教授との後日談
この2つのお話の、後日談。
今日も今日とて、教授の部屋にお邪魔する。やることが多すぎる。今日もまた「怯えた学生」として教授とお話しするのは、流石にしんどいな、と思いながら、ドアをノックした。
「失礼します」
「はーい、どうぞー、今日は緊張せずにこられたかー?」
「はい」
…はい!? あれなんか今日全然緊張しない!? 怖くない…!?
前回と打って変わって、普通に呼吸もできるし、声は震えないし、何ていうか、これは、あれだ。リラックスってやつだ多分。
というわけで用事をそつなくこなした…わけではないが、スムーズに終えることができたわけだ。
教授は一連の用事が終わった「後で」カップにお茶を淹れて渡してくれた。お茶を飲んでいる間は、雑談の時間になる。安心した状態で年長者と話せる機会はなかなか無い。彼がわざとそうしたのか偶然なのかは分からないが、非常にありがたかった(私も将来同じ手を使わせていただこう、機会があればね)。
…で。なぜ私はあんなに怖がったのだろう。もう一度考えてみた。
ある人は「昔似たようなことが起こったからじゃないかな」と言った。
「私もそう思うんですけどね、そもそも、ああいう…ニコニコして穏やかな男性でそんなに怖い思いしたことがないんだよね…」
「そうなんだ?」
「うん、でも、確かに高校の頃も、人当たりの良い先生がめちゃくちゃ怖かった」
「サイコパスに見える、的な? 笑顔だった人が豹変するのが怖い?」
「あ…それだ」
よく考えてみたら、いたわ、そういう人。笑顔だけど怖い人。
小学校の頃の先生で、怒るととんでもない声量で怒鳴る人。クラスこそ違ったものの、学年集会では怒鳴られるし、運動会の練習では怒鳴られるし、避難訓練では….って怖い印象しかなかった人。
ただ、委員会のお仕事でポスターを作成して提出しに行った時に「とてもよくできている、いいなぁ!」と朗らかに褒めてもらった。それまで「怒鳴られるかもしれない、怒られるかも、詰められるかも」と恐怖でガチガチだった体の力が抜けていくような気がした。
その先生の印象は「怒鳴っている人」「褒めてくれる人」の2つが混在していたわけだ。
で、非常に失礼なのは承知の上で、その小学校の先生と、教授はどちらも「長身の男性」「基本スタンスは笑顔」という共通点がある。
…もしかして私の本能がそこに反応した?つまり「笑顔でいる男性」→「きっと怒鳴ってくるに違いない」みたいな、思考の構造ができている?
えぇーーー失礼すぎる…せっかく親切にしてくれる教授に何てことを思っていたんだ…と自己嫌悪に陥った。
まあでも、しょうがないか、とも思う。自分の本能が自分を危険から守ろうとしている反応だ。これを私がコントロールできないことは、もう十分知っているし、味わった。
なので、私にできることは、そんなに多くない。こう唱えるだけだ。
「あれは昔のこと。今起こっていることじゃない」
「今、目の前にいる人は、昔出会った怖い人とは別の人。」
「あなたは、もう、そんなに弱くない」
「降りかかってくるトラブルに対して、無力なことも多いけど、あなたは色々な対処法を身につけた」
「大丈夫、怖くない」
「頑張ったね」
…と。生き延びた私に、少し誇りを持とうじゃないか。
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