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「弱い奴なんてこの世にいらない」と思っていた自分が弱者になった末路

どうも、しま子です。

私は約7年前にうつ病を患い、現在では障害者手帳を2級の人です。

外で働くことが難しいので、社会的にも経済的にもいわゆる「社会的弱者」の部類に入ります。

現在では、社会的弱者ですが健常者だった頃は、弱い人の立場を考えたこともありませんでした。

そんな自分が、社会的弱者になった結末を今回は、話そうと思います。

健常者だった頃はスーパーサイヤ人

うつ病7年目の私は、当然7年前まではごく一般的な健常者でした。いや、むしろ普通の健常者よりも元気だったかもしれません。

普通に仕事をして給与は少なかったものの、なんの不安もなく毎月安定した金額が入るという暮らしをしていて欲しいものや遊びはなんでも手に入りました。

仕事終わりには、友人や当時交際していた彼氏と遊んで、俗にいう陽キャのような人生を謳歌していました。

とにかく元気で、なに不自由なく遊べていたので当時の気分はスーパーサイヤ人です。

当時の私は仕事もできていたので、仕事ができない人を見ると「なんでこんな簡単なこともできないの?馬鹿なの?」と思ってしまい、正直見下していました。

ましてや、精神疾患者で働けない人の気持ちなんて微塵も考えたことなんてありませんでした。

そんな、調子に乗った陽キャ娘に社会的弱者になる転機が訪れます。

仕事の重圧やパワハラでうつ病に

私の体調に最初の変化が現れたのは、睡眠でした。

いつものように疲れて眠りにつこうとしているのに、眠れない。

眠れないから、仕事でミスをして怒られる→落ち込む→眠れないの悪循環で、おかしいと気づいた時には、既にうつ病は重症化していました。

重症化した要因としては「私はうつ病になんてなるタイプの人間ではない」「精神科なんて心が弱い人が行くところ」と、勘違いしていたからです。

うつ病と診断されてからもしばらくは、自分の病気を受け入れられずに必死に抵抗してもがいていました。

それほど当時の私は、社会的弱者になりたくなくてなんとか健常者だと思い込みたかったのでしょう。

あれほど馬鹿にして見ないようにしていた、社会的弱者に自分もなってしまったという現実が受け入れられなかったんだと思います。

「社会的」には弱者でも「人間的」には弱者じゃない

私は現在、在宅でWEBライターをやっていますが、働く時間はフルタイムよりも短く生産性や社会的貢献度は低いですが、会社員だった頃よりも今の方が自由に生きています。

そして、社会的には弱者であっても、人間的にはうつ病になってからの方が考え方や生き方が強くなった気がするのです。

他人からなんと思われようとどうでもいいとか、もっといろんな生き方があっていいと心の底から思えるようになりました。

社会的弱者であろうとなかろうと、誰にでも何かしら劣っている部分はあります。

それに、社会的弱者だからといって生きる価値がないとか思ってる人は、自分がいざその状況になった時に絶望するでしょう。私もそうでしたから。

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