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『土神ときつね』(宮沢賢治)

夏のはじめのある晩でした。樺には新らしい柔らかな葉がいっぱいについていいかおりがそこら中いっぱい、空にはもう天の川がしらしらと渡り星はいちめんふるえたりゆれたり灯ったり消えたりしていました。
 その下を狐が詩集をもって遊びに行ったのでした。仕立おろしの紺の背広を着、赤革の靴もキッキッと鳴ったのです。
「実にしずかな晩ですねえ。」
「ええ。」樺の木はそっと返事をしました。
「蝎ぼしが向うを這っていますね。あの赤い大きなやつを昔は支那では火と云ったんですよ。」
「火星とはちがうんでしょうか。」
「火星とはちがいますよ。火星は惑星ですね、ところがあいつは立派な恒星なんです。」
「惑星、恒星ってどういうんですの。」
「惑星というのはですね、自分で光らないやつです。つまりほかから光を受けてやっと光るように見えるんです。恒星の方は自分で光るやつなんです。お日さまなんかは勿論恒星ですね。あんなに大きくてまぶしいんですがもし途方もない遠くから見たらやっぱり小さな星に見えるんでしょうね。」
(本文より)

登場人物は一本の奇麗な樺の木と、狐と、土神の3人です。上記は夏の初めのある晩に、樺の木と狐が交わす会話です。
宮沢賢治の童話には、他にも恋の物語があります。『シグナルとシグナレス』で、人間ではなく信号機による身分違いの恋です。この上記の樺の木と狐のように、天を見上げて星の話をするというところも似ています。恋人同士に星の話、はつきものなのでしょうか。

そんなふうに美しく設計された会話から一変、もう一人樺の木に恋をする土神が登場すると、物語は苦しそうに進んでいきます。土神は無骨で、狐のように美学も顕微鏡も外国の書物も持たず、樺の木に洒落た言葉もかけられず、それどころか近頃は人間からの供物も途絶えがちです。『猫の事務所』で「かま猫」が受けたいじめのように、自信のなさを種火に土神は荒れ狂い、勢い余って狐を手にかけ、美学や外国の書籍や顕微鏡があるはずの狐の部屋に駆け込むと・・・

ラストはここには書きませんが、そんなことってあるなぁと思いました。
伊集院静さんの言葉に「人はいろいろな事情を抱えながら平然と生きている」とありますが、現代でも同じ、人は抱えているものがあっても表には出ているのはほんの一部です。その人のことを思う時、知っているほんの一部の情報で輪郭を捉えようとしているのに過ぎません。
恋のお話かと思って手に取ったら、『土神ときつね』は、人間の業を描いた物語で・・・

6月のOnline朗読教室、賢治コースは『土神ときつね』です。
アーカイブよりもう一作品『ざしき童子(ぼっこ)』もご案内します。

これから暑くなる季節(そして今夏はより暑くなるとの予報ですね)、Onlineコースを充実させていきます。
涼しいお部屋にいながらにして、声を出してみませんか。
ブンガクコースも併せて、どうぞお楽しみに。

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