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「『ぼっち・ざ・ろっく!』を見たTwitterのオタク」を見たオタクの感想【『pluː vol.01』刊行記念リレー企画】

東大純愛同好会は、同人誌『pluː vol.01』の刊行を記念して、サークルメンバーによるブログリレーの企画を行っています。
本記事は、その11本目になります。
執筆者は、ニドホグ(同人誌の担当箇所:表紙イラスト、座談会、編集、寄稿)です。


 先日、アニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』の放送が終わった。『リコリス・リコイル』に続く大人気作品だ。だが、どんな作品にも不満というものは上がるもので、特に友達がいない(いなかった)オタクというナイーブな人間を刺激する「ぼっち」という単語をタイトルに掲げた結果、後藤ひとりはフェイクボッチであるという言説がTwitter上で散見された。
 かくいう私も中学時代はボッチで通っており、初バイトの回では後藤の成長に劣等感を刺激された手合いである(因みに、友達が一人以上存在する、もしくはネット上に友達が存在するにも関わらず、ボッチを自称する連中は全員敵だ)。

 さて、そもそもバンドとボッチというテーマは非常に相性が悪い。理由は当然、一人ではバンドを組めないからだ。では、一人でロックを続けるにはどうすれば良いか、DTM(デスクトップミュージック)である。ボーカロイドと音の打ち込みで孤独なロックを完成させるのだ。バンド組んで孤独を歌う奴は全員フェイク。
 ……なんて、現在は友達がいる俺に孤独を語る資格は無いし、Twitterで後藤に文句を言っている大半の人間も、次の瞬間にはリプライで仲良くネット上の人間とやり取りをしている。全て欺瞞だ。それでも性格の悪いオタクがぼっち・ざ・ろっくに文句をつけたくなってしまうのは、アレが酷く青春的な作品だからだろう。

 これだけインターネットが普及した今、自分にできないことを出来る人間がどうしても目につく。故に、多くのオタクが劣等感を抱えて生きている。例に漏れず、私もその一人だ。
 学生時代、文化祭の度に見ることとなる吹奏楽部や軽音部の演奏。楽器が出来ない私に、その巧拙は分からない。ただ、その盛り上がりだけが真実だった。あの青春力はヤバすぎる。いつも教室の隅でラノベを読んでいた人間からすると、もはや天界での出来事だ。そんな天界の住人が「陰キャ」という一周回ったアイデンティティさえ奪おうというのだから、性格の悪い連中が攻撃的になるのも大目に見ていただきたい。許してくれ、頼む。我々は悪口を賢しげに修飾してもっともらしく述べることを文芸と呼んでいるんだ。
 ……さて、内容を見るにぼっち・ざ・ろっくが孤独を題材とした作品でなく、タイトルは「ぼっちちゃん(名詞)のロック」以上の意味を持たないことは明らかなので、そろそろ次の話題に移ろう。

 「後藤、非ボッチ論」が下火になり、Twitterで次に流行したのは「伊地知虹夏彼氏概念」だ。これは読んで字の如く、伊地知に彼氏がいるという前提(オタクの妄想)のもと、伊地知の優しさに勘違いして告白したオタクが振られるという地獄のようなミームである。これは、BSSやNTRのようにフィクションを通して傷つくことを好むオタクが言い出したものなので、しばしば伊地知がオタクを無自覚かつ過度に傷つけるような言動をとる。
 さて、先に断っておくが、私はこの概念が嫌いである。そもそもBSSやNTRが嫌いな上に、オタクが気持ち良くなるために二次元キャラクターを利用している事を隠そうともしない姿勢が共感できない。また、これと同じ理由から百合二次創作も嫌っている。
 一方で、そもそもアニメを見るという行為そのものが「オタクが気持ちよくなるために二次元キャラクターを利用している」ことに他ならないという心理がある。結局のところ何事も程度の問題で、程度の問題ということはつまり好みの問題だ。正義など無い。あるのはただ、快と不快のみ。けれどもそれでは何も始まらないため、少しでも私の「正しい」感覚を啓蒙するべく自己弁護の論理を組み立てようと思う。

 そもそもアレは、オタクが振られることを前提とした概念だ。当然、あのミームの同調者はオタク(自分)が伊地知とは付き合えないと理解した上で楽しんでいる。これはつまり、振られる前提での告白に他ならない。
 だが、冷静に考えれば告白を断るという行為が、告白された側にとってそれなりに心労のかかるものだと分かる筈なのだ。こと伊地知のような優しくて善良な人間であれば、その心労は計り知れない。にも拘わらず告白してしまえる思考回路、きっとコイツは由比ヶ浜結衣や喜多川海夢にも振られているに違いない。

 結局のところコイツは、二次元キャラクターを気持ちよく自分を傷つけてくれる装置だとしか見ていないのだ。自ら傷つこうとしなくたって、次元の壁が邪魔で告白さえできない現実を見れば傷つくことができるというのに。クソ、あんな連中よりよほど二次元キャラクターを想っている俺は、彼女らの目にさえ映れない現実に悲しみを覚えているんだぞ? お前らも俺と同じ地獄で苦しめよ。俺らオタクには、二次元キャラクターを好きになったとしても、告白する権利さえ与えられていないんだよ! バカ! 自分しか見てないくせに現実を見た気になって傷ついたふりで気持ち良くなってんじゃねえ! クソ……俺も二次元キャラに告白してえよ。

 自己弁護の理論武装をするつもりが、普通に悲しくなって攻撃性を露わにしてしまった。これを読んだ感傷オタク君が、次元の壁という現実を前に真の苦痛を味わうことを願う。

 ダラダラと取り留めもない文章を書いた。このまま締めても良いのだが、「伊地知虹夏彼氏概念」で終えるのは少々後味が悪い。故に、最後は私の一番好きなキャラクターである喜多郁代について書こうと思う。

 俺はそもそも、善良なキャラクターが好きだ。そして、喜多郁代の善良さについては、是非本編を見ていただきたい! 見たなら分るよな?

 LOVE、喜多ちゃん!
 しかし、この「LOVE」は彼女に届かない。

 おわり

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