涼宮ハルヒと躁鬱

涼宮ハルヒシリーズファンのことを「ハルヒスト」と呼ぶのだろうか。
ふと思って調べてみたら、本当にそう呼ぶらしい。
ネットとは、実に便利だ。単語を検索窓に入れてみるだけで、どこまでも繋がっていく世界を探求することができる。
「言葉」を鍵として、新たな世界の扉を開くようである。

少し話がずれてきた。戻そう。

あなたが、もしもこの記事のタイトルやタグに釣られてやってきた「ハルヒスト」なら今すぐバックボタンで来た道を引き返してほしい。
今から書くことは「涼宮ハルヒの憂鬱」の完全な“誤読”だからだ。
最後まで読んだとして、有益な情報は得られないからだ。
要するに、わたしはコアなファンを納得させるような言説を持ち合わせていないにも関わらず、「涼宮ハルヒ」を語ろうなどという明確な目的さえもなく、好き勝手に文章を書き散らかす。
と、これではまったく“要して”いなかった。
要するに怒らせたいわけではなく、怒られたくない。


2019年11月15日、わたしは双極性障害Ⅱ型の可能性と診断された。
翌日の16日は仕事、生活、人間関係など周囲の調節をどうやっていこうかと考え、悲観的な妄想に捕らわれ、ひとり泣いたりしていた。
このときのわたしは、軽躁状態が萎むとともに冷静さを取り戻しつつあり、躁状態のツケに苦しみ、じぶんが分からなくなっていく不安の中、精神科受診した鬱状態だった。
中でも心配したのが家庭のことで、キヨにどうやって話そうか、キヨは分かってくれるのか、そんなことを考えると不安で目の前が暗くなった。

キヨとは、だんなのことである。

キリスト教徒でも聖人君子でもないのだが、名前に「聖」の字が入っているので、付き合いはじめた当初から「キヨ」と呼んでいる。ちなみに、名前の音に「キヨ」は存在しない。

ひとり、妄想の中でさめざめと泣いた後、翌日の17日の夜に診断結果を打ち明けることにした。
わたしはいつもそうで、どんなに悩んで、打ち明けるかどうかを迷ったとしても、結局は黙っていることができない。
その翌日の18日はお互いに仕事が休みだったので気持ちに余裕があるだろうと思った。まずは、お酒を飲んでリラックスした状態にするのだ。

楽しくお酒を飲んでいると、このまま何も言わないでこれまでと変わらず過ごせばいいんじゃないか、そんな気持ちになった。
キヨは、鬱状態のわたしを知っている。そして、結婚して3年間、鬱を再発させることはなかった。
妙に気を遣い、落ち込みやすい部分はあるけれども何とかうまくそれもいなせるようになって、ここ一年はやりたいことに向かって動いて、そのために新しい人間関係をつくることにも積極的だった。
事あるごと、楽し気に夢を語って、キヨもそれを応援してくれていた。

そんな元気なじぶんが、躁状態だったなんて。
鬱は克服したのではなく、躁状態に鳴りを潜めていただけで、躁鬱の中に残っていたなんて。
それは、じぶんが一番ショックだっただけではなく、キヨがきっとがっかりするだろうな、と考えるとさらにダメージがつのった。

「理解を求めてはいけない」
わたしは、ある意味でこれを格言のようにいつも胸にしまっている。
裏切らないし、期待しない。
じぶんを守るためにも、これを大事にしている。
一方で「理解されたい」という想いがじぶんの内にあることも横目で捉えている。“ある意味で”とは、絶対視しないということで、何ひとつ否定せず、無理に抑え込まず、あるものはあるとして認めながら節度を守る。
距離が近すぎたり、中に入り込んだりしてしまうと苦しくなってくるからだ。

そこで、わたしはゆらゆらと左右に触れる弥次郎兵衛が転ぶことを恐れながら歩くように、慎重に話し始めた。
遠くから行こう。楽し気に近付いて、つかんだ時に正体を見せよう。
弥次郎兵衛の歩み第一歩は、これだ。

「キャリー・フィッシャー、知ってる?」

「知ってる、知ってる!なんで?」

訊くまでもなく、キヨは知っているに決まっていた。スターウォーズの大ファンだ。
「ダース・ベイダー」と言っていたら、「呼び捨てにするな、“ベイダー卿”と呼べ」と怒られたくらいである。
レイア姫を演じた女優を知らないはずはない。

「キャリー・フィッシャー、何の病気だったか、知ってる?」

「え、知って……いや、え、知らない」

キャリー・フィッシャーは2016年に心臓発作で亡くなった。
朝の情報番組を一緒に見ていて、キヨも「キャリー・フィッシャー、死んじゃった」と騒いでいた。

「キャリー・フィッシャーの病気、何だったか、知ってる?」

「え?何、何の話?」

キャリー・フィッシャーも双極性障害で苦しんだ、という記事をネットで拾い読みした。
そして、他にも記事の中に並んでいた有名人の名前を借りることにした。

「えぇと、じゃあ、リンカーン」

「?」

「宮沢賢治、夏目漱石、共通点は?」

もはやクイズである。
混乱するキヨに痺れを切らし、畳みかけた。
そういえば、わたしは計画して慎重に物事を進めることが苦手なんだった。
そのことに病気も関係あるかもしれない。

「わたしも、その仲間」

さぁ、なんだ?それは、何のサークルだ!と答えを迫る。
打ち明け話に漕ぎつけるのに不安を消したかった。早いペースで飲んだワインがかなり効いてきている。
リンカーンとじぶんを同列にして、気分が少し良かった。第16代大統領だぞ。

「え?何、分からない」

えぇい!この、バカ!
わたしは、何ひとつつかんでいないにも関わらず正体を現すことにした。

「双極性障害って知ってる?みんな、それだ。リンカーンも宮沢賢治も」

「え?…あ、病院、行ったの?診断出たの?」

病院に行くとは言ったが、精神科に行くとは言っていなかった。
「時々、指関節が痛い」と少し前から訴えていて、病院に行くことはキヨも勧めていた。母はリウマチ科に罹っていて、両手両足の計20本の指は曲がりまくって、3年半前に亡くなった。
リウマチは遺伝の可能性が高いということで、関節痛が気になったのだ。
今は、関節の痛さよりも気分変調の方が気掛かりで、精神科を受診した。

「双極性障害って、知ってる?」

「知らない」

「じゃ、躁鬱病って、知ってる?」

「知ってる…」

キヨの表情が変わった。何か言われる前にこちらから先制する。
そんな話をしながら観ていたのが「涼宮ハルヒの憂鬱」だった。

「わたしは、涼宮ハルヒ」

「は?」

「涼宮ハルヒは、退屈になると鬱になる。そんで、急になんか思いついて人を巻き込んで突拍子もないことをやったりする」

「はぁ」

「涼宮ハルヒは躁鬱」

まだ読んでいる「ハルヒスト」はやっぱりここで怒ったことだろう。
今からでも遅くない。今すぐ元居た場所に帰るのだ。

まったくのデタラメで、まったくの持論なので、ほとんど自己満足で書き散らかすのだけれど、わりと的を得ていておもしろい解釈だと思っている。自己満足だ。

涼宮ハルヒの世界はまさに「涼宮ハルヒの憂鬱」からはじまった。
ある日、ハルヒはキョンにその憂鬱について打ち明ける。
小学6年生の時、野球場に観戦に行ったハルヒは、一堂に会する人の多さに愕然とする。それまで何かじぶんは特別な存在なのではないかと心の片隅に思っていたハルヒは、じぶんは大勢の中のたったひとりで、じぶんが過ごす日常はごくありふれたものなのだと気付く。
しかし、この大勢の中には特別な人間がきっといるはずで、特別な人生を歩んでいるのだろう、なぜそれがじぶんではないのか。
そんなことを考え、急に色褪せた日常に鬱々としながら日々を持て余す。

これは、鬱に陥る感情、状況にかなり近いと思う。
じぶんがとてつもなくちっぽけな存在に思えること。
色褪せた日常に何の意味も見出せない、絶望、怒り、苛立ち。

しかし、ハルヒはしばらく後に発想する。
「楽しいことは待っていてもやってこない。こちらから探しに行こう」と。
この時に、情報爆発/時空間の断絶/閉鎖空間の発生が起こったのだと考えられる。

「人間原理」について、エスパーの小泉が触れているシーンがあるが、その説明のように宇宙が観測されることによって創られているのだとすると、ハルヒがこれまでの認識を変えたその瞬間に新たな宇宙が形成されたのだと結び付けることができる。

かくして宇宙の創造主=神となったハルヒは、そうとは気付かぬまま高校生となり、キョンと出会う。
ハルヒの設立した「SOS団」のハルヒ以外のメンバーには裏の活動任務がある。
ハルヒを退屈させないこと。
ハルヒが暇になると、閉鎖空間が生まれ、その中を鬱屈とした感情の具現化である怪物が暴れまわり破壊行動をする。破壊が続く限り閉鎖空間は拡大し、拡大を食い止めないといずれ世界は反転し、入れ替わってしまう。

これは、鬱の状況に酷似していると思う。
全く動けない鬱状態から、少しだけエネルギーが出てきた時に焦り、怒り、不安、自己否定、絶望などの感情に突き動かされて行動化する。
多くの場合、じぶんに向かう破壊行動である。
ここから抜け出さなければ、世界は反転しこちら側が真実になってしまうというところも同じだと思う。

ただ、ハルヒにはこの鬱屈とした想いと、それを振り払うかのように突拍子もない思い付きに突き進んでいく二極性がある。
そう、これが躁鬱だ。

わたしもハルヒと同じで、退屈してはいけないのだと思う。
ここ3年間程は安定した生活を送っていたようで、わたしは退屈していた。
そして、わたしは何なのかと考えはじめた。ここからの思い付きが躁状態へと向かって行ったのではないかと考えられる。
わたしの場合は、躁状態に動き過ぎたもろもろのツケで鬱に傾くのだけれど。

と、こんな風に「躁鬱とは?」をキヨに説明してみたのだ。

この説明が功を奏したのかどうかは知らないが、
「別に問題ない、治さなくていい」とキヨは言ってくれた。
この展開には本当に救われる想いがした。

ただ、「涼宮ハルヒの憂鬱」とは別の話で、躁状態の人が無茶な衝動買いをして破滅するなどの例を出して、「わたしはそんなことはないから、大丈夫」と安心させようとしたところ、「それ、じぶんの方が可能性高くないか?」と、青くなっていたのはキヨの方だった。

確かにキヨは、趣味で作っている金属小物のニーズも販路も得ていないのに、制作のために大金を先行投資しているのだ。

まぁ、この世の人間を大別すると7割が鬱か躁鬱とか言うらしいしね。
みな、グラデーションを持って生きている。許そう。

2019/11/28 04:47


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