『魯山人味道』(北大路魯山人)
*2021年8月朗読教室テキスト② アドバンスコース
*著者 北大路魯山人
もともとたべものは、舌の上の味わいばかりで美味いとしているのではない。シャキシャキして美味いもの、グミグミしていることが佳いもの、シコシコして美味いもの、ネチネチして良いもの、カリカリして善なるもの、グニャグニャして旨いもの、モチモチまたボクボクして可なるもの、ザラザラしていて旨いもの、ネバネバするのが良いもの、シャリシャリして美味いもの、コリコリしたもの、弾力があって美味いもの、弾力のないためにうまいもの、柔らかくて善いもの悪いもの、硬くて可いもの悪いもの……ざっと考えても、以上のように触覚がたべものの美味さ不味さの大部分を支配しているものである。そういう意味において、数の子も口中に魚卵の弾丸のように炸裂する交響楽によって、数の子の真味を発揮しているのである。それゆえ、歯のわるい人には、これほどつまらないものはないだろう。
ー「数の子は音を食うもの」ー
魚河岸が豊洲でもなく築地でもなく日本橋にあった頃、京橋仲通りに魯山人がはじめた古美術店「大雅堂」がありました。卓越した鑑識眼で繁盛していた店も不景気がやって来て、魯山人は「売り物の古陶磁に料理を盛って、器を買ってもらおう」と考えます。小さな頃からよそへ預けられておさんどんを経験して来た彼には、そのアイデアに自信がありました。素材の持ち味を生かした美食と器はたちまち大評判となり、名士達が押しかけるほどになりました。
もともとは料理に関しても経営に関しても素人だった魯山人ですが、それぞれにこだわり抜いた独自の考え方を展開して玄人の世界を遥かに超えていきます。『魯山人味道』では、その尋常でない料理への執着が細かく描かれ、料理の味わいや涼やかさ/温かさ、歯ごたえ/舌触り、料理を食べる自身の体のけだるさ/爽快さ、滋味となっていく様などが体の中に染み込んでいきます。(冒頭の抜粋を、あまりのしつこさに若干「引き気味」になってしまったのは私だけではないと思います・・・)
8月のアドバンスコースは、北大路魯山人『魯山人味道(ろさんじんみどう)』より、食に関する文章を朗読します。夏の食材、美食と人生、料理する心のあり方・・・などなど、文章も味わいのある魯山人の世界観を楽しんで頂けたらと思います。
*底本 『魯山人味道』中央公論社
1980年4月10日 初版発行/1995年6月18日 改版発行
*文中の太字は本文より抜粋
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