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コンサルティング会社完全サバイバルマニュアル(ジュニアコンサルタント編)

本章はコンサルティング会社完全サバイバルマニュアルの第2章である。
プロジェクトの正に最前線で戦うジュニアコンサルタント諸君らに向けて記載する。第1章アナリスト編は以下を参照いただきたい。

ジュニアコンサルタント編

ところで諸君らはなぜコンサルタントになったのだろうか。就職活動、あるいは転職活動の時、志望動機として何をいっただろうか?それは本音だっただろうか、そして当時の願望は満たされただろうか?

筆者は今振り返れば別にコンサルタントになりたいと思っていたわけではなかったのだと思う。とりあえず所属しているコミュニティの上から20%くらいになんとなく入って安心したかった、ただそれだけだったのだと思う。大学はそれなりに名の知れた私立文系の大学であったのだが、その学生達が全員参加するゲームであるのであれば、上位20%に入る実績とはどれなのか?を無意識にフィルタし、候補となる会社を上から順に受け、そしてたまたま内定をもらったのがコンサルティング会社だったのだ。

なぜ上位20%くらいにいたかったのかというと、安心したかったからなんじゃないかと思う。筆者は高校生の頃からバンド活動をしており、大学時代は友人達と結構真剣にインディーズバンドをやっていたのであるが、バンドに青春を捧げる東京の大学生としてはかなり保守的な思想の持ち主だったようだ。

では、上から20%くらいに入っていればでは安全なのか?というと別にそんなわけではもちろんないと頭ではわかっていたのであるが、一生働く仕事を、1日8時間を拘束される何かを22歳の頃の筆者は決めることができなかった。決める気がなかったのかもしれないし決め方がわからなかったのかもしれない。いずれにしても30歳の自分や40歳の自分のことを想像することなど当時の自分には出来なかった。なりたくないもの、嫌いなものばかりで、なりたいものはなかった。尊敬する大人はたくさんいたが、そのように生きたいとも生きられるとも思えなかった。

しかし、生きていくにあたりどうせやるならマシな仕事で、そして人生の途中で再チャレンジができる場所、それくらいの動機を「成長できる環境である」というような言葉でパッキングし、そしてたまたま内定をもらっただけである。

筆者自身マネージャに昇進してから多くの採用面接を担当したが、当時の筆者と同じような動機でコンサルティング業界を志望する学生は年々増えているように感じる。継続的に学習ができ、転職の潰しがきき、古い仲間に再会したときに恥ずかしくない会社。新卒で選ぶ会社等それくらいの動機で選ぶのが筆者は普通であると思っている。

しかしこれは就職活動のとりあえずの理由としては通用するのであるが、働き続ける理由が依然としてこのままであると、落とし穴が待っている。社会人においてでは上位20%とはいったいなんなのだろうか。年収で決まるのか、社内の業績で決まるのか、はたまた社会に対して成し遂げた何かで決まるのか、家庭をもったスピードで決まるのか。それらを厳密に評価し、自分は上位20%でいることを証明することなどもはやできない。しかし、人間は自分だけはきっと大丈夫だ、と考えたいのである。そして、少しずつ自分ができるなにかをできない人、自分が持っているものを持っていない人を探し、それを見つけて自分の立ち位置はきっとまだ上位20%の中にあるのだろうと自分を説得して安心するようになる。
若くして過酷な労働を生き延び、「一般的なコンサルティング会社のアナリストができること」を脳に装着した当時の筆者は、愚かなことに、あぁこれで安心だ。これでもう俺は大丈夫なんだ。こんなに頑張って、こんなに働いているのだから、私はきっと救われる。と根拠のない信仰を労働に求め始め、そして成長することを止めたのである。


ジュニアコンサルタント編:邂逅:どのようなジュニアコンサルタントであったのか

「理想をつかみ取る”飢え” オマエにはそれが足りていなかった」

芥見下々「呪術廻戦」

2年間で基本的なコンサルタントとしての所作を叩き込まれ、着々と戦闘マシンへと変貌していった筆者はリーマンショックから回復しつつあった景気の影響もあってか無事3年目にコンサルタント職へと昇進することができた。不運にもステイ(同一のポジションに留まること)評価となった同期もいる中では幸運を勝ち取った言って良いだろう。

この頃には当時のようにあまりにも初歩的なミスで注意を受ける、ということはなくなり、少しずつではあるが自分にできることの広がりを感じるようになっていた。一部の同期や先輩が勤務形態に耐えきれず逃げ出すようにやめていく中、コンサルタント職に昇進した自分は無自覚に、しかし確実に、自分は選ばれた一部の人間であるという意識を持ちはじめていた。

当時筆者が所属していた部署においては特に工程管理業務、すなわちPMO業務と呼ばれるプロジェクトが多く存在していた。自らがシステム開発そのものを請け負うのではなく、あくまでも他の国内パートナー企業が開発するその工程を第3者的に、クライアントの名の下に管理支援する仕事であり、国内パートナー企業が週次で報告してくる資料や適宜提出してくる成果物の品質をチェックする仕事である。まだ精神的に未熟であった筆者を始め、多くの同年代のコンサルタントはこの言わば監督役という立場の持つ権力に少しずつ精神を毒されていった。

我々コンサルタントは2年あるいは3年、情報を体系的・構造的に説明し、可視化するといういわばロジカルシンキングを徹底的に叩き込まれた人間である。それらの人間にとって、各パートナー企業が提出してくる資料はどこをどう見ても粒度がまばらであり、明快な論旨もなく、どこまでも非ロジカルに見えた。当時の筆者はそれを見つけるや否や、1から100まで全てのつっこみ所を探し、そして指摘として悦に浸った。ロジカルであること。それが正義だと信じていたのである。だらしない日本企業の悪しき風習を破壊する使者としての若いコンサルタント。自分をそのように解釈し、日々送られてくる資料に指摘を入れては返し、その山をみて自分の仕事の功績としていた。

このような仕事の仕方は多くの衝突と不信をよんだ。資料を出せば指摘が山ほど出てくるとわかれば、報告する側はなるべく提出する情報や資料を最低限の物にしようとする。当たり前である。そして、出すにあたっては何重のチェックを社内でかけたものを提出する必要があったために、工数は肥大化しスケジュールは遅延する。

本来、スケジュールが納期通り、予算のキャップ通りにプロジェクトを着地させなければいけないはずのPMOであった自分達こそが、スケジュールや予算の課題となっていることに気づかずに、日々狭い自分達の世界の中で、それ以外の周囲を馬鹿にして仕事をしていた。万死に値する愚行である。

自らが陥っている沼に何も気づかず、私はただひたすら自分ができるようになった仕事を時間の限り昼夜やりつづけた。自分自身は新しいことに挑戦することをやめ、ただ今自分の場所から見えることを、見える範囲の正しさで言葉にし仕事をしていた。そのような仕事は無限にあったので、これこそが自分の価値であるといつしか信じるようになっていた。

それなりに忙しく、しかしやりがいを感じながら仕事を続け、気づけばマネージャ昇進のかかった年次に差し掛かっていた。仕事に大きなミスはなかったし、PMOとしてのスキルであれば、社内スタッフの中ではそれなりの所に位置しているはずであるという自覚もあった。しかしそんな筆者の自惚れを打ち砕くように、当時のキャリアカウンセラーは筆者に「ステイ」の評価結果を伝えたのである。自分がマネージャになるものと確信していた筆者は文字通りショックで言葉が出ず、その日昇進の知らせを伝えることができると考えていた上司や同僚等に会うのがたまらなく恥ずかしくなり、はじめてオフィスにいくのが嫌だと感じた。

筆者が昇進に失敗した年、マネージャに昇進した同僚はむしろ自分が知らず知らずのうちに馬鹿にしていたようなパートナー企業と同じ目線で、同じ立場で働いているチームの同僚等であった。彼らは筆者と違い、プロジェクト全体が前に進むために、パートナー企業を管理するのではなく、一緒に考え前に進める仕事をしていた。そして彼らは筆者とちがい今ある力で戦うだけでなく、日々パートナー企業から多くの技術を吸収し、一つの専門性とも言える特殊スキルを身につけはじめていた。その時はじめて私は、自分には武器が何もないことを知ったのである。

傷心の中、新たにアサインされた仕事は文字通りの地獄だった。生涯においてこの時以上に働いた時期はないと断言できる。3時間寝ることができれば良い方で、行きと帰りのタクシーの中で寝て、シャワーをあび着替え出社するというような日々が10ヶ月程続くことになった。深夜、会社を出てタクシーに乗り込むと、運転手さんに「家でいいですか?」とだけ聞かれるほどタクシーを毎日使っていた。タクシーの月額は家賃を上回り家を借りている意味を考えさせられた。首都高を走る車の窓から見えるぼんやりと橙色に光る東京タワーが当時の唯一の癒しだった。とても文化的な生活とは言えない期間であったが、「ステイ」の失意の底にあった筆者にとって仕事が忙しいことは幸運であった。自分に足りないものから目を逸らしながら暴力的な忙しさに酔い続けた。

当時タクシーから撮影した東京タワー

当時の上司はヌタさんと呼ばれる巨人だった。背丈が190cm近くある文字通りの巨人である。会社の別の人が燃やしてしまった仕事に突如として現れ、その圧倒的な火力で鎮火し、そしてまた新しい火事場へと現れる戦場の英霊。その働き方はまさにUnlimited Blade Works、”体は剣でできている”を彷彿とさせるものであった。筆者が13年この仕事をしたなかで、彼は「個」として最強のコンサルタントであった。圧倒的な問題解決能力に加えて技術的なバックグラウンドの強さ、何より強靭な精神と底なしの体力を持っていた。おそらく最後チーム全員がぶっ倒れたとしても、彼であれば一人で全てをやり切るのではないか?という絶対的な存在感があった。

ヌタさんとは自分がアナリスト時代に一度だけ提案書作成の仕事を共にしたことがあった。アナリスト編で上述した通り、アナリスト時代の私はアルバイトの延長以上のことは出来なかったために、わざわざ出張までした大阪で2週間、先輩達のレッドブルを買ったりプロジェクトルームの旧型のプリンタのトナーを淀屋橋のヨドバシカメラへ買い出しにいったりというような仕事しかできていなかった。そんな筆者にとってこの仕事は成長した自分の姿を見せるためのリベンジマッチという意味合いがあったのだが、たかが数年の修練を詰んだ当時の筆者とヌタさんの間には計測すらできない程の実力差が存在していた。

筆者が所属していたチームのミッションは、超巨大システムのH/W更改にあたり、更改後も現行業務が同様に行えるかどうか?を担保するための業務テストシナリオを作り上げることであった。通常であれば業務フローが存在し、それをベースにシナリオは作られるのであるが、多くの企業と同様、業務フロー等というものは存在せず、それをゼロからクライアント有識者達の話を聞き、繋ぎ合わせ、資料に落とす。これを平日休日昼夜を問わずひたすら繰り返し、数千の業務フローを3ヶ月の期間で書き上げた。あまりにも過酷なスケジュールと業務量であったが、このプロジェクトを経験したことで、クライアントの業務システムの全体像を少ない手がかりのみで大部分想像することが出来る、というある種の特殊能力を身につけることができたのは大きな財産であった。

筆者の仕事について、記憶の限りヌタさんに褒められたことは一度としてない。元々口数が多いというタイプの人ではないのであるが、彼の沈黙が承認を意味するのか否定を意味するのか、あるいは熟考の時間であるのか、その真意は表情からは読み取ることができなかった。彼は”間”の後、しばらくすると「だから、結局...なんだよな」というような結論を呟き、筆者の顔を見た。その言葉の真意を掴めない私は、「すみません、よくわかりません...」というしかなく、ヌタさんはいつもがっかりした顔でレビューを終わらせた。あるレビュー回のあと、彼は私に「課題の捉え方が平面的すぎる」「仕事の仕方に濃淡がない」ということを言った。その言葉だけがその後数年にわたり自分の頭に残り続けていたのであるが、ヌタさんと私の話のすれ違いはまさしくこの見ている世界の次元の違いに起因していたのではないかと今は思う。

数千の業務シナリオのテストを回帰テストを含めて約2ヶ月間で実行するこの仕事は壮絶を極めた。日中時間はひたすらテストを実行し、定時が終われば翌日のシナリオの準備と協力会社への作業依頼書を作る。夜が明けるタイミングで常駐先のスタバで仮眠し、8時からまた働く。GWをすべて返上して働いていたために、当然勤怠時間は異常値となり、コンプライアンス部や人事部から働くのをやめろというメールが来ていたように思うが、もはやそのメールを開いている余裕すらないくらい忙しかった。組織の上層部が、期間限定で何かしらの例外手続きを行い、私と同じチームにいた後輩はこのテストが終わった後、約1ヶ月という期間の代休が有給とは別途割り当てられることになった。

すべてのテストを消化した後、代休と有給で約2ヶ月の休暇を終えた頃、私はキャリアカウンセラーにマネージャになることを知らされた。その年最も過酷とされた仕事で中心的な役割を果たしたことが評価されたのである。昇進は素直に嬉しかった。やっと報われたのだと思った。しかし、この時の筆者は本質的に1年前から精神的になんの成長もなかったのである。私はただ、長時間労働に耐えることができた頑丈なスタッフではあったが、マネージャとしてチームを引っ張ることができる人間では到底なかった。自分自身に足りない何かを忙しさで埋め合わせ、直視しなかったツケは結局マネージャになった後に払わされることになるのであった。この点はシニアコンサルタント〜マネージャ編で後述する。


ジュニアコンサルタント編:ジュニアコンサルタントに求められるものとは?

祈るんじゃない
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まず頭にしっかり作る────────

南勝久「ザ・ファブル」

さて、コンサルタントが売り物としているものは「変化」である。我々は提案の書かれた資料を、時にシステムの実装を、時にアウトソーシングを売る。それら一つ一つのサービスを通してコンサルタントがクライアントに売っているものは「変化」だと筆者は考える。

そしてこの点こそがシステムの導入や移行のみを売り物とする他の会社との差別化要素であり、それ故にコンサルタントの月単価は高額である。そのため、コンサルタントは時にクライアントの要求に対して、要求自体の修正を、拡大を求める場合がある。変化に必要な施策の総量に対してクライアントの要求は時に局所的に過ぎる場合があるためである。

ジュニアコンサルタントに求められるものはこの「変化」を諸君らの守備領域において実現することができるに足る能力を持っているか?であると筆者は考える。

ただ、降って来る作業を速く正確にターミネートするだけの世界を脱し、諸君らは変化の1個主体として、クライアントを、チームを、そして自分を変え続けることが求められる。もはや諸君らは変革そのものなのだ。

コンサルタントという職位を手にした諸君らはれっきとした会社の1戦闘単位として認識される。これが意味することは、概ね以下である。

  1. 自らのミッションを理解しミッション実現のために自走できる

  2. プロジェクトに影響がありそうな内部・外部兆候を察知した場合、前提や作業計画を柔軟に修正することができる

  3. 不確定要素に対し前提をおいて作業をドライブすることができる

  4. 数人の作業員に対して作業指示ができ、納期・アウトプット品質をコントロールできる

  5. チームの主力として他メンバーの個性を認め、多様性を尊重できる

  6. 飛び道具となるキャリア上のスキルがひとつ以上存在している

自らのミッションを理解しミッション実現のために自走できる

「自走」はジュニアコンサルタントの必要条件になる。マネージャから示される方針をインプットとし、自領域におけるミッションを拾い上げ、その実現のためにチームとしての起承転結のストーリーを描けるようになる必要がある。また、一度作成したストーリーに固執することなく、ミッション実現のために常に周囲の状況の変化をよく観察しながら、修正すべき点を見つけ、それをマネージャに提案できるようになることが必要である。いくつかポイントになる点を記載したい。

  • 自領域のミッションを定量的に定めよ
    アナリスト時代においてコミットすべきは一つ一つのタスクで問題ないのであるが、チームの主戦力であり、1領域の顔であるジュニアコンサルタント諸君らにおいては、ミッションにコミットすることが求められる。
    ミッションはその自領域の存在意義である。諸君らにおいては、最終的に何が実現できていたら、自領域のミッションは果たされたと言って良いのかを、クライアントや上司とよく議論してほしい。
    ミッションはプロジェクトの背景や目的によって大きく異なるものであるが、可能な限り定量的な変革目標を定めるのが良いだろう。

    例えば諸君らがクライアントのセキュリティ部門を担当するとする。その場合、クライアントが現状からどのように「変化」したことを持って諸君らのチームはそのミッションを完了したといえるだろうか。
    極端な例を言えば、翌月のセキュリティインシデントをゼロにする。インシデント発生から第一報までのリードタイムの平均を○○分まで減らす。などが定量目標として定めやすいであろう。

    これらの目標を定めることで、目的意識なく、なんとなく作業してプロジェクト期間を浪費するという仕事の仕方がなくなるため、仮決めであったとしても一度何かしらの定量目標を定めておくと良いだろう。

  • マスターとなるクライアントを明確にせよ
    特に総合コンサルティング会社においては、いくつかの領域に分かれて一つのプロジェクトとして動くような場合が多いため、誰が、どのクライアントを守備範囲とするのか?はバイネームで事前に決めておくのが良い。自分自身がマスターとするクライアントを決めたのであれば、そのクライアントに自社のファンとなってもらえるように毎日話をし、彼女彼が日々何を考えているのかを自分の言葉で社内で説明できるようになる必要がある。
    マスターとなるクライアントとは定量的に定めた変化目標を日々一緒にモニタリングしつつ、自分達のやっていることの方向性が正しいのかあるいは間違っているのかを共に議論する関係性になっておくのが良いだろう。二人三脚の関係性を作り、ワンチームで一緒に検討をしている、という状態を早めに作ることができれば、プロジェクトを円滑に進めやすくなる。

  • プロジェクトを通して何をアウトプットすれば良いのかを明確にせよ
    筆者は成果物主義的な考え方を極端に嫌う人間であるが、仕事としてクライアントから発注を受けている業者である以上、検収は必要であり、検収時において具体的に我々が何を作成したのか?は説明できなければマスターとなってくれているクライアントが社内の購買部等から糾弾されてしまうことにもなりかねないので、必要なアウトプットはもちろん作成しなければいけない。

    プロジェクトで必要になるアウトプットのイメージをプロジェクト開始時に全て書き上げる。本来であれば提案書作成時点で、どのタイミングでなにが作られるのか?それぞれの資料で何が定義されているのかまで決められているべきであるが、それは理想であり、現実としてはなんかよくわからんけどはじまってしまったというプロジェクトがまぁまぁ存在するのが実情である。

    プロジェクトを通して何をつくればよいのか?についてはプロジェクトの性質に応じてある程度の型が存在する。同様のプロジェクト成果物を持っていそうな先輩やパートナーを探し、この辺りを作れればよいかな?という”当たり”を作るとよい。一度この当たりを作った後は、マネージャ、シニアマネージャ、パートナー、プロジェクト体制上の一番上まで含めて合意すること。

    アウトプットを作ること自体が目的化すると、一生懸命紙を作った割にはクライアントの心が離れている、ということも往々にしてあり得るため、一つ一つのアウトプットの意味合いをマスターとなるクライアントと日々議論しながら、一緒に作り上げていく、という意識を忘れないことが重要になる。

プロジェクト影響がありそうな内部・外部兆候を察知した場合、前提や作業計画を柔軟に修正することができる

繰り返しになるが諸君らがコミットすべきはクライアントの「変化」であり、タスクの完了ではない。どんなに事前に割り当てられたタスクを完了しようとも、そのタスクそのものが既に意味を失っている場合、そのタスクを完了したとしてもクライアントの「変化」に対して、なんの実績も上げたことにはならない。

この点をよく理解しないと、ただひたすら無意味な作業をし続けるブルシットジョバーへと堕ちていってしまう。

筆者が邂逅編で陥っていた罠はまさにこの点であり、筆者は事前に定められた役割に従いひたすらパートナー企業の成果物に対して赤入れをし続けたのであるが、その指摘自体によってクライアントに「変化」をもたらせていないのであれば、ただのマスターベーションに他ならない。

そのため、ミッションの実現のために今ある計画が既に無意味なものとなっている場合はその作業計画を適宜更新、あるいは抜本的に白紙に戻すことさえも選択肢として頭に入れるべきである。

この点、作業スコープではないが自分達の未来に影響を与えうる”何か”を無視しないことが重要になる。非常に抽象的な記載となってしまうが、このポイントをコンサルタントとして重要な点として指摘すると同僚は必ず賛同してくれる。邂逅編の中でヌタさんが筆者に「管理が平面的にすぎる」と指摘したのはまさしくこの点になる(と筆者は勝手に解釈している)。

コンサルタントとしての基礎的な能力を叩き込まれたアナリストは自然と「自分自身のスコープと納期の死守」を最優先の行動原理として働くようになる。この仕事の仕方が行き着く先は、自分自身のやらなければいけないことをリスト化し、それに期限を入れ、上から順に起票から完了ステータスへと変えていく仕事の仕方になる。これはこれ自体を否定する訳ではない。しかし、一歩引いて考えてみよう。そもそも仕事とは「タスクを終わらせること」なのであろうか。

筆者は当時、仕事とは「タスクを終わらせること」と考えていた。そのため筆者にとっての仕事とはExcelに起票されたスケジュール、課題管理簿、リスク管理簿、そしてToDo管理簿であったのである。

しかし仕事とはExcelのリストほどわかりやすい物ではない。当然である。仕事は本質的にはクライアントの満足いくサービスを提供し賃金を得ることである。すなわち、今この瞬間、Excelに起票されたタスクを終わらせること自体がクライアントの変革に結びつかないのであれば、その仕事そのものが無価値であることを意味する。アナリストからコンサルタントになった諸君らはこの点を理解していなければいけない。当時筆者とヌタさんの会話が噛み合わなかった理由は、筆者はExcel一つ一つの作業の進捗の話をしたのに対し、ヌタさんはExcel管理そのものの意味、そしてExcelに書かれていない、より高次元な”何か”、ExcelのX軸とY軸に表現できていないものの話をしていたのである。

この視点を身につけるためにもミッションの定量化が必要だと筆者は考える。自分自身が今日やっていることが正しく変革につながっているのか?について、数にコミットせずに仕事をしていると、仕事をすること自体が目的化するからである。

クライアントを含むプロジェクト全体として、我々はどこへ向かっているのか?何をなぜなす必要があるのか?を徹底的に考え、現在の作業計画の有効性と妥当性を毎日考えることが必要である。

もしも作業の意味に少しでも疑問を持ったのであれば、その仮説を上司やクライアントと議論し、チーム全体の作業の方向性を修正していくことが求められる。

今ひいてあるスケジュールは既に現実的ではなくなっているのかもしれない。今のチームの役割分担は既に実態と合わないものとなっているのかもしれない。それは既に存在しているWBSやExcelの管理簿には現れない、より高次元の何かであるが、WBSやExcelよりもはるかに根源的で本質的な問題なのである。

不確定要素に対し前提をおいて作業をドライブすることができる

プロジェクトを推進するにあたって、よくあるのがあてにしていた情報が全く出てこない、である。例えば「ここまではこちらでやっておきますから」とクライアントが前工程の作業をやった上でこちら側に引き継ぎ、それをインプットとして作業を開始する、という作業計画はよくあるものであるが、クライアント側のインプット作成が遅れ、その結果こちらの作業遅延の原因となる、というのはよく見る光景である。

また、待ちに待った資料がやってきたとしても、その資料が到底使い物になるような粒度で記載されていない、なんてことは諸君らにおいても経験のあることなのではないだろうか。

もちろんこの点はクライアント側に非があるわけであり、こちらの作業の遅延について責任を取る必要もないのであるが、問題なのは結果としてこちらの作業が遅れている、という見え方になることである。サボっているのがクライアントであったとしても、クライアントのマネジメントレイヤーから見れば、なぜコンサル会社が入っているのにプロジェクト自体が遅れているのか?という評価になりかねない。結局のところコンサルティング会社は経営層とのリレーションがすべてであるため、せっかく頑張っているのであるから、マネジメントレイヤーにも評価されたいものである。

ではどうするか。もう出てこないのであればこちらで前提をおいて進める他ない。こちらはこう書くから、インプットはこうしてくれ、と逆にクライアント側に依頼するのである。こうするとプロジェクトのシナリオそのものをコントロールしやすくなるため、後続の作業も進めやすくなることが多い。

数人の作業員に対して作業指示ができ、納期・アウトプット品質をコントロールできる

多くのジュニアコンサルタントにとって最も苦労する点は「どのように人に動いてもらうのか?」ではないだろうか。特にコンサルティング会社でアナリストを経験し、コンサルタントになった人の中には、既に自分自身は相当なスピードと品質でアウトプットが出せるようになっている人も少なくないであろう。

自分自身の作業もある中、誰かに何かを依頼し、そしてその納期と品質をコントロールするというのは非常に高度なスキルであり、実際マネージャになってからもこれを上手くできる人は少ない。しかし、今後諸君らがキャリアレベルを上げ、より多くの守備範囲を見るようになった時、自分ではない誰かに自分が考えているものを作ってもらう、ということがいつまでたってもできないのであれば、必ず時間が足りなくなり、睡眠時間を失い、そして倒れる。ではどうすれば良いのか?以下は筆者が考える、依頼の仕方の要諦である。

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