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コンサルティング会社完全サバイバルマニュアル(シニアコンサルタント〜マネージャ編)

本章はコンサルティング会社完全サバイバルマニュアルの第3章となる。
これから業界の中間管理職であるマネージャになっていく、あるいはマネージャ職を担っている諸君らに向けた文書である。
第1章アナリスト編、第2章ジュニアコンサルタント編は以下を参照いただきたい。


シニアコンサルタント〜マネージャ編

『ーーーそれは暴君の治世ではないか!ライダー、アーチャー、貴様らこそ王の風上にも置けぬ外道だぞ!』

『然り。我らは暴君であるが故に英雄だ』

虚淵玄 「Fate/Zero 3」聖杯問答よりアーサー王とイスカンダルの会話


当文書を読んでいただいている諸君の多くは、コンサルティング業界のスタッフであると推察する。諸君等はどんなマネージャになりたいだろうか。想像してみてほしい。自分で顧客と対話し、予算を作り、ビジョンを掲げ、スケジュールを引き、クライアントの課題を解決する自分自身を。諸君等がずっと追いかけてきたマネージャの姿にいつか自分が追い着いた時、諸君等は自分のプロジェクトをどのようにしたいだろうか?

筆者がマネージャになるまでに筆者はあまりにも多くの倒れた同僚をみてきた。その中には先輩も同期もいた。もうこれ以上、仕事で苦しむ人を出したくない。私はどんなに大変な仕事であっても、誰も倒れることのないプロジェクトを作りたいと思っていた。関わる人全員が笑顔で終われる仕事を作り上げることが理想のマネージャであると考えていた。

ところで筆者は漫画と同様にアニメが好きなのであるが、冒頭引用しているFateシリーズは筆者の大好物である。元々アダルトゲームが原作であるためにやや後ろ暗い印象を持たれるのであるが、その完成度の多くから多くのスピンオフ作品が有名ライター達により同人として作成され、それがまたアニメ化される等して一つの経済圏を築いている。2021年時点においてSONYは奇跡の復活と呼ばれる好業績を残しているが、この原因の一つとしてFateシリーズのモバイルゲームの快進撃があると言われている。

引用したFate/Zeroは虚淵玄という有名シナリオライターによる同人小説が原作でありその後アニメ化されたものである。Amazon PrimeやNetflixでも視聴可能であるため、未視聴の方は是非みていただきたい。

引用したシーンは、作品の準主人公であるセイバー(ブリテンのアーサー王は実は美少女であったという設定)と、その好敵手であるギルガメッシュ(アーチャー)とイスカンダル(ライダー)の「王」のあり方について議論するシーンであり、その内容は非常に示唆に富むものだと考えている。

Fateシリーズは、7人の魔術師が現代過去未来から英霊(歴史上の偉人や伝説上の人物であることが多い)を呼び出し、あらゆる願いを叶える聖杯を争い殺し合う聖杯戦争が舞台となっている。魔術師によって、呼び出される英霊達もまた、それぞれの願いのため、現世に現界し聖杯戦争に参戦している。ある日、イスカンダルの提案により、セイバーとギルガメッシュ、そしてイスカンダルの世界史を代表する三人の王はそれぞれの「王」をテーマに舌戦を交わすことになる。

自らの治世により祖国を崩壊させてしまったことを後悔し、そしてその歴史をやりなおすために聖杯戦争に参加したセイバーは語る。王とは「正しき統制。正しき治世。民と国にその身命を捧げそして理想に殉ずる者」であると。しかし、これを聞いたギルガメッシュとイスカンダルはセイバーの意図に反し、それを聴いて呆れ果てるのである。イスカンダルは返す。

「セイバーよ、”理想に殉じる”と貴様は言ったな。なるほど往年の貴様は清麗にして潔白な聖者であったことだろう。さぞや高貴で侵しがたい姿であったことだろう。だがな、殉教などという茨の道に一体誰が憧れる?焦がれるほどの夢を見る?
聖者は例え民草を慰撫できたとしても、決して導くことなどできぬ。確たる欲望のカタチを示してこそ、極限の栄華を謳ってこそ、民を、国を導けるのだ!王とはな、誰よりも強欲に、誰よりも豪笑し、誰よりも激怒する、清濁含めてヒトの臨界を極めたるもの。そうあるからこそ臣下は王を羨望し、王に魅せられる。一人一人の民草の心に”我もまた王たらん”と憧憬の火が灯る!」

虚淵玄 「Fate/Zero 3」

このイスカンダルの反論にセイバーはかつての自分の治世の末路を振り返り、完全に沈黙してしまうのである。筆者の当時の主張は、このセイバーの王の在り方に近く、そしてセイバーと同様、自分の治世によりプロジェクトを血に染める結果を招いてしまったのであった。




シニアコンサルタント〜マネージャ編:邂逅:どのようなマネージャだったのか?


約2ヶ月の休暇から仕事に戻った筆者のもとにある日、

「お前は赤穂浪士か?」

というメールが突然届いた。送信元はジュニアコンサルタント時代にお世話になったチャゲさんというディレクターからであった。オールバックに鋭い眼光、肩で風を切って歩くその姿は正しく龍が如くの桐生一馬その人であり、特に若手スタッフからは近づき難いシニアとして恐れられていた。かつて彼に経費申請の承認をもらう予定であったスタッフはどのタイミングでサインをもらうべきなのかがわからず、彼がトイレから出てくる瞬間を出待ちし涙目でサインを求めた程である。チャゲさんのアサインの仕方はいつも独特だった。

私以外の同僚は彼に「お前は風に乗る凧だ。風の流れる方に流れろ」と言われてアサインされたという。意味がわかるようなわからないような、とにかく新撰組の隊長が異世界転生で現代のコンサルティング会社に就職してしまった、というような人なのだ。

少しコミュニケーションの仕方が独特な人ではあるのだが、その強力なリーダーシップと仁義へのコミットメントに惹かれ、周囲には彼を慕う部下が集っていた。そして筆者もその一人だった。

マネージャへの昇進が決まっていた私は、この新しい仕事でやっと自分のチームをマネージャとして組閣できるというやる気に燃えていた。しかし、驚くべきスピードで私は現実の壁に打ちのめされることになった。

私のミッションはクライアントの新たな運用業務の設計であった。それ自体、今思えば特段難しい仕事ではないはずであったのだが、難しくないはずの仕事をこれ以上ないというくらい炎上させてしまったのだ。
プロジェクトが始まり、2ヶ月が経過した頃から少しずつ、症状が出始めた。まず書いている紙がまったくクライアントに刺さらない。書いた紙の議論したいポイントではなく、誤字脱字や体裁の揺れといった形式面の指摘を受け続け、本題の議論へうつることができないままスケジュールが遅延する。ここから先の転落は早かった。遅延を埋めるために人を追加するが、入れた人が次々と辞め、人事からの説明を求められて自分の作業時間が作れなくなる。追加した分の人の予算がプロジェクト予算の想定を大きく超えていることに気づかず、赤字であるという事実に対しするアクションをとることが遅れ、チャゲさんを含む上層部に対しての説明がまったく追いつかなくなっていた。協力会社との契約更新に必要となる手続きが漏れており、法務からの説明責任を求められ、これが作業時間をさらに圧迫した。内部の手続きに忙殺されるために、既に不満を抱えている顧客へのカバーが不十分になり、更なるクレームを受け、指摘は雪だるま式に増えていった。膨れ上がる指摘にチームメンバーの士気はさらに低下し、さらに脱落者がふえ、そして残ってくれたメンバーの残業時間の超過でさらに社内の説明が必要になり...と、絵に描いたような転落であった。

そしてそんな混沌の中にいる筆者に対して、周囲の目は冷ややかだった。当時の直属の上司は「誰の味方をするのか選べ」「櫓を立てないからそうなる」という言葉をくれたが、抜本的に筆者が陥っている状況を立て直すべく何かアクションをとる、ということはしなかった。超高速のまま崩壊していく航空機に乗り続けているが、着地することもできず、とにかく残されたわずかな燃料を燃やしながら働き続け、立ち続けるだけで自分の自我を保っていた。ある日別のディレクターに「お前はふざけてこの状況を招いているのか、真剣にやってこうなっているのかどっちだ?」と問われた。当然ふざけているつもりはないと答えたら「では早く人事と相談してデモーション(降格)しろ」と言われた。返す言葉はなかった。「考えておきます」といって端末を閉じ帰宅した。帰宅する途中、ヌタさんと一緒に仕事をしている時に一緒に働いていた先輩と偶然オフィスの入り口であい、筆者の顔色を見て何かを察したのか飲みに連れていってくれた。筆者はさっきディレクターから言われた言葉を振り返りながら先輩に「自分にはマネージャは無理だったんだと思うんです」と話した。先輩は「それはお前が決めることではないし、お前にマネージャができると判断したヌタさんの信頼を裏切ることは俺が許さない」といった。どうすれば良いのか誰か教えて欲しかったが誰も教えてくれなかった。当たり前である。マネージャなのだから。そんなものは当然、マネージャになる人間は学んだ上でマネージャになるのである。だから年収が高いのである。そんなこともわからずにただ役職がつけば、その役職に応じた力が自分に備わると当時の筆者は勘違いしていたのである。私は炎上に耐えられる頑丈な社員であった。しかし炎上を未然に回避できるマネージャではなかった。真実はただそれだけだった。

進むことも戻ることもできないまま時間は過ぎていった。先輩社員に全ての権限を移譲し、私は経緯を知る人間として、その仕事に残り続け、気がつけば1年が過ぎようとしていた。その年の評価は最低の評価であった。その年は比較的会社の景気が良く、皆が比較的高い水準のボーナスをもらっていることが表情から見てとれた。最低評価の私にはボーナスはつかず、一体自分はクライアントと、会社と、チームと、自分と何を守れたのだろうかと苦悶した。仕事を辞めようと思った。

筆者に「会社内で環境を変えてみてはどうか?」と第3の道を示してくれたのは別部署にいる女性のシニアマネージャだった。彼女とはマネージャだけが参加するとある研修で知り合い、何かと研修のクラスが重なることが多く、とある研修後の懇親会で実は会社を辞めようと思っているということを打ち明けた際、彼女から別のオプションを提案されたのである。彼女がいる部署は会社の中では花形の部署で到底自分が異動して活躍できるイメージは持てなかったのだが、どうせ辞めるなら辞める前に環境を変えてみるというのも悪い考えではないと思い、その提案を受けることにした。異動は思っていたよりも遥かにスムーズに進み、翌年度の4月から新しい部署で働くことがあっという間に決まった。

異動が決まったことを自分は所属プロジェクトの周囲に言えずにいた。なんと言えば良いのか、説明の言葉が何も出てこなかった。自分がマネージャになれたのは逃げなかったからだ。しかし、その最後のプライドさえも自分は今、捨てようとしていた。そんなある日、午後10時頃オフィスを出ようとした時に上司から電話があり、築地の寿司屋に呼び出された。言ってみると、上司とチャゲさん、そして「デモーションを検討しろ」と自分に伝えたディレクターとがそこにいた。

着席するなり、チャゲさんは「辞めるのか」と筆者に聞いた。もはや誤魔化しようもなかった。「辞めます。異動してそこでゼロからやりなおそうと思います」と答えた。チャゲさんは既にかなり酩酊しているように見えた。呂律はほとんど回っていなかったが、「俺たちは来るものを拒まないし去るものも追わない。けどな。寂しいよな」と言っているように聞こえた。その言葉を認識した時、自分の中で1年間耐えてきたものが溢れ出し、涙が止まらなくなった。

そのようにして私はコンサルタントという自分を産み育ててくれた部署を逃げ出した。



お前はまだ死に方を求める程、強くない

冨樫 義博 「幽★遊★白書」


異動した先の部署はこれまで自分が育ってきた環境とは何もかもが違った。それまでの部署は成果物主義であり、そして成果物に対してコンテンツのみならず、形式面についても高い品質を求めた。誤字脱字が1文字でもあれば全資料総点検なんてこともある世界で育った自分にとって、新しい部署が担当するクライアントの資料は恐ろしくラフであり、我々が作る資料の品質も恐ろしくラフであった。

しかし新しいクライアントのマネージャ職はコンサル会社の一人一人に対して、徹底的に「意志」を求めてきた。あなたはどう思いますか。あなたはどうすれば良いと思いますか。これを特に管理職以上には要求した。筆者は戸惑った。クライアントから「あなたはどうすれば良いと思いますか」と聞かれた時に、何も答えることができなかったのである。そしてこれを答えられない私にマネージャとしての価値がないことは明らかであった。

新たな部署で私の上司になった男はカワシンと呼ばれる完全な異常者だった。日系のSI会社を退職後カリフォルニアでMBAを取得し日本へ戻ってきた彼はこれまで筆者が出会ってきた上司の中で最も自由であり、強烈な個性を放つ鬼才であった。関係する部下全員に英語学習を強制させ、自分自身の価値の可視化を強く求めた。上司であっても部下であっても理屈に合わない物に対してはとことんチャットや対面を問わず糾弾し、その多くが問題発言として扱われ人事からの呼び出しをうけた。しかし本人はそれに対して全く怯む様子がなかった。

カワシンは筆者に「お前は結局何ができるやつなのか?」という、筆者自身が逃げ続けた問いを明確に突きつけた。「お前はすぐに政治をやる。いろんな人の要望を叶えようとするが、そこにお前の意志がない。だから周囲に信用されない。だからお前の下にチームを作ることができない。」と筆者を評価した。図星だった。彼は筆者の全てを否定した。筆者が唯一心の拠り所としていた綺麗な議事録、綺麗な日本語ですら、彼はその価値を認めなかった。俺たちは日本語の美しさを売っているわけではない。見かけだけが美しくても中身がなければ価値がない。筆者のかくスライドの全てを一刀両断していった。彼は筆者に「勉強量が圧倒的に不足している」といった。「通常、世間がコンサルタントに期待する思考のフレームであったり、議論の運び方であったり、そういったものの型がお前にはない。すべてゼロから検討されたもののように見えるから見る人を不安にさせる仕事の仕方をしている」と言われた。カワシンはこれまで調整屋としての機能に甘んじ、議論の爆心地にいることを避けてきた筆者に、コンサルタントとしてまたゼロから基礎のやり直しをするか、現状のままできることを探すのか、その2択を明確に突きつけてきたのである。

カワシン氏はその後数多くの問題発言の引責をするような形で会社を辞め、GAFAと呼ばれる会社の一つへ転職していった。会社の多くの人は彼に対してネガティブな印象を持っているが、筆者にとっては彼が筆者にした評価が自分を変えるトリガーとなったと思っている。筆者は当時31歳になっていたが、カワシンのいう通り、特に何かができるわけではない自分を見つめなおす必要があった。政治はできる。しかし、戦略コンサル的な思考方法に強いわけでもない。英語もできない。テクノロジーに対する理解も浅い。およそ社会がコンサルティング会社のマネージャに求める像からはかけ離れた場所に自分が存在していることを自覚しなければならなかった。

この間、筆者には自分を変えるきっかけとなってもう一つの大きな失敗がある。筆者自身が炎上している仕事を生き延びたという結果がそのままキャリアになってきたという点もあり、主体的に能動的にキャリアを積み重ねていきたいスタッフの想い、というものが感覚としてまだ理解できなかったのである。仕事は本来大変な物である。仕事は会社から与えられ、会社員はそれを終わらせる物であり、それをやらないのは我儘である。と、この期に及んでもなお筆者はその価値観は自分の脳から剥がすことができていなかった。

その筆者の凝り固まった思考を突きつけられる事件があった。とある仕事を一緒にやっていた女性社員から、プロジェクトが終わった際に涙ながらに訴えかけられたことがあった。「私がこの仕事を我慢してやっていたことについて、どれくらい真剣に考えてくれましたか?あの時、相談したことについて、どのような対応をしてくれたのでしょうか?」と言われたことがあった。女性は結婚、出産のライフイベントが身体に物理的に影響を与えるため、男性以上にどのタイミングでどのキャリアレベルにいるべきであるのかをより細かく計画しなければいけない。昇進できるタイミングで昇進できる能力を兼ね備えていたとしても、それがライフイベントと折り合いがつかなければそのチャンスを見逃さなければならないこともありえる。それをすべて緻密に計画している女性社員にとって、一つのプロジェクトにおいてどのような実績を上げることができるのか、どのようなスキルを身につけることができるのかは、筆者自身におけるそれとは比較できない重みを持つものだったのである。

マネージャであることはその下の人間の人生に対しても一定の責任を背負うものであることであるが、その自覚が当時の筆者には足りていなかった。彼女に言われ、その時はじめて自分は一緒に働いている社員のことについて何も理解していなかったことを自覚した。

相変わらずボロボロなプライドと生活のままの中、なぜそう決意したのか明確な理由はもはや覚えていないが、筆者はそこから足掻くことを決めた。既に30歳をすぎてはいたが、考えてみれば社会人生活の1/4が経過したにすぎず、腐ったまま過ごすには残り30年が長すぎると感じたのだと思う。自分の気に入らないことを一つ一つ潰していくことにした。最初のターゲットは英語だった。10年後も英語にコンプレックスを持ったまま社会人を過ごすのはあまりにもこうありたいと考える自分の姿とかけ離れていたからである。
(英語学習の仕方については以下を参照してほしい)


英語克服を徹底的な手段で実行するために、留学を目標とした勉強を開始することにした。渋谷の大手留学予備校の門をたたき、TOEFL対策講座を一括で購入した。また、自分の意志を持つこと、戦略的な思考とは詰まるところ何なのか、テクノロジーとはどういう物なのか?を理解するために、ありとあらゆる書籍を買い込み、始業前に読み込んだ。1週間に最低1冊、世で売れているコンサルティングに関する本を吸収し、先進技術に関する本も良しとされるものはひたすら読んだ。それをひたすらに継続した。

巡るように時間は過ぎた。勉強すれど勉強すれど、どうすれば自分に足りないものが埋められるのかがわからず苦しんでいるなかで、当時の所属のディレクターにアドバイスを求めた際、彼は「ないものを求めすぎようとしてはいけない。この会社でマネージャになったということは既に何かしらの能力があることは間違いない。問題は勝てる場所で戦えていないことなんじゃないだろうか」と筆者に指摘した。

この一言は私の戦い方を大きく変えるきっかけになった。ディレクターがくれたアドバイスの通り、自分は何もできないのか?と言われるとそうではなかった。自分でできることの言語化をサボっているだけであり、それ故に自分の勝てる場所を見定められていないのではないか?そのように考えるようになった。そして自分の長所と勝てる場所を徹底的に整理することにした。



シニアコンサルタント〜マネージャ編:シニアコンサルタントとマネージャに求められているものとは?

今のお前の行動!…本当にオシマイかと思ったよ…
ブチャラティ さっきお前の事「幹部失格」だなんて言ったが撤回するよ…無礼な事を言ったな…お前は物事を平等に決断できる男だ…「自分の命」をも含めてな…

荒木飛呂彦 ジョジョの奇妙な冒険Parte5 黄金の風 プロシュートの言葉


本章は当初マネージャ編として記載を始めたのであるが、あえてシニアコンサルタントからマネージャとした。というのも、シニアコンサルタントは実質的にマネージャとして振る舞うことが求められ、マネージャたる実績をあげた上で昇進することが理想とされるからである。

仮にマネージャとして十分という評価がなく何らかの事情(グローバルの景気に左右されたりジェンダーの比率調整であったり等)でマネージャになってしまった場合、年収は上がるが最初の数年は地獄を見ることになる。筆者は地獄を見た。最初の2年は何もうまくいかず、上司に怒られ、クライアントの信頼を失い、部下は倒れた。自分自身も徹夜で働き、その上で何も残らなかった。それは私がスタッフとマネージャとの差を明確に意識せず、何となくマネージャになってしまっていことの確固たる証拠であった。ではマネージャにはいったい何が必要であったのであろうか?


プロジェクトを勝利に導ける


これが唯一にして絶対的な条件である。
極論になるが、勝ってさえいれば勝ち方は問わない。スタッフは試合の中で求められた役割をやっていれば良いがマネージャはそうはいかない。
お前のヘディングに期待していると言われて試合に出た上で、新卒があげてくる膝下にも満たない低いクロスを体で押し込み得点しなければいけない。ヘディングの位置にボールがこなかったとかはもはや言い訳できないのである。さらにピンチとあればフォワードであってもディフェンスに回ることも、自分の判断でそれが勝ちに必要とあればやらなければいけない。負けたら終わりなのである。よくチームのみんなと一緒に考え、寄り添いあうマネージャになりたいという人がいる。私もかつてそうだった。しかしこれは明確な間違いの始まりである。会社、クライアント、部下が求めるのはプロジェクトを勝利に導けるマネージャであり、一緒に負け、悲しみを分かち合うマネージャではないのである。この点を勘違いしてはいけない。マネージャであるからにはどんな手段を用いても勝たなければいけない。社内に人がいないなら外部の業者を自分で連れてくるのである。ツールがなければ自分で探すか作るかするのである。手段を択ばないとはそういうことであり、総力戦である。

では、そもそもプロジェクトにおける勝ち、とは何なのか。これはプロジェクトやアカウントの特性にもよるが、概ね以下の点に帰結すると考えている。

  • 既存の案件についてまずスケジュール品質面で問題なく完遂させること

  • 継続の案件が獲得できることあるいは長期的な提案機会がいただける関係性をクライアントと築けていること

  • チームメンバーの会社・プロジェクトへのロイヤリティを維持しつつ、成長させること

クライアントは満足、会社は儲かる、部下はスキルを伸ばす。この3点が満たせていれば、まぁ勝ちとして良いと考えている。個別の条件についてはプロジェクト開始の際にパートナーとよく議論すると良いだろう。

ところで、諸君らはジョジョの奇妙な冒険を読んだことはあるだろうか。筆者は少年の頃、ジャンプの愛読者であったのであるが、当時ジョジョシリーズについては独特な絵の特徴がどうにも心に引っかかり、読める時は読む、というような極めて中途半端な付き合い方をしていた。この作品の真の面白さに気づいたのはまさしく社会人になってからである。
特にイタリアを舞台にしたParte5 黄金の風シリーズは組織における個人のミッションのあり方、そして残酷で困難な運命に翻弄された時、人間はどのように振る舞うべきであるのかを考えるにあたり非常に重要な逸話が数多く収録されているため、未読の方はぜひ一度読んでいただきたい。

では勝てるマネージャになるためにどうすれば良いのか?

クライアントフェイシング編

  • 自分の世界観と正義、そしてストーリーを持つ
    リクルート式でいうお前はどうしたいの?に対して明確な解を持つことが求められる。これは仕事上の話ではない。世界を日本を、クライアントの業界そして事業をどうしたいのか?ということについての答えを持つことを意味する。なぜそんなことが必要なのか?

    マネージャとなると、対峙するクライアントの役職は必然的に上がってくる。部長、本部長、Cクラスが出てくる。彼らは数百の社員の生活を預かる立場であり、はっきり言ってコンサルトという傭兵稼業のマネージャとは背負っているプレッシャーが異なる。そういう人間はまともな人間であればあるほど、自身の事業を通し世界をどうすべきか?という問いに自分の思考のリソースを使い始める。その際、コンサルに求めるのは世界観レベルの議論であり、ソリューションの話ではない。今目の前に来ている人間は自分の世界観やストーリーにどういう影響を与える可能性があるのかをシビアに評価している。

    「我々の会社は事業は、あるいはこの事業を通して世界はどうなるべきだと思っていますか?」

    これに答えられない場合、こいつと話す価値はないと判断されるリスクがあると考えるべきである。逆にこれが語れるようになればもはや瑣末なことでクライアントからクレームを受けることはなくなるほどの迫力を身につけることができる。

    では自分のストーリーを持つためにはどうすれば良いのか?これは仕事に逃げていてはいけない。映画を見て、旅行をし、本を読み、先人の悩み、世界の問題に自分を投影し、社会課題を自分ごととしなければいけない。

  • 自分の属性を知り、自分の勝利の方程式を持つこと
    人には向き不向きがある。マネージャにも得意不得意がある。しかしマネージャは上述の通り、勝つことが絶対条件であるために、勝てる場所で戦うことが必要であり、不向きな仕事をやった結果負けることがあってはいけない。勝てないほど向いていない仕事はそもそも引き受けてはいけないのだ。この点は意識しておこう。その上で自分はどんな条件が揃っていれば活躍できるのか?どのような場所であればバリューが出せるのかを明文化しそれを社内外に明確に示すべきである。

    筆者の場合はもうとにかく細かいことはできない。数字の管理や正確なアウトプットのような仕事はやらせたらダメなのである。もしやらせるのであれば、それが得意な右腕が必要であることを主張する。代わりに、既存のリレーションがない顧客のところに飛び込みリレーションを開発し必要な情報をかき集めて整備、方針出しをしてプロジェクトを前に進めると言ったことは得意である。
    また、筆者はいわゆる一般のコンサルタントが苦手な「無目的に喋りにいく」、が得意である。とりあえずクライアントの所に行って世間話をして仲良くなる。アジェンダがなくても筆者はクライアントと会話ができ、一番身近な相談相手になることができる。一方で、会社の勝負どころのプレゼンにおいて、筆者が有識者としてクライアントの前に出て来ればそれは出オチのような雰囲気になってしまうため、やってはいけない。これは単に役割分担の話である。全員が物理攻撃が得意な戦士である必要はなく、プロジェクトメンバー全員で勝てれば良いのであり、自分の特性が白魔術師や踊り子等のサポートであるのなら、その個性を遺憾無く発揮できる場所を自分自身で作る必要がある。
    どういう仕事、どういう場所であれば他の人よりうまくできるということを謙遜せず伝える。何ならできて何ならできないのか?を周囲に開示し、共有していくことで、自然と勝てる場所に自分を誘導することができるようになるのである。

  • 対立関係にあるクライアントにはそれぞれ別の担当を立てるのがベター

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