ニーバーの祈りと“のさり”

幽霊と話ができるという友人に、占星術に連れて行ってもらったことがある。紹介されたのは、彼女の師匠だという人物だ。

わたしの周りには、わりとスピリチュアル系の人は多い。
オーラが見えるという友人もいるし、植物の声が聞けるとか、バシャールがなんとかとか…言う人もいる。熱心にリトリートしている人もいる。
ただ、わたしは全て信じるし、同時に全て疑っているので、そういう人たちやその思想について「そういうのあるんだなぁ」以上の感想を持っていない。わたしが“ある”とか“ない”とか認める前に、そういう人たちはいて、そういう思想は世に存在するのだから、わたしがどうこうするものでもない。

友人によれば、よく当たるのだという占星術を受けるにあたって、なるべく正確な出生情報が必要だった。
生年月日はもちろん、生まれた時刻、生まれた場所、それらの情報を得るために、妹に保管してある母子手帳を掘り起こしてもらった。
どちらかと言うと、じぶんが誕生した時点などあまり振り返りたくはないような人生だったのだけれど、せっかくだから、とわたしは期待と好奇心、そして、出生情報のメモを握りしめて占い師に会いに行った。

場所は普通のダイニングバーで、そこに週二回程その占い師がやってくる。
占星術は予約制だ。
占い好きの妹も誘っていた。今回、友人は付き添いで、占ってもらうのはわたしと妹のふたり。

ダイニングバーで食事をしながら、占い師が来るのを待った。
どんな怪しい人物が来るのかと思っていたら、やってきた占い師―友人からすれば“師匠”は、極々普通の風体をした40代男性だった。
さらに、パソコンを広げたりするものだから、ますますただの会社員にしか見えなかった。

結果を言うと、その占いはかなり当たっていた。
じぶんの特性、向いていること、妹との相性、だんなとの関係について納得する部分が大いにある啓示を受けた。
さらに、占い師は「女性のコミュニティに所属する」と予言していたのだが、その占いから約一年後にNPOに参画することになり、現在もそれは継続中なのだが、まさにそうなった。

中でも気になったのが、こんな予言だ。
「じぶんの場所、ホームを得ます。それは、物理的な場所―拠点のようなものか、または、より所となる考えのような精神的なものか、もしくは安心できる人との出会いか。それが、11月4日でしょう」  

まぁ、何とでも受け取れる表現とも言えるけれども、なるほど、と思って聞いていた。何と言っても11月4日とはっきり言っているのが信憑性を増しているではないか。
とにかく、わたしはその11月4日を楽しみに待った。

そして、2018年11月4日。
その日は、月に一度の手芸ワークショップの日で出掛けていた。
振り返ってみても、わたしがその日得たことが確実にひとつある。
ワークショップに同席した友人から聞いた言葉、人生訓だった。

それが“のさり”だ。

“のさり”は、熊本の方言で「良いことも悪いことも、与えられたことと思って区別なく受け取る」のような意味だと、その時は友人から教わった。
「なるようになる」のような明るいニュアンスも感じられる言葉のような印象も持った。
何となく“ケセラセラ”のような意味の言葉かな、と思い、もしかしたらこれがわたしの“ホーム、より所”かもしれないという予感が胸に残った。

それからよく調べてみると、“のさり”には
「わが身の理性、知恵、自己本位の計算や意志、教養などのはるかに及ばぬ大いなるもののはからいによって、授けあたえられたもの」という意味があることや、水俣の漁師言葉で「天の恵み」を意味し、すべてを受け入れ、執着せずに手放す勇気をくれる言葉とされていることが分かった。

それでますます、これがわたしの“ホーム、より所”だと思うようになる。
これは、ニーバーの祈りにも通じるような気がした。

ニーバーの祈りを知ったのは、6年前だと思う。
一度鬱明けしたのだが、鬱後特有の“取り戻そうと頑張りすぎる”特性を発動してしまったために見事にぶり返し、また大きく人生につまづいている時だった。
一番ひどい状態からは脱していたものの、とにかく感情の波をうまく処理できないじぶんに困り果てていた。
その時は、何とかここから抜けようと必死だった。
いろいろ調べていて、「境界性パーソナリティー障害」を疑うようになる。
当時通っていたメンタルクリニックでも、その懸念を話したが、「そこまでじゃないが、何かしらパーソナリティーの問題はある」と茶を濁されて終わった。
少し安心しながらも、疑いを捨てきれなかったわたしはさらに調べた。

そして、ある日書店で『弁証法的行動療法』と出会う。
これは、「境界性パーソナリティー障害」の自己破壊性や感情調節不全や依存性に効果のある認知行動療法だった。
まず、手に取った理由として「弁証法」の言葉に惹かれた、というのが一番にある。
最初の深く長い鬱期に出会って救われたのが「ヘーゲルの弁証法」だったからだ。
その出会いについてはまた別で話してみたいと思うのだが、とにかくわたしはヘーゲルとの出会い以後、「弁証法的」なものを好きになった。
手に取って中身を確認したわたしは、「境界性パーソナリティー障害」であるなしに関わらずやってみよう!と一筋の希望の光にすがる想いでその本を購入したことを覚えている。

今その本は、一通り熱心にトレーニングの実践に役立てた後、わたしが勝手に、だけれど必要なんじゃないかと感じた「解離性同一性障害」の友人にあげた。
そうそう、その友人がオーラが見える人だ。
そんなわけで、手元にはないのだが思い出してみると、本の冒頭に書かれていたのがニーバーの祈りだった。

二ーバーの祈りとは、アメリカの神学者で倫理学者のラインホールド・ニーバーが、マサチューセッツ州西部の山村の小さな教会で1943年の夏に説教したときの祈りのことだ。
第二次世界大戦後、アルコール依存症の断酒会のモットーとして広く知れ渡り、今日まで様々な困難な状況を打破しようとする人々の胸の中で唱えられ続けている。

ニーバーの祈り  

神よ、
変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。

ラインホールド・ニーバー(大木英夫 訳)



『弁証法的行動療法』では、ニーバーの祈りで言う“変えることのできるものを変え、変えることのできないものを受け容れる”ということを可能にするトレーニングを行っていく。
「境界性パーソナリティー障害」では、しばしばそれが逆になっていてじぶんを苦しめるからだ。
つまり、“変えることのできることを変えられず、変えることのできないものを受け容れられない”から、感情の波に翻弄され、消耗する。
例え、わたしが医師の言うように「境界性パーソナリティー障害」ではなかったとしても、結果このトレーニングを実践したことは大いに意味があった。

そんなわけで、弁証法とニーバーの祈りを胸にその後を歩んできたわたしにとって、“のさり”はそのスピリットの仲間として受け入れられたのである。

与えられたものを恵みとしてありがたく享受する心と、手放すべきものを見極めてじぶんを活かすための智慧。
このふたつが、いつでもじぶんが還るべき“ホーム”なのだと確信している。  

2019/12/06 05:23  


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