多様性のためには死ぬ必要がある

 なぜ寿命があるのか。別に寿命などなくても、常に新しい細胞を作り続ければ死ぬことはないのに、大概の生物はなぜか老衰して死ぬような設計になっている。
 それは、その方が生き残れるからだ。いや死んでるがな、というのはその個体のことであって、遺伝子が生き残るという話である。
そもそも寿命で死ななければ、ドラえもんのバイバインで増えていくどら焼きよろしく、地球上が生物で埋め尽くされて宇宙空間に溢れてしまう、なんていうことはなくて、生きられる個体数はその環境にあるリソースからして上限がある。寿命がなければ同じ個体がずっとその環境に生き続けることになり、増えすぎても餌がなくなって困るから子供を産まなくなって、基本みんな親族という感じで、みんな同じような遺伝子を持つことになる。少なくとも遺伝子のバリエーションは少なくなる。そうなると、ある疫病の流行やら環境の変化やらで全滅する。
 だからある程度で死んで、子供を残して遺伝子をまぜこぜにして、色んなバリエーションの遺伝子を作っておくことで、変化が起きてもある遺伝子を持つ個体は適応できたりする。我々のような複雑な多細胞生物は、そうした戦略を取ってるやつだけが生き残ってきたから、みんな寿命が設計に組み込まれている。つまり遺伝子の多様性のために私達は80歳そこらで死ぬのである。

 多様性という言葉が最近もてはやされている。組織でもなんでも多様性が重要で、それは成功のための優れた要素であったり、人権的な側面だったりで語られるが、遺伝子レベルでもそれが大事だったりする。

 予測できない変化に対して、とりあえず色々用意しておいて、偶然にうまく行ったやつがもてはやされるのが多様性だ。遺伝子の例でもよくわかるが、別に生き残ったやつが優れているわけでなく、偶然に環境にフィットできたというだけで、狙ってその遺伝子を作ったわけではない。そこに優劣はなく、多様性の時点ではフラットであり、変化に適応できるかどうかはランダムなのだ。みんなできなかったら全滅するというわけだから、多様性が大事だということなんだろう。

 そう思えばみんなもう少しだけ隣人に優しくなれるのではないかと思った。

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