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紙のノートに短編小説の原稿を書いたら楽しかった話 (「未来のマカロン」作成メモ)

ぼくは今朝、「未来のマカロン」という短編小説をつくったのですが、そのときに紙のノートに最初に原稿を書くというアナログ手法を取り入れました。このページは、その際気づいたことについてのメモです。

noteという、装丁があらかじめ決められているメディアのもとで

アナログ記述とデジタル装丁のひとりコラボ

書いているとき、苦痛がありました。いまこれはキーボードを打鍵して入力してるのですが、やっぱりなんかつらい。つらくならない程度に止められればいいのですが、なんかキーを叩いてしまう。眼もいたいのに。続けてしまう。ハイパーグラフィアとかそういうことより、なんだか、パチンコ台の前にすわっているひとの気分というか。射幸感?(パチンコもスロットも賭けごと嫌いなのでやったことがないけど)

環境のせいにばかりするのではなく、最終的にやるのかやらないのかを決定するのは自分です。ひとはなにかのせいにしはじめると、なにもかもどんどん止められなくなります。しかもこれは、たった個人的な趣味を止められるか否かという程度のこと。止めればいい。でもどうにもいままで難しかった。

なので、人間的にはちょっとズルかもしれないけど、ちょっと方法で工夫してみることにしました。以下の3stepです。

  1. (起稿)紙のノートにペンで書いて原稿をつくる。

  2. (入力)原稿ノートを見ながらコンピュータへ打鍵。

  3. (装丁)note用にPCとスマホアプリとを見比べて整える。

こうして作業してみると重要な、気付いたことがありました。

紙で書く文章は、キーボードを叩いて作った文章とまるで違った

『てにをは』のことです。またはひらがなと漢字の調合の具合のことです。

キー入力をしていたら「誘かい」だなんて打たない。「誘拐」です。でもペンで書いているときに、辞書もひいたのですが、手の感覚でここは平仮名で、というふうに決まってしまったのです、なぜか。

または、ここは辞書をひくところじゃない今は、そう思ってそのまま平仮名で書いた場所もおおくあったと記憶しています。かえして容貌とか、こんな漢字は普段つかいませんが、わざわざペンで書いている。

その判断基準はちょっと説明しづらいところで。とにかに手が好きなほう、手の向くほうに書きつづけたのが本作でした。いよいよアレなかんじです。

「あなたは、ちょっと、バカなのかしら」

未来のマカロン 第5節より

と物語で人形に言ってもらったのですが、なんだか著者に言っていたような。わかりません。

ですので、キーボードで入力作業をしていたときは新鮮な違和感がありました。これはダイレクトに入力して書いていたらできなかった、これはキーボードを叩いてなんだか自分の原稿じゃないみたい。そんな具合です。楽しい。

モニターで見たときやはり違和感があった『誘かい』だったのですが、手の向きをそのままにしておこうと、今回このような表記が多数あるような次第です。ひらがな好きなのかもしれない。こういうこと思いつくと今度はぜんぶ漢字とカタカナでやってやろうかとかそういう悪ふざけを……やりませんたぶん。

けれど装丁時に文章を、note用にすこし調整

仔細はもう憶えていないのですが、ここnoteは基本的に横書きで、スマートフォンやPCモニターで読んでいただくメディアです。だから、段落分けをいつもより意識して比較的細かくしたのは憶えています。

また、今回は章で分けるということもしてみました。短編といえどだいたい5000文字オーバーが基本の自分なので、読むストレスをせめて装丁でなんとか工夫できないか、と思うところがありました。上手にできていたらいいのですが。そうでなくったって文章もストーリーも変テコで因果関係とか勘でやっているという……いま入力しながら思ったのですが、ひどい作者だな。もう装丁は作者の、読者の皆様へのせめてものお詫びの気持ちがありました。

けれどたとえば、これがA6の文庫サイズの、しかも縦書き仕様の同人誌に文章を乗せるとしたら。まったく別の様式にすると思います。または文章自体を変えてしまうと思います。理由をうまく言えないのですが、ページにどう映えるか、言葉や文字を紙面にどう置くか、とても大切にしたい気持ちがあります。それは書き手の都合と、読みやすさとの按配のために。それにしたってたぶんinDesignは使わないと思うけど。京極夏彦先生じゃないんだから。たぶん。いやTEXは無理。

基本的な着想方法や構成方法は今回は変わらなかった

重畳ですが、おおもとの原稿は、方向性だけを一文書いてそのあと御筆先状態でばーっと「だいたいこのくらいの容量で」「こんなかんじに物語を波立たせて」と、そんな書きかたは今回の紙でもいままでのデジタル直接入力でも変わりなく。

ぼくは身体能力で物語を書こうとしているフシがあります。アタマじゃなくて。大丈夫かなあとおもいますが、そこは趣味の気楽さです。いっそどこまでも行ってしまえと、ボールをバットで気持ちよく河川敷から川にむかってカキーンと打つような感覚です。あれ、打ったボールはいつか回収せなあかんのやろか。ちょっといま心配に……。

しばらく紙に最初は書くことを続けてみて、よりながくのんびり書ける趣味へと調整できたらなあと思います。