見出し画像

朝から子供がタバコを吸う理由 (短編集 “90sNewYorkFairyTale”より)

要約:短編小説
アパートの一室に共同で暮らす三人の
幻覚と罵声と自分勝手と他人まかせが入り混じる
いつものあわただしい朝のスケッチ
in '90年代 N.Y.

全員同じ黒いダボダボのワークジャケットを着た複数の“リン”が、屋上でビルの周りの様子を警戒している。ブロンドのツインテイル、碧眼BlueEyeの子供。朝日がすこし顔を出してきた。いまレンガ作りのアパートの壁面を、小さな突起を手がかりに登ってきたリンが、そのうちのひとりの身体にタッチする。その瞬間複数のリンは消える。ひとりになり、彼女はジャケットについた埃を払う。

リンはそのまま屋上伝いに何軒か飛びうつり、錆びた鉛色の浄水タンクがある屋上で朝日の方向へ歩き、かるく弾みをつけて屋上のふちから落ちる。

すぐ下の小さなバルコニーにそっと着地して、わずかに開いている窓を開けて室内に入る。

比較的肌の白い、若い黒人アーネストの身体を枕にして、白人のジェインがラグの上で毛布を身体にかけて横になっている。ブロンドの長い髪。ふたり分の寝息、どちらもパジャマにも着替えず出かけ着のまま、ジェインにいたってはコートのまま。リンは腕のカシオを見る。

5AM。

リンは毛布をめくってジェインの手元の "銀のロッド・二段階伸縮可能" をとって伸ばし、アーネストのこめかみをそれでコツコツとノックした。

「ッォホアァッッッッッッッッッウッオ!」とアーネストは目覚めの深呼吸にしては不思議なおたけびのような声をあげながら飛び起きる。ジェインはいまだ寝たままだ。

リン「朝だ。ごはん作れ」
アーネスト「ポゥ……」
上体だけ起こしたアーネストがあくびをして顔を両手でさする、目ヤニもついでにこすり落とす。
リン「早くしろ」
アーネスト「おはよう」
リン「おはよう」
アーネストはまだ自分の腹の上で寝ているジェインを見る。メイクは落としていないし、まだ目が覚めていない。彼がジェインをゆびさす。
「手伝ってくれ。このままじゃ彼女、ストリートの物乞い女神よりぎこち無い動きで出社することになる」
キッチンにいるリンが、冷蔵庫から出して飲んだミネラルウォーターのキャップを閉めてふりかえり頷く。

リンがジェインの足元をつかむ。アーネストが肩側からジェインの身体を支えて合図し、ふたりでソファにぴったり "いいかんじ" にジェインの身体の向きを修正して乗せる。アーネストが彼女の毛布をきちんとかけなおす。

リンは「じゃ、早く。ごはん」と言ってキッチンに戻り換気扇をつけてブカブカジーンズから煙草を出してライターの火をつける。
アーネスト「まず朝はお茶だ、おまえはカフェオレだな」
リン「なんでもいいから早くしな、ジェインが遅刻する」フッとタバコの煙を吐く。
アーネスト「わかったわかった」
彼がキッチンの三口コンロのひとつに、日本製の薬缶を乗せて火を点ける。
リンがカシオを見る。まだ6時じゃない。

「7時です!」
エプロンをつけているアーネストが宣言した。彼はダイニングテーブルにサンドウィッチを乗せた皿を置く。卵とタマネギのクラッシュ×6、レタスとハムにチーズ、粒マスタード×4。ティーコジーが被さっているポッドは先に用意されていた。
その横で片手がタバコをはさんだままの形で(タバコはリンが寝落ちたあたりでアーネストが取り上げて消した)テーブルにつっぷしていたリンが、ビクッっと起きる。マグ(アイラブNY柄の上に褪せた聖闘士星矢のキャラクターステッカーが二枚雑に貼ってある)の中のカフェオレは半分よりすこし減っている。

リンはタバコに火を点けるまもなく立ちあがり、リビングのソファちかくにあるカフェテーブルに置いた "銀のロッド二段階伸縮可能" を伸ばして、ジェインの額をそっと二回ノックする。

ジェインは動物的に、しかし小さめに、「ゥウー……フ」と鳴いてから、薄目を開ける。

「リン」ジェインが言う。
「ジェイン。おはよう。仕事だよ」リンが笑う。
「うん」ジェインも笑ったが、そのままもう一度閉じそうな両目。
リンがジェインをコートごと "そのままの状態" で、ソファからバスルームへ背負いひきずって行く。
アーネストはひとり、キッチンでコーヒーを淹れている。
すぐにバスルームから素早く出てきたリンが、通りすがりにサンドウィッチを摘んで食べる。
リン「あたしのカフェオレどこ」
アーネストがふりかえり「そこに君のが」指差す。
なにも言わずリンは飲みかけのマグをとってひと口含み、「ジェインの部屋」に入り、出てくる。大きさの違うメイクボックスをふたつ持ちだしてきて、またバスルームへ。中から「お願いまた寝ちゃダメだよ! またあのハゲクソ上司から臭い息で間抜けな嫌味言われちゃうよ!」から始まったリンの叱咤激励が聞こえる。

アーネストはダイニングで椅子に腰かけると、サーバーから一客のカップにコーヒーを注ぐと、小さなカップの耳をつまんで一口飲む。目を閉じる。リンのギャアギャア言う声を除けば静かな朝。

「やはり、アラビカ種であるべきだ」カップの中の黒いコーヒーの液面をみつめ、ちいさくつぶやき、彼は確信する。

バスルームから空のランドリーボックスを抱えてリンが飛びだし、床に落ちていたふたつの白いストッキングをみつけると、さっとランドリーボックスに叩きこみ「ジェインの部屋」からまたカゴにつめて、今日の着るものをバスルームへ、小さな身体がひとり運搬する。

アーネストは目を閉じたまま、香りを感じる。
「フレンチテイストの焙煎至上主義は、本来、すでに終わりつつある」
あらためて、彼はコーヒーを口に含む。「素敵だLovely

リンがバスルームから叫ぶ「いま何時!?」
アーネストがカップをみつめて言う。
「朝のコンセントレーション精神集中をしているんだ、邪魔しないでくれ」
リンが叫ぶ「2秒で撃つぞ『2!』さっさと答えろ『1!』」
アーネストはカップをソーサーに置くと、テーブルの上の目覚し時計をバスルームに向ける。
アーネスト「0732、AM!」
リン「よし!」
アーネストはコーヒーカップにふたたび添えた指を、そっと離す。
アーネスト「あのさあ」
リン「なんだよ!」
アーネスト「 "乗り合いタクシー" に遅れるかもって、電話しといたほうがいいかな」
リン「聞かなきゃわかんねえのかよ!」
アーネストはすぐに席を立つ。

「あー、おはようトマーニョ、うんアーネスト。おはよう。あの、ウチ、ちょっと遅れるかも。うん、ごめん、ありがとう、じゃあよろしくね、いや、俺は大丈夫だよ、うん、いつもありがと、たすかってるよ。うん、じゃあ」受話器を置く。

バスルームから衣装からメイクまで出勤用のスーツスタイルにすっかり換えたジェインが、ヒールをひと揃い片手につまみ、ふらふらと出てくる。椅子をひくアーネスト。座るジェイン。
「ありがとう」
「おはよう」
「おはよう」
彼女はテーブルの下でヒールを履こうとするが、なかなか上手くいかなかった。
トイレを流した音がしたあとリンがバスルームから出てきて、背伸びしてテーブルのうえの目覚まし時計をつかむ。

まだ8時には "まったく" なっていない。「よし!」

アーネストはかぶせてあったティーコゼーを取る。ジェインの前に置かれた大きいプラスチックでできたグリーンのマグ(角砂糖が五個すでに入っている)に紅茶を半分まで、そして冷蔵庫から出したミルクをパックから注ぎ、スプーンで掻きまぜる。

ジェインはマグを胸元で両手に抱えて言う「おはようございます」

「それはひょっとしたら、いただきます、かもしれない」

アーネストはそう言った瞬間に気づいた。自分を、キッチンでタバコに火をつけたリンが、酷くにらんでいる事。彼にわかることは、その大きくてかわいらしくて、ほんのちょっとだけ離れ気味の両眼の奥から深淵を感じ、さらに吐いたタバコの煙が、直線的ではなく、肉や魚をグリルしているときの煙突のように口から抑えようもなく漏れ出てしまっているようなリンであるときは、深刻だ。彼は、なぜそうなったのかがわからない。

ジェインはミルクティーを飲む。「おいしい」彼女はすこし笑った。
リンはジェインを見る。

アーネストはひとり、表情を変えず、五分後の未来を案じはじめている。自分のために。


最終改訂日 DEC26 2022.
初回公開日 DEC19 2022.



このテキストは
短編集「90sNewYorkFairyTale」の
ひとつです。



著作権について:
本テキストの著作権は一切放棄しておりません。

ヘッダー画像は https://commons.wikimedia.org/wiki/File:New_York_City_2.jpg?uselang=ja より私が二次加工したものです。この画像の著作権は元ファイルのライセンスに従い クリエイティブコモンズ表示 - 継承 4.0 国際 (CC BY-SA 4.0) となります。著作権の詳細については左記リンクを参照してください。



あとがき

ここまでお読みくださって、本当にありがとうございます。わざとじゃなくて、こういうふうにしか文章が書けなくて、いつも友人に「読みづらい」と言われてしまうのですが、直せなくて。

いまぼくは、この短編を含む「90sNewYorkFairyTale」をシリーズとして、なんとなく書いています。90年代のニューヨーク市を題材に書いているんですが、あんまり時代考証をガッチガチにしてしまうと書いていてイヤなこともたくさんあるし、そもそも自由度が低くなってたのしくないので、けっこう適当にさせていただいています。そもそも「すこし、ふしぎ」な物語になるような気がしているので。書いて楽しく、お読みくださる方にもほんのちょっとは楽しくなるようなものが書けたらなあと思っています。
また別の短編も(いま手直ししています)お読みいただけたら幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。
もういちど、ありがとうございます。


DEC19 2022 "かうかう"より。


短編集「90sNewYorkFairyTale」は
こちらからどうぞ

暴力とデザートと幻覚の物語

この記事が参加している募集

私の朝ごはん