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私にとっての英語とは。

今日は私と英語の関わりについて、子ども時代から振り返ってみたいと思います。

私はもともと英語という教科が好きでした。
高校生のとき、オーストラリアのパースに3週間ホームステイをし、翌年にはホームステイ先の留学生を受け入れて2週間日本で一緒に暮らしたことがあります。

また、国際色の少し強い地域で育ったためパートナーがアメリカ人の奥様に英語を習っていたことがあったり、比較的英語と親しむ機会の多い子供時代だったと思います。

しかしながら、今英語を話せるかと言うととても満足に話せるとは言えません。
今も英語が好きで、外国人の人と話してみたい、困っている外国人がいたら助けてあげたい、海外旅行に行って現地の人と会話を楽しんでみたい、など英語についての憧れの気持ちはずっと持っています。

では、子供時代から変わらず英語が好きであるにもかかわらず、どうして今になっても英語を話せるようにならないのでしょうか。

その理由を考えてみたときに、大学受験と言うキーワードが思い浮かびました。

受験のための英語。

それがいつの間にか目的になっていた私。
見事、大学合格という結果を得て、英語に対するわずかながらの達成感、勉強というもの自体への興味の喪失期に入ってしまったのでは?と今振り返って感じたりします。
大学に合格することは真の目的ではない、学びのスタート地点に立ったに過ぎないのだと、今なら気づくことができるのですが。


それでも大学時代にもバイトをしては海外旅行に行き、親に援助してもらいイギリスに1ヵ月間語学留学をさせてもらいました。
行きの飛行機では不安に押しつぶされそうな思いで過ごし、到着から数日は一睡もできず、日本人の姿を見つけて泣きついた私でも、あの時の思い出は一生忘れないほど、本当に楽しかった。
オーストラリアのホームステイもそうだったように海外に長期滞在したときの思い出が、私にとって人生で最も楽しかったと思える程の瞬間が詰まった時間でした。


でも。
使い続けることが大切。

人と比べてできない自分や、英語が通じない不安を拭うため、英語から離れてしまい、英語を使う力が落ちて行きました。

英語力をキープするには、英語を使い続けられる環境に身をおく必要があったのだなと、振り返って強く強く感じています。



そんなこんなで、英語とつかず離れずの距離を保っている私は今、英語を再び使える場所を探しています。
それは、オンライン英会話でも良いのだけれど、それ以外の方法もあるのでは?と模索しています。


人生は1度きり。
なぜか分からないけれど、最近よくこの言葉が頭の中にポンと浮かぶのです。


例えば、免許がないので車を運転しない人生。
例えば、猫も犬も飼ったことがない人生。
例えば、英語に未練を残した人生。


残りの人生が何年なのか分からないけれど、後悔しない人生を送りたい。お金を理由に、環境を理由に先延ばしにしていて大丈夫なのか。ちゃんと考えたいと思います。

必ずしも、すぐに始められることばかりではないのだから、目的をもって進む山登りはできないかもしれない。
でも川下りで流れ、流されながらも"自分がしたいこと"をひとつずつ叶える人生に、少しずつ近づいていきたい。

その人生を満たす要素の一つに、「英語」というキーワードを意識していきたい!という今の決意表明をここに残したいと思います。

読んでくださりありがとうございました^ - ^

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