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『虔十公園林』(宮沢賢治)

*2022年5月朗読教室テキスト①ビギナーコース
*著者 宮沢賢治

「ああさうさう、ありました、ありました。その虔十といふ人は少し足りないと私らは思ってゐたのです。いつでもはあはあ笑ってゐる人でした。毎日丁度この辺に立って私らの遊ぶのを見てゐたのです。この杉もみんなその人が植ゑたのださうです。あゝ全くたれがかしこくたれが賢くないかはわかりません。たゞどこまでも十力の作用は不思議です。こゝはもういつまでも子供たちの美しい公園地です。どうでせう。こゝに虔十公園林と名をつけていつまでもこの通り保存するやうにしては。」 ー本文よりー

主人公の虔十が植えた杉の苗は、やがて心地よい杉林へと成長し、学校帰りの子供達が思いっきり遊べる場となりました。虔十が亡くなった後もその場は活躍し、みんなにとってなくてはならないものになりました。

* * *

「ひとまず、天に投げておこう」

何か困ったこと、タイミングが読めないこと、なんだかよくわからないけど腰が重くて気が乗らないとき、「そのまま抱え続ける」のではなく、「天に投げておこう」と口にして、ほいっと天に放り投げる真似をします。外から見ると、それをしてもしなくても「解決しない」状態に違いはないのですが、やっている本人は目の前からもやもやがなくなったように思えて、気持ちがさっぱりします。これはある時友人がしていたことをそのまま真似させてもらったのですが、「天に投げる」というおまじないのような動作は、この物語の言葉にある「十力の作用」を使わせてもらっているのだということに気づきました。

本来楽しいことであったはずの「それ」が、ちょっとしたボタンのかけ違いだったり忙しいせいだったりして、動く気が起きません。動かない方がよいような気さえしてきます。けれども動かないことへの後ろめたさなんかが感じられてきて、だんだん面倒臭くなり、「それ」に対して前向きな気持ちが持てなくなったりします。「それ」自体が悪いのではなく、自分の脳が後ろ向きに固定化しているんじゃないかと思います。
いったん「天に投げる」をして、目の前からそれを消してしまい、なかったことに。そうして時がゆっくりと熟していき、自分の頭で考えていたときにはなかった様々な作用が働いて、ある日ぽとんと天から帰ってきます。しかも、思ってもみなかったくらい、よい風に。

この「作用する力」の存在を信じて、委ねられるか。主人公である虔十が途中で死んでいなくなっても、物語はなんの問題もなく展開していきます。「そんなことしても無駄だよ」と人に言われたとしてもお構いなしに「十力の作用」は確かに働き、物事は収まるところへ収まっていく。あるいは、人の想像を超えて、どこまでも広がっていくのです。

5月のビギナーコースは宮沢賢治著『虔十公園林』です。中盤で主人公がいなくなる、という予想外の構図を持つこの物語は、「自己」を手放し何かに委ねるためのヒントが詰まっているかもしれません。

5月オンラインレッスン

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