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『注文の多い料理店』(宮沢賢治)

その時ふとうしろを見ますと、立派な一軒の西洋造りの家がありました。
 そして玄関には

RESTAURANT 西洋料理店
WILDCAT HOUSE 山猫軒

という札がでていました。
「君、ちょうどいい。ここはこれでなかなか開けてるんだ。入ろうじゃないか」
「おや、こんなとこにおかしいね。しかしとにかく何か食事ができるんだろう」
「もちろんできるさ。看板にそう書いてあるじゃないか」
「はいろうじゃないか。ぼくはもう何か喰べたくて倒れそうなんだ。」
 二人は玄関に立ちました。玄関は白い瀬戸の煉瓦で組んで、実に立派なもんです。
 そして硝子の開き戸がたって、そこに金文字でこう書いてありました。
「どなたもどうかお入りください。決してご遠慮はありません」
 二人はそこで、ひどくよろこんで言いました。
「こいつはどうだ、やっぱり世の中はうまくできてるねえ、きょう一日なんぎしたけれど、こんどはこんないいこともある。このうちは料理店だけれどもただでご馳走するんだぜ。」
(本文より)

少し引用が長くなってしまいましたが、書きたかったのはこの「やっぱり世の中はうまくできてるねぇ。」のことです。
そんなわけはありません、山の奥深くでお腹が空いて、「何か食べたいなぁ」って言ったらレストランが出てくるなんて。結果二人の若い紳士は美味しいご飯が食べられるどころか、あれこれ面倒な注文をこなさなきゃいけなくなって、最後は自分たちが食べられそうな羽目に・・・。

以前はこのストーリーを、童話の中だけの素っ頓狂な展開だと思っていましたが、だんだんと現実世界でも人の営みって同じようなものかも、と思うようになりました。大人になると、職場や家庭で何かしらの注文を常に受けている状況と言えなくもないな、と。そうしてその環境を選んだのは多かれ少なかれ自分である、という点も同じ。この二人の若い紳士のように、最初は喜んでその場に飛び込んでいった記憶も確かにあります。だとしたら、「注文の多い料理店」とは、今、わたしがいるこの場所のこと。でも一つ違うのは、最後に待っている誰か、です。

現実世界では、怖い怖い化け猫ではなくて、実はかわいらしく微笑んで私を待っていてくれる猫、だったらいいなぁと思います。
あるいは実際は、概念のようなものかもしれません。自分が信じている「何か」が、最後に微笑んで待っていてくれていたら。

賢治が生前に刊行した2冊の書籍のうちの一冊、童話集「注文の多い料理店」は2024年を迎える来年、刊行から100年を迎えます。いつも立春に開催している展示「春の白、冬の白。シャツとことば(於 組む東京)」も、今回はこの「注文の多い料理店」を主軸に、朗読教室やインスタレーション、朗読会を展開していきます。
それに合わせて、1月のオンライン教室の賢治コースも「注文の多い料理店」を取り上げます。朗読が初めての方も、ただただ本を読んでいきたい方も、ぜひこの機会に、賢治の童話を朗読してみませんか。

1月のオンラインコース スケジュール

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