日記(68日目)

 文章に出来ることは何だろうか。SNSで絵を人に描いてあげるのはよくあるが、文章を書いてあげるというのは見たことがない。同じ絵は真似したって素人には書けないけれど、同じ文章は書こうと思えば、誰でもコピペで終わる話だ。映像、音楽などのすぐに面白かったり感動したりする所謂ファストコンテンツに溢れる中で、まどろっこしい文章に出来ることは何か。
 そもそも文章は面白くなるまでに時間がかかりすぎる。勝手に入ってくるものではない、自ら能動的に享受する必要がある。大作であればあるほど、その先の爽快(とは限らないが)が約束されたものでない限りいつ投げ出してもおかしくない。SNSに投稿されていたら、面白くなるまでに読むのをやめるだろう。プロが書いた名作と言われるものだけでもとても読み切れる量ではない本があるのに、大量のコンテンツを何でもない人達が投下していて、その中から素晴らしい文章を発掘しようなんて人は相当な物好きである。それはとても労力に見合う作業ではないし、読みたくない文章を読むのは苦痛だろう。私の文章をわざわざ読むとすれば、それは数奇なマイノリティといわざるを得ない。直感的に好き嫌いが分かるものに人は集まる。
 では文章に出来ることは何か。公募に応募されて出版された本だけ読んでいればいいのか。それではSNSの中で(情報商材とかでなく書き物として)文章に出来ることは果たしてあるのか。小説家を目指すのでもなければ切磋琢磨しても何の意味もないただの自己満足か、まあそうだな、趣味とはそういうものだ。趣味に生産性を求めることがナンセンスか。自分が満足するものを楽しく書けばいい。
 今まで何度も同じことを考えた気がする。その度、よし今度こそきちんとした小説を完成させてみよう、と思い立つ。何でもっと早く書かなかったんだと自責する。しかし、結局未だに書けずにいる。別に書かなくてもいい、そんなまどろっこしいものを、自分で書く必要はない。では何故諦められないのか、毎度まいど同じ課題を自分に課しているのか、これは何の呪いなのか、書かなければいけない、そしてまた同じ考えがループする。ならば今まで書けなかったところまで書くしかない、でなければ分からないことがある、そういうことだろう。

 今週はまたこんな考えが一周した。あとはPS5予約しようかなと思ったけど、最近はPS4もYouTubeとアマプラを見る機材と化してるし様子見することにした。単純にゲームしたいと思った。

最後まで読んで下さって、ありがとうございます。 サポートは必要ございません。 また、記事を読んで貰えたら嬉しいです!