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『図書館』



嘘は一つの符号に過ぎない。求めたのは言葉とも違うピリオドと書き切るまでの機械人形(オートマタ)だった。


しかし、人形は太陽に灼かれている。外側には人間の皮を被せている。

しかし、人形の瞼は落ちている。生身の目玉はすぐに乾いてしまう。

しかし、人形が手紙を書いている。指にはまだ不具に血の通う女が残っている。


人でなしの墓地に花を添える、変わり者の影が揺れる。野晒しの教会に続く裏庭が墓地である。人気のない聖堂からは雨に打たれた女が降りてくる。漆黒の聖女は酸性の雨で沐浴するのだろう。打たれた肌は陶器の如く磨かれて、不自然なほど粗雑に打ち棄てられていた。

変わり身の早い信仰者に見限られたが故だろう。あるいは切り捨てて降りてきたのだろうか。ここは最果ての教会と呼ばれている。人の縁とは薄い地平の果てに建てたはいいが道はなく、瀟洒な装飾もなければ祈りを捧げる愚者もいない。この教会を訪ねる者は神がいないと信じている。見放したと合点すれば、注がれる視線も安眠を妨げない。

墓守もとうの昔に朽ち果てている。彼は死して番人となり、訪問者が出会う最初の死体として役目を果たす。永遠の曇り空が漲って、降り止まぬ雨は絶え間なく音を掻き乱す。

聖女は何事かを呟いている。音は雨滴と共に泥へと還っていく。祈念に留めればよいものを俗世に発報するからには恨み言の類いに決まっている。

耳を澄ましても聞こえてくるは大いなる落涙と趨勢の幻聴ぐらいだ。仮住まいの浮浪者さえ辛気臭くて逃げ出す始末だ。一体誰が居を構えるか、死人、廃人、人形か。


曇りっぱなしの空も日陰者でちょうどいい。変わらない、肌の色を隠してくれる。

降りっぱなしの雨は濡鼠でちょうどいい。閉じられない、瞳の痛みを癒やしてくれる。

置きっぱなしの墓が無縁仏でちょうどいい。刻めやしない、無銘の石を許してくれる。


漆黒の聖女は一通りの堕落を終えて立ち上がる。歩き始めて、知らずに人形を一瞥する。この手の温度に気付くだろうか。あるいは既に冷え切ってしまったか。

こだわりもなく視線を戻すと彼女は墓石へと向かう。屍肉を求めた烏が頭上で雨を泳いでいる。愚かな誤謬は不知がために成されている。

聖女は墓石の前で空を見る。頭上を回る烏の先を覗き見て、失った感傷に思いを馳せる。

誰だったのかは知らない。彼女が思い描いている人物ははじめから正しい姿ではなかった。失ったと思い込んでいるものは最初から掌中の外なのだ。

墓石に目を戻した漆黒の聖女は汚泥に転がった歪な形の石を手に取る。人形だけが映していた最果ての教会に一人だけがいる。

聖女は墓石を削った。身に余る重さを振り下ろして、爪が剥げて肉は抉れる。血は雨に融けて消えていく。そこまでして掘りたい名前を女は知らないはずだった。

ようやく書き切ったと思ったら、石を空中に投げ捨てる。力のない腕では烏に届かない。烏は嘲笑の声を上げる。

飛べるものを羨ましいとは思わない。彼らが背負うものは翼に比例して少ないからだ。地を這う理由があることを知らなければ、誰もが憧れるべきは地底だと気付かない。

聖女は泥に倒れ込んだ。息絶えたように錯覚するが、彼女は常に生きている。どちらかと言えば、死ぬことを夢見ていた。

墓石には漆黒の聖女が洗礼を受ける前の名が刻まれている。たとえ罪状が読み上げられたとしても、人形は名前に殉じることを望むはずだった。

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