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【留学体験記①】

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2019年の一年間オーストラリアに留学していた。
そのことを少しずつ思い出して書こうと思う。

今回は留学に行こうと思った理由についてだ。
それには小学五年生まで遡ることとなる。

当時、多言語クラブのプログラムで2週間ロシアに行き、ホームステイをした。ロシアでの経験はまたいつか書こうと思っている。ロシア語はおろか英語もろくに話せなかった。そこで感じたことは決してロシア語に関することではない。言葉など二の次だ、伝えたい思いがあればどうとでもなる。想いを伝えようとする、そのことに意味がある。

高校一年生の夏には、上海でのホームステイプログラム参加した。ロシア以来の海外交流だ。前回同様、本場の人たちの会話にはついていけない。しかし、ホストの姉弟は英語が話せたので困らなかった。とある夜、中国語しか知らないホストファザーが上海の魅力を語ってくれた。隣で姉弟が通訳してくれたが、彼はそれを介していないかのように僕の目をじっと見つめて話していた。彼の思いがどんな言語で訳されようが、僕はその意味を理解しただろう。言語はあくまで手段でしかないのだ。自分が今どういう立場に置かれ何を相手に求めるか、どう自分が在るべきか、それを伝えるための。

上海交流から帰ってきて、長期留学に行くことを決意する。日本にいると得られない”伝わらない”という経験を通して更に自分というものを充実したものにしたかった。一年間かけて違う言語を使って生活することで、何を自分は世界に伝えようとするのか知りたかったのだ。

これが僕の留学の土台だ。ここから始まった。

更には日本の英語教育、つまり大学に合格するためのみの指導に疑問があり、自分の言語に対する価値観を確かめたいと思っていた。大学受験における英語は主にリーディングとリスニング、そこに意思は必要ない。正確に文章を読む・聞くという力は科学技術の方が将来優れるようになる。Grammarlyといった人工知能と自然言語処理を用いたデジタルライティングツールがその例として挙げられるだろう。だからこそ、自分が思っていることを伝える練習をするべきで、日本の教育では未だ不十分だ、と思ったのだ。そのことを証明するためにも、英語の学習方法として日本の教育が正しいのかを別視点で捉え、日本の教育とは異なる方法で英語を学んでみたかった。

これが留学に行きたかった理由だ。
実際に何でオーストラリアに行きたいと思ったかは別の機会にしよう。