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恐怖から逃れるためには

今年は年初から能登で大地震が発生して、地震や災害に対してハッとさせられた人が多いと思う。元旦という日本人が最もお祝いの気持ちに包まれる日に起こった大地震。明日は我が身と気づいた人は少なくない。

そういう私は一足先に、昨年初頭から災害に対する直感が色々降りてきて、1年かけて備蓄(水や米/食料・簡易トイレセット・カセットボンベ・トイレっとペーパー・常備薬など・・)を進めてきた。
家族分のリュックにはそれぞれにベースとなるもの(水・ポカリ・ゼリー・簡易トイレセット・充電器とコード・笛・靴・レインポンチョ・カイロ・ウェットティッシュ・etc)を入れて枕元に置いている。

現在は一通り基本的な備蓄が揃って、気分がとても落ち着いた。
これならいつ災害が起こっても、とりあえずパニックにならずに済むだろうという心の余裕が生まれた。
いやそれ以上に、もう災害が怖くなくなった、という気分。もうこれで自分が住むこの世界で災害は起こらないな・・とすら思う。
何も準備をしていなかった頃は、何か得体がしれない敵がいるみたいに心の奥底に恐怖の神が居座っていたようだ。

これと同じ感覚になったことがあったと思いだした。
そう、貯金がぜんぜんなかった頃だ。
貯金はおろか借金もあったような若かりし時代。
支払いや欲しいものが買えないなど、お金がないことへの得体のしれない恐怖がずっと心の奥にあって、幸福感とは逆の場所にいたように思う。

それが、借金をなくし、コツコツと積立してタネ銭を作り、余裕資金が少しできたら投資をしたりして、多少なりとも生活費への恐怖が薄らいだ今は、
あれだけ頑張ってつけていた家計簿もやらないし、お給料日がいつきたかも忘れているし、好きな推しグループのグッズはとりあえずいくつかはお金の事を考えず買うこともできるようになった。それでも、お金は思ったほど増えもしないけど減りもしない。残高を確認しては家計簿をつけて、買うものを我慢して疲れていた、そういうことから解放された気分だ。

備蓄とか準備とか余裕とか、そういうものができた対象については、不安や恐怖がパタっとなくなる感覚を体験している。気にしないし気にならない。
自分は準備できている、もう気にしなくていい、という段階までできれば、恐怖は自分から逃げていくってことだ。
恐怖を手放せば、恐怖はもうあちらからやってはこない。ずっと追い続けている間は、ずっと追いかけ続けるだろう。恐怖とはそういうものだ。
だから、恐怖から逃げたければ、自分でできる準備を尽くし、あとは恐怖を手放すこと。自分の意識から”恐怖”という存在をなくすことができたら、もう恐怖はやってこない。

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