見出し画像

次男の家出

中学3年生というのは想像以上にストレスを抱えているのだろう。

不安や焦りを言葉で言わないからといって次男が何も感じていないわけではなかったはずなのに。

夫は次男と2人で山登りに行った。

次男にすれば会話も弾まない気まずいだけの山登りだったかもしれない。
2人は山に登り弁当を食べて帰ってきた。

次男との関係を親自身も模索していた。

それでも学校からの電話は続いた。

今の学校というのは全てを親に報告する決まりでもあるのだろうか。

そんなマニュアルがあるのだろうか。

学校から連絡があるということはいつも何か問題があったという知らせで、律儀に私たちは対応しつづけた。

分かりやすい罰として、外出禁止、携帯没収など次男への禁止事項を増やしていった。

その反動で次男は何かと電話をかけてくる先生に腹を立て学校で余計に荒れていた。

私も夫も先生も完全に空回りしていた。

どうにかしようとすることで、どんどん次男の気持ちから離れていた。

そして次男は家出した。

学校にピザの配達を頼んだ次男はまた家に連絡をされると思ったのだろう。

「家出します 人様に迷惑はかけません」
と、置き手紙を残していなくなった。

私に手紙を残してくれた次男の思いやりに気づく余裕もなかった。

たとえ宣言された家出だったとしても我が子の行方が何日も分からないのは怖かった。

家出から数日後、先生から電話が来た。

「今日学校に来ました。でも私服だったので帰らせました。」

先生、次男はどこへ帰ればよかったのだろう。

先生は正しくて賢くて間違えないのではなかったんだろうか。

その後やっと居場所が分かった。

取り壊し前の無人団地に入り込んでいた。

電気もない部屋に友達を招き、粗大ゴミ置き場から布団を拾ってきて生活していた。

昔話のようだが平成の話だ。

そんなことをしていたら不法侵入で逮捕されると心配してくれた次男の友達の親御さんがなんとか説得して連れ帰ってくれた。

次男は、よそに比べて我が家が厳しすぎる、怒られて叩かれるのも嫌だというようなことを言っていたと聞かされた。

小さなプライドを守りつづける私と、我が家の膿を発信していく次男だった。

そして1週間ぶりに居心地の悪い我が家へと次男は帰ってきた。

…この頃は仕事に行くのが辛かった。
自転車を漕ぎながら泣き、会社では何ともない顔をして働いた。
それからは、どんなに普通そうにしている人を見ても泣きたいくらい悲しい日なのかもしれないなどと勝手に考えるようになった。

#非行 #反抗期 #家出 #父子 #先生

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?