流れ落ちようとしていて、首筋にもじっとり汗が噴いていた。

「外でじっとしてるの暑くないですか」

 ゲーセン内にも喫煙所はあるのに、なんでわざわざ汗を滴らせてまでしてここで煙草を吸うんだろうと不思議だった。

 彼女は困ったように笑いながら、どうも狭っ苦しいのが苦手でねと答えた。
 確かに、ゲーセンにある喫煙所は狭い。一畳にも満たない喫煙所で、複数人たむろしているのを見かけることがあるけれど、見知らぬ男性とああいう空間で窮屈な思いをしながら過ごすのは私も嫌かもしれないと思った。

「そういえば、さっきギタフリやってましたよね」
 自然を装いつつ、私は気になっていた話題を振ってみた。

「もしかして見られてた」
 彼女は気恥ずかしそうに視線をそらす。

「言うてもむちゃくちゃ上手いじゃないですか」

 あれほど華麗に正確無比なプレイを連発しておいて、恥ずかしがる要素がどこにあるんだろうと思ってしまう。誰もが憧れるようなプレイヤーに違いないのに。

「うちあんまり人にじろじろ見られるん好きじゃないんよね。視線が気になるっていうか……。でも女性プレイヤーで、おとゲ―が上手いとそんだけで悪目立ちしちゃうんよね」

 ひかえめにはにかむ彼女は、筐体を前にしたときの振る舞いとは一変し、伏せられた目のうちは落ち着きなく揺れていた。彼女に集まる視線が羨望のたぐいだとしても、それらは「狭っ苦しい喫煙所」と同様に彼女の嫌厭するものになってしまうのだろうか。

「勝手にじろじろ見ちゃってすみませんでした。つい見惚れてしまって……すごいなぁって」
「そんな大したもんじゃないけど」

 謙遜しながらも、さっきよりも彼女の声音は弾んでいた。
「あなたもギタドラやるん」こちらを一瞥して、煙草をふかしたあとで訊かれた。

「やってると言えばやってますけど」
「ちなみに好きな曲は?」
「好きな曲……」

 すぐ浮かんだのは、彼女が真摯に向き合っていた『ゴーイング マイ ウェイ!』だったけれど、そう答えるのは安直過ぎる気がして憚られた。

「色々と好きな曲はあるんですけど、急に挙げるとなると難しいもんですね」
 彼女は緩慢に煙草を吸ってから、顔を背け煙が私に掛からないように吐いた。

「今期シリーズは豊作やと思わん」
「ですよねっ」

 前のめりぎみに同意すると、彼女は嬉しそうに頷いた。

「特に、ゴーイングはほんと名曲やわぁ。聴くたび切なくなるつうか、甘酸っぱさにやられるっつうか。ま、ギターは激ムズ過ぎるんだけど」
「ほんといい曲ですよね。私、見てて変な汗かいちゃうくらいでした」
「ゴーイングから見られてたの……」

 彼女は急に前髪をぐしゃっと掻き上げて、うな垂れてしまった。私はなんとかフォローしようと焦って口をひらく。

「すっごくかっこよかったんです。私なんて、ゴーイングのAdvancedアドバンストですら落ちちゃうのに、あのExtremeエクストリームの鬼みたいに難しい譜面を顔色変えずにプレイできるなんて。自分の下手さに情けなくなって、こっちが恥ずかしくなるくらいで」

 いつしか捲し立てるような早口になっていた。あとから、こんなことを初対面の相手に言ってもよかったのだろうか、という不安と恥ずかしさが入り混じったもので胸が膨れてきて顔が熱くなる。

 彼女と視線が合った。すると、企むような意地悪げな笑みを浮かべた。

「セッションしよっか。これから」

 ――何でいきなり、と浮かぶものの急な誘いに言葉が出ない。
凄腕女性プレイヤーとセッションができるなんて、これほどありがたくおいしい誘いはないのだけれど――。

「ゴーイングやりに行こうよ。うちがクリアさせたげるから」

 お節介かつ物好きでもあるその提案に、どういう風の吹き回しだろうと私は尻込みしていた。

「これからなんか予定でもある」
「特に何も……」

 有無を言わさぬ態度で詰め寄られ、私は言葉を濁した。

「安定思考もええけどさ、ときには特攻するほうが成長することもあるんやで。やから、どんどんセッションして難しい曲に挑戦するほうがええよ。そのほうが上手くなるんも早いし」
「そうかもですが……。帰ろうとしてたんじゃないんですか」
「どうせうち暇してるから」

 彼女は携帯灰皿を取り出し、煙草を揉み消して片付け始めていた。

「そういやまだ名前聞いてなかったわ。うちはケイコ。あなたは」
「あかねって言います」
「じゃ、あかり。一緒にこれからセッションしよ」
「……はい」

 彼女の眩し過ぎる笑顔に逆らえなくなった私は、こくんと首を縦に振り苦笑した。

つづく  

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