選択肢は多いほど幸せなのか

 私はこれまで優柔不断であることを自負してきたが、果たしてここまで選択肢の多い世の中で、きちんと何か選ぼうとしたときに、優柔不断にならない人なんているのだろうか。私は即断即決です、と言う人は、ちゃんと考えていないだけではないかと思えるくらいだ。

 選択肢が多いとどんな気持ちになるか想像して欲しい。例えばチョコレートを選ぶとして、「この店のおすすめはこちらの5つです。全部試食できますので気に入ったのを選んで下さい」と言われたら、普通に楽しく選べるだろう。全部食べてみてから美味しかったものを買って、とても満足して帰れそうな気がする。
 では、「この店には30種類のチョコレートがあります。全部試食できますので気に入ったのを選んで下さい」と言われたらどうだろう。私ならちょっとげんなりするかもしれない。ベストチョイスを目指すのであればもはや遊びではない、仕事である。選択に時間をかけるほど精神的にすり減るし、本当に選択が正しいか自信が無くなっていく。良い選択をしたという自信が買い物の満足度になると思うので、その自信が無くなるほど満足度も低くなる。なんなら5種類しかない方が、ショコラティエの力が分散せずに注ぎ込まれた、こだわりのある高品質なものにすら思える。

 チョコレートくらい何でもいいじゃないかと思うかもしれない。確かにそうだが、生活する上ではもっと重要な選択が沢山あって、同じようなことが起きるのだ。携帯電話の契約であったり、家であったり、車であったり、保険であったりだ。しかもそこでは、セールスマンが言葉巧みに誘導されたそのオプションには、踏み抜いたら落とし穴に落ちる罠がしかけられていたりするのだ。だから、気を抜けない。選択肢が多く複雑になることで、クイズみたいに正解があるように思える。それに多くの場合、正解はなくても間違いはある。これにしようと決めたときには、「ファイナルアンサー?」と聞かれている気になる。

 そう考えるとやはり選択肢はほどほどに明瞭がいい。だから、普段の買い物は、品揃えの良いショッピングセンターより、仕入れを絞って、同じものを大量に入荷しているスーパーの方が、選択肢が少ない上に安いという、選択疲れしている現代人には一石二鳥の優良店だと思う。

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