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「何もない」と言わないために

とある居酒屋の壁に貼られた1枚のポスターは、真っ白な冬山を背景に雪国への来訪を誘うコピーが付けられていた。下段の隅には小さく「撮影地:大内宿(福島県)」と書かれていた。

「ここの雪景色は絶景なんだ」
ポスターを見ながら、昔そんな事を誰かに言われたのを思い出した。そうだ、一度行ってみたいと思っていたんだーーー。

ハイボールを口に運びながら、僕はそんな物思いに耽っていた。

          ◇

昨年末、池袋で高校の同窓会があった。居酒屋で軽く飲む程度だったが、卒業式以来会っていなかった人たちも来て、久々の再会に心が躍った。「いま何してるの?」なんて尋ね合うのは、子供の頃に見ていたドラマの世界だけの話しだと思っていた。

「どこで働いているの?」
「東北にいるよ」
「へぇ〜、どんな仕事?」
「例えばねぇ…」

お互いの近況報告をかねた雑談に花を咲かせ旧交を温めた。知っている人たちのはずなのにどこか他人行儀で、それでも話しをしているうちに昔の雰囲気が戻ってくる感じが嬉しかった。

みんな就職したり結婚したりしてずいぶん生活が変わったはずなのに、誰からともなく「みんな変わってないねぇ」と言葉がもれた。懐かしくて楽しい時間に包まれた。


「東北ってどう?楽しい?」

2軒目の居酒屋でハイボールの入ったグラスを傾けていたとき、友人から不意に尋ねられた。僕は「何もないよ場所だよ」と愛想笑いをした。場を盛り上げるつもりでどこか意識的に。

「そうなんだ〜大変だね」
「いつ東京戻れるの?」
そんな言葉で会話は流れていった。

帰り道、なんだか心に違和感が残った。
「何もない」っていうのは嘘だよなぁ。

本当は、いろいろ行ってみたい場所や見てみたい景色があるはずなのに、何かと理由をつけて、行く機会を潰してきた気がする。知らないだけなんだよなぁちゃんと。

このままだと、どんなに時間があってもいけない気がした。

正月はドライブに出よう。そう決めた。
元日からの2・5連勤を終え、3日と4日は自宅で死んだように寝て過ごし、5日の朝、防寒具を車に詰め込み、南会津に向けて飛び出した。




とはいえ、悩んだ末の決断だった。
雪道の運転ほど怖いものはないからだ。昨冬の恐怖が頭をよぎる。

2022年1月、岩手・岩洞湖周辺を運転していた時のことだ。ワカサギ釣りが有名と聞いた僕は、雪がちらつく中、山間の細い道を登っていた。急に吹雪いて来たなぁと思っていると、一瞬のうちに目の前がまっ白になった。テレビが壊れて画面に真っ白い映像が流れているような感じ。

ーーホワイトアウトだ。

記録的な大雪だと騒がれるたびに、一度は耳にするフレーズを思わず口にしていた。ノロノロと進んでみたものの、どうしようもできず、ただただ白い嵐が過ぎ去るのを待った。

数分が経過し、ようやく晴れた視界の正面にあったのは、なんとガードレールだった。あと数センチ進んでいたら、完全にぶつかっていた。ガードレールの先は崖になっていて、下には湖が広がっていた。真冬の湖にドボンと沈む車と自分ーー。そんな画を想像すると血の気が引いた。もっとも、湖は凍っていたが。

ちなみに岩洞湖の気温は氷点下14度。
景色は最高だったが、自分の息で前髪が凍った。



「あぁ嫌だ嫌だ」
不吉な記憶を必死に振り払いながら、会津若松ICを降りて県道131号を南に進んだ。すっかり雪化粧した山々に囲まれた会津盆地を縫うように車を走らせる。思っていたより雪が少ない。幼少期を北海道で過ごしたせいか、アスファルトの道路が見えているうちは冬じゃないような気がする。

山道に入っていくと、あたりはようやく白銀の世界へと姿を変えた。途中のカーブで一度スリップしたが、後続車も対向車もいなかったのが幸いだった。まぁこれぐらいは通常運転だろう。それにしても、この道は上り坂でカーブが多い。いろは坂ほどではないにしても怖い。他に道はないのだろうか。



雪深くなった山道をさらに進んでいくと、ふっと視界が開け、茅葺屋根の集落が見えてきた。看板に「大内宿」の文字が踊った。

駐車場の入り口が分からず、それらしい道に突っ込んだら間違えた。バックしようとしたら除雪車が真後ろに来て出られない。運転手は呆れたような顔で手を払う仕草を見せた。「早くどけろ」と言っているらしかった。どうやら雪捨て場に突っ込んでいたようだった。運転手に平謝りしてどうにか抜け出した。


大内宿の山側に見晴台がある。子安観音堂につながる階段は、雪が踏み固められツルツルと滑りやすい。途中、下りて来る親子3人とすれ違ったが、案の定、滑って転んでいた。心配になって振り返ると、母親と中学生くらいの娘がスマートフォンを見てゲラゲラ笑っていた。どうやら先に降りていた父親が動画を撮っていて、2人の転ぶ瞬間が写っていたらしい。幸せそうでなによりだ。

縮緬で作った干支の人形が売られていた。
全て手作りで、うさぎは完売していた。


江戸時代から約400年続く宿場町という。子連れの家族や外国人観光客が、当時の風情を残す町並みを楽しんでいた。一方で、そこかしこに住民たちの生活の息遣いも感じられる。

茅葺屋根に積もった雪を下ろす住民。
地域の人たちがこの景観を守り続けてきた。


名物はねぎが丸々1本ついてくる「ねぎそば」。発祥の地とされる三澤屋は定休日だったので別な店に入った。年越しそばを食べ損ねたのでここで取り返す。

ねぎそばを堪能して店を出ると、日が傾き寒さも増してきた。山の天気は変わりやすい。もう帰りどきだろうと判断し、駐車場へ急いだ。

車についた雪を払い落としてから車を発進させ、来た道を帰ろうとしたら警備員に止められた。

「そっちの道は事故が多いから、反対の道で帰る方が良いですよ」

やっぱりそうですよね。
だって来たとき道路は凍っていたしカーブも多いし最悪でしたもん。




今の仕事は全国転勤が付き物だ。赴任先でどんなに素晴らしい生活基盤を整えても、異動があるから2、3年と持たない。大変なことも多い。けれど、それを覚悟の上で始めた。

だから異動の内示を受けた22年度のはじめ、「転勤族としての楽しみ方を覚えよう」と決めた。その土地の名所や名物は、たとえ好みではなくても一度は経験する。そんなルールを自分の中に設定した。そこで過ごす時間は一生の中で今しかないかもしれない。だから時間を作っていろいろ見に行こうと。

けれど、まだまだ行動が伴っていなかった。
知らないことが多すぎる。

23年は計画を立てて東北を巡ろう。

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