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【#8】串刺しにされた姉が出店で売られていた故郷の古き思い出がどこまでも僕を苛むんですよ。【姉飼】

 こんばんは。今日もお疲れさまです。
 noteに新しい記事を書こうと思ったら「こういう風に文章を書くといいよ!」っていう例文のごとく書いてあった文章がなんか気に入ったので一番最初に書いてみたよ。朝、作業をする前にこれを読んだ人は「今から疲れるんだよ」って怒ったりするのかな。お疲れさま!! うつぶせくんだよ~。

 さて、前回はあんまりキャラじゃあないな。と思いながら愛とか恋とかそういうやつの小説を紹介したわけだけれども(凪良ゆう先生、本屋大賞おめでとうございます)、じゃあ今回は一体全体どんな本を紹介したものかと考えて、そういえば今までどんな本を紹介していたっけ。とyoutubeで自分の名前を検索したら、赤ん坊のうつ伏せ練習動画とかを挟むように僕の動画が表示されて、非常にもうしわけない気持ちになったりした。

 そんなわけで今回は、僕らしく、原点回帰のように再び愛の話をしようかな。と思ったわけだ。
 今回紹介する本は幼少の頃を過ごした村での思い出から始まる。
 村で開かれていた年に一度の大きな祭りで出会った初めての恋。
 衝撃的なそれはいつまでもいつまでも忘れることができなくて、独り立ちした主人公がその恋と再び出会い、そしてのめり込んでいく物語だ。
 哀愁漂う昔語りと、自らを崩壊させかねない激情に埋まっていく主人公の姿に、多くの人は生まれ育った街でのふとした出会いの記憶をおもいだしたのじゃあないだろうか。

 それが今回紹介する本。

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【姉飼(作:遠藤徹)】だ。

 ずっと姉が欲しかった。姉を飼うのが夢だった。
(文庫版:P7)

 冒頭一文目からタイトル回収から始まる本作は、第十回ホラー小説大賞受賞作品である。第十回と言えば、後に直木賞を受賞する朱川湊人が短編部門を受賞した回だな。
 それはともかく、姉を飼うとは一体全体どういう了見だ? と思われるだろう。安心してほしい。きみが知っている『姉』ではない。

 脂祭りの夜、出店で串刺しにされてぎゃあぎゃあ泣き喚いていた姉ら。太い串に胴体のまんなかを貫かれているせいだったのだろう。たしかに、見るからに痛々しげだった。目には涙が溢れ、口のまわりは鼻水と涎でぐしょぐしょ。振り乱した真っ黒い髪の毛は粘液のように空中に溢れだし、うねうねと舞い踊っていた。(文庫版:P7)
近づきすぎる客がいれば容赦なくからみつき、引き寄せる。からみつく力は相当なもので大の男でも、ずりずりと地面に靴先で溝を掘りながら引き寄せられていく。ついには肉厚の唇の内側に、みごとな乱杭歯が並ぶ口でがぶり。とやられそうになるのだが(文庫版:P7)
姉らを貫く串からは、絶えず血がしたたって、地面の上には、赤い染みが次第に大きくなってゆく。(文庫版:P8)

 どうやら『姉』というものは、チョコバナナのごとく体を串で貫かれていて、肉厚の唇で、乱杭歯で、近づきすぎたら普通に噛みつかれて肉を抉られるらしく、足下を見てみれば、串からしたたる血が広がっているらしい。鳴き声はぎょええええッ。
 ヤクザっぽい人たちが売ってるものだから、なんだかいかがわしくて、動物図鑑に載っていないらしい。人間の服を着れるので、見た目は人間みたいなんだろうな。いずことも知らない鬱蒼としたジャングルで頑張って捕まえて、串に刺して持って帰るらしい。どうして串を刺すの??????

 これは遠藤徹の小説でよくあることではあるのだが、遠藤徹は「説明するには実物を持ってきた方が早い」と思っているタイプなのだろう。
「子供の頃、出店で見かけた『姉』がずっと忘れられなくてなぁ。あ、これがその『姉』な」と目の前に姉をでん。と置いてくる。「ちょっと待って先生、なにそれ!?」って言っても「なにって。『姉』だよ。あんまり近づくなよ。噛みついてくるからな」としか言わない。
 それは他の小説でも同じで、例えば「キューブ・ガールズ」という短編では「お好みの見た目と脳の女の子のデータを入れてお湯で戻すピンク色の箱」が出てくる。これはまだ分かりやすい。
 例えば「カデンツァ」という短編では「炊飯ジャーと妻が不倫して、子供を身籠もった」話であり、作内では「冷蔵庫と常務の子供」も出てくる。常務と子供は人間だが母親は冷蔵庫で、子供は寒いところが好きだ。
 例えば「弁頭屋」という短編では「死体の頭をくり抜いて弁当を詰めた弁当屋」が普通に出てきて、主人公たちはそれを当然のように買っている。

「炊飯ジャーとの子供ってどういうこと!?」「なんだお前、ここにいるこの子供を否定するというのか」「いるなら仕方ないか……」
 つまり、遠藤徹は僕らが「これはなんですか?」と尋ねると「これはこれだよ」と実際の品を見せてくる人なのである。
 それはまるでマッチでどうして火がついているのかはさっぱり分からないんだけれども、擦ったら火がつくからまあいいか。ぐらいの気持ち。つまるところ日常的なのである。
 日常的な感性のまま、串刺しにされた人間そっくりの愛玩動物『姉』を見せられるのである。出店で並んでるのか。そうか……。どこの出店だ。どこの村だ。僕をどこにつれていくつもりだ。遠藤徹。
 その「どこにつれていくつもりだ」という感情が、きっと遠藤徹の小説をどこまでも彩ってくれていて、本を読む手を進めてくれるのだろう。暗中模索の手は留まることを知らないのである。

 遠藤徹『姉飼』。
『姉』という「一体全体なんなんだよ!?」と叫ばざるを得ない生き物。
 その淫靡でグロテスクな雰囲気にSMポルノのごとく飲み込まれた主人公は『姉』を買い、痛めつけ、愛し続けて、死んで哀しんで、また新しい『姉』を飼う。まるでペットロスである。
 姉を買う。姉を飼う。その誰しもが体験したことのないであろう日常はどんどん泥濘に沈んでいき、僕らは暗がりを漁るように手をかき回し、『姉』を愛し続ける男の転落を眺めるのである。それはもしかしたら愛みたいなものなのかもしれないって気分になりながら。

 そんなわけで遠藤徹の『姉飼』
 敢えて言うならノスタルジック恋愛ホラー。夏休み、田舎の村。麦茶を飲みながらのんびりしてたら知らない白いワンピースのお姉さんがやってきた。それは僕の忘れられない思い出。みたいなそんな話に、うっかり串刺しにされた人間そっくりの愛玩動物『姉』が混ざり込んで来ちゃったみたいな話だから、そういうノスタルジック大好きな人にはオススメだな!!!!!!
















 やっぱ『姉』ってなんなんだよぉ……………………。


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