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地震の夢

 今日の夢は地震の夢だった。
場所は自宅。二階の部屋。夜。
寝ている時で、ふと目が覚めたら、地震のような感じがして身構えた。
そうしたら、家が大きく傾くほどに揺れて、寝ていたお布団が滑るほどで、
どうしよう、もっとひどくなるんだろうかと怯えていたら、床が落ちていった、、。

これが1回目の夢。
そして目が少し覚めたのだろうか。そしてまた寝入ってしまったのだろうか。
立て続けに2度目の地震の夢。
それも同じように自宅の部屋。夜。そして家が大きく傾くほどに揺れて、座っていた自分が子供たちと一緒に床の上を滑ってしまうほどだった。

地震が起こった瞬間って、特に寝ていたり、座ってくつろいでいたりしている時だと、身動きが急には取れずにじっと揺れを待つしかなく、揺れている間も早く治まることを待つしかない、そんな状態になってしまいます。
私は関西にいたときに阪神淡路大震災で大阪で被災したため、その時のことは記憶に深く残り忘れることができません。
もちろん神戸長田など震源地付近に比べれば5強などまだ大したことないと思われると思います。でも、寝ていて目が覚めて最初に目に入ったのは、天井にぶら下がっている電灯の笠が左右に大きく揺れていたのと、ふと気づいて見たら枕元近くに14型のテレビが落ちていたこと。キッチンに置いていた5段ボックスは床に倒れていて、炊事場の上の棚に置いていた食器は全部床に落ちて割れていました。外からはガスの臭い匂い。停電。
スリッパで玄関までなんとか出て外の階段を下りている時に、どこかの階の住人が私を見てつっかけを手渡してくれたこと。
すぐ近くにあったコンビニに駆け込んで食料や水を買おうと店内に入ったら、商品が床に散乱。でも店員さんはちゃんと仕事をされて、私に商品を売ってくれました。
JR新大阪駅の構内も、店子さんの商品が床に散乱。それを拾っている人も見かけました。

あの日、私は若く体力も気力もあり、恐怖と共にすごい事に出くわしたという強い好奇心が芽生えていたことも覚えています。自分の人生の中に被災するという経験が加わるなんて夢にも思っていませんでした。
あの時は、揺れ始めてから目が覚めたし、緊急地震速報なんていうのもなかったから、何の前触れもなくただ揺れが収まるまでじっと頭を抱えてお布団の中で待つしかなかったです。マンションが崩れ落ちたりしなかったから命が助かったけれど、当時、私の友人には震源地付近に住んでいた子もいたので、家は全壊、でも家族はなんとか逃げ出して助かった、って言う話を聞いては心を痛めたものでした。火事もひどかったから、本当に全てを失った人たちが大勢いました。

だから、私は地震を全く知らない人でもなく、いざというときにどういう行動をすべきなのかということを、あの時一人暮らして、だった一人で経験したからこそ自分の貴重な経験として記憶に残っています。

今後くるであろう南海トラフ大地震や中央構造線上で起こる地震や、火山の噴火、様々なことが予想されます。
また海手には原発が沢山あるのが日本です。トラフがあるというのに太平洋側になぜか何基もある。私は少なくとも太平洋側の原発は停止しておくべきだと思っています。でも、豊かな自然を切り開くだけ切り開いてソーラーパネルを敷き詰めるようなのは不要です。
自然と共存しなければなりません。日本人は、便利さのために少し自然を我慢させすぎていると思います。人間も少しは我慢しましょう。そして工夫をしましょう。きたるべき災害が起こった時に、太陽光パネルが二次災害となって国民を、そして自然を苦しめませんように。。

長くなってしまいました。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。

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