反抗期のパワー
相変わらず大小さまざまな問題は続いた。
中学3年、受験生になっても変わらなかった。
典型的な服装の乱れから始まり、遅刻、髪染め、自転車改造、タバコ、ピアス、喧嘩、いじめ、器物破損、先生への暴言、暴力。
問題行動は少しずつエスカレートしながら増えていった。
でもやはり思春期の子どもだったんだと思う。
ここまで反抗しながらも、運動会の係を積極的にしたりと子どもらしい面もまだ残っていた。
次男は私の布団にふらっと来て1人でゴロゴロ寝転がった後、黙って自分の部屋に戻ることもあった。
どんなに問題児とされてもまだ子どもだった。
それでも当時の私は息子が問題を起こすことで、自分の価値が否定されるような恐怖があったのだと思う。
親としての責任を果たすことで、私はきちんと対応していますと、自分のプライドを守っていたんだと思う。
誠実に対応することでどうか許してほしかった。
良いお母さんを演じている自覚も全くないまま、良いお母さん、可哀想なお母さんを演じていたと今になって分かる。
本当に最低で弱かった私。
電話や来客のベルが鳴るたびにビクついていた。
次男の事で頭がいっぱいになり何かを楽しむということも減っていった。
次男に馬乗りになって泣いて怒ったこともある。
そして私が悲しむことで夫と息子の関係も悪くなっていった。
私を泣かせ、悲しませること、何度も問題を繰り返し他人に迷惑をかけることに夫は怒っていた。
説教の時間もどんどん長くなり次男の態度によって手が出ることもあった。
繰り返されるそんな状況が悲しかった。
そして悲しい気持ちよりも、反抗期の息子に対して怒りをコントロール出来なくなってしまう夫にも腹が立っていた。
私は自分の弱さを棚に上げて誰かのせいにしたかったんだと思う。
夫は息子に怒りながら本当は不安で悲しかったのかもしれない。
私も夫も無知だった。
誰かに助けを求めることは弱いと思っていたし、学校や先生に意見するなんて選択肢になかった。
不良の親になってしまった私。
いじめっ子の親になってしまった私。
今度いじめたら家族で街から出ていくように約束させられた私。
下を向いて歩くようになった私。
人から幸せそうに思われていない私。
息子に嫌われている私。
仲の良い家族が羨ましくてたまらない私。
使い慣れたスーパーを変え、使う道を変え、時間を変え、誰にも会いたくなかった。
本当の気持ちを誰にも知られたくなかった。
全部自分のしょうもないプライドだった。
…この頃の次男は反抗期という凄まじいパワーを炸裂させていた。尾崎豊の歌詞を地で行くように、分かりやすくまっすぐ反抗していた。
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